
渋さ!!嗚呼「発見の会」! 不破大輔!私事だが1988年5月、伝説のデザイン学閥千葉大学工学部工業意匠学科の助手(文部教官)に着任、千葉大学ジャズ研やユニーク学生が黎明期渋さの舞台に関わり出していて「発見の会」公演に誘われた。脱音楽性、破天荒な舞台等に観客席で揺さぶられ突き動かされた。当時はバルブ経済のど真ん中で誰もが地に足のつかない虚構的な日々を貪っていたろう。一方、私は総武線で都心に戻っては1986年6月創設路上観察学会の手元メンバーとして兄事する藤森照信さんに連れられ赤瀬川原平や林丈二、南伸坊、松田哲夫らの先達を見よう見まねで目玉の冒険や野蛮ギャルドを楽しんだ。むろん千葉大学工業意匠学科では来るべき工業デザイナーを率いて東北・新潟地方の野に入り、デザインサーヴェイを通し、見えないものを洞察する、聞こえない声を傾聴する、触れられないことに触れてみる、想像力と創造力の修養に励んでいた。渋さ音楽世界への傾倒は決して虚構性への同調等ではなく、生きること表現することへの初源性や周縁性、そして崩れかかっていた共同性への強い憧憬であり、敢えて予定調和的に音を合わせない生き方が私自身への大きな糧となり、その後の大学教員としても来るべき参画型共生社会へ向けた研究課題の創出や教育ミッションの問い直し(私の研究室は1997年〜芸術文化環境論講座)に結びついた。渋さが今なお野蛮!な部族にも関わらず、各地の公共ホールに出没する「新しい広場」(2014年制定「劇場法」前文)演出集団になるとは思ってもいなかった・・・とても嬉しい。そして地域再生へ豊かに貢献しうる地域ホールへ派生的に招聘したい!!藤原惠洋拝