posted on2025年07月16日10:47
bykeiyo_labo
ばんぢろ方式
コーヒー職人、井野耕八郎氏(筆名は「耕八路」)(故人)が経営していた福岡市の今はなき喫茶店「ばんぢろ」と同じ名を持つ喫茶店である。お弟子さん筋のお店なのだろうか。このお店の台所に見えたコーヒー抽出道具類は、耕八路著「珈琲と私」(葦書房 1973年)に載っていた「ばんぢろ」オリジナルの道具類の設計図で見覚えのある形状のものだったので、なんらかの関係があるのは間違いないだろうし、そうであれば当然ばんぢろ方式でコーヒーを淹れていらっしゃるのだろうと想像する。 お店は、少し奥まっており、静か。本来住居用として建設されたものだと思われる建物がお店として使われている。玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えてお店に入る。和室の座卓、ダイニングのテーブル、リビングのソファといった客席がある。和室とダイニングは、ワイルドガーデン風の庭に面している。庭を眺めたり、備え付けの本や雑誌を読んだりして、静かな時間が楽しめる。 耕八路氏の時代は、まだ今ほどはバラエティ豊かなコーヒー豆が豊富に安価に入手できる時代ではなく、貴重なコーヒー豆を粗末にしないよう最大限に良い成分を取り尽くしながら、できるだけ悪い成分を取り込まないように、それでいて喫茶店としての収益性を確保するにはどうすればよいかを当時なりに極限まで追求したのがばんぢろ方式らしい。 ブレンドコーヒー(ブラック/450円)をいただいた。 私は、料理はもとより、コーヒーにも詳しい者ではないので、ここでもいつもどおり稚拙な表現をさせていただくが、かなり濃く、ガツンと苦味走るのが魅力の珈琲だと思った。それでいて、まったくしつこくない。エグミや、ヘタな焙煎の焦げ臭さも伴っていない。 おいしい抽出法の科学的研究が進み、普及し、豆も豊富に流通する現代では、ばんぢろ方式が唯一無二の最高のコーヒーというわけではないだろうが、いまでも揺るがず、原点である「珈琲を愉しむ」という目的にキッチリと適ったものであり続けているようには思う。たしかに愉しませていただいた。
藍蟹堂
藍蟹堂。感受性は海の底から波濤や世界の波瀾万丈を見上げる蟹そのもの。では蟹とは?
コーヒー職人、井野耕八郎氏(筆名は「耕八路」)(故人)が経営していた福岡市の今はなき喫茶店「ばんぢろ」と同じ名を持つ喫茶店である。お弟子さん筋のお店なのだろうか。このお店の台所に見えたコーヒー抽出道具類は、耕八路著「珈琲と私」(葦書房 1973年)に載っていた「ばんぢろ」オリジナルの道具類の設計図で見覚えのある形状のものだったので、なんらかの関係があるのは間違いないだろうし、そうであれば当然ばんぢろ方式でコーヒーを淹れていらっしゃるのだろうと想像する。
お店は、少し奥まっており、静か。本来住居用として建設されたものだと思われる建物がお店として使われている。玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えてお店に入る。和室の座卓、ダイニングのテーブル、リビングのソファといった客席がある。和室とダイニングは、ワイルドガーデン風の庭に面している。庭を眺めたり、備え付けの本や雑誌を読んだりして、静かな時間が楽しめる。
耕八路氏の時代は、まだ今ほどはバラエティ豊かなコーヒー豆が豊富に安価に入手できる時代ではなく、貴重なコーヒー豆を粗末にしないよう最大限に良い成分を取り尽くしながら、できるだけ悪い成分を取り込まないように、それでいて喫茶店としての収益性を確保するにはどうすればよいかを当時なりに極限まで追求したのがばんぢろ方式らしい。
ブレンドコーヒー(ブラック/450円)をいただいた。
私は、料理はもとより、コーヒーにも詳しい者ではないので、ここでもいつもどおり稚拙な表現をさせていただくが、かなり濃く、ガツンと苦味走るのが魅力の珈琲だと思った。それでいて、まったくしつこくない。エグミや、ヘタな焙煎の焦げ臭さも伴っていない。
おいしい抽出法の科学的研究が進み、普及し、豆も豊富に流通する現代では、ばんぢろ方式が唯一無二の最高のコーヒーというわけではないだろうが、いまでも揺るがず、原点である「珈琲を愉しむ」という目的にキッチリと適ったものであり続けているようには思う。たしかに愉しませていただいた。