今朝の朝日新聞・天声人語では「雨水と余寒」が綴られている。
彼の宮澤賢治が2歳下で夭逝した妹トシ子の末期時を詠んだ「永訣の朝」が思い出させるこの雨水の季節。
花巻にあった宮澤家本宅の庭の松に降り注いでいた「雨雪」を、トシ子にせがまれて、賢治がとってあげた記憶にインスピレーションを得た一文をなしている。
あらためて「永訣の朝」を振り返る。
近づくトシ子の深淵への旅立ち、見事な自律への思いが記されていてハッとする。
あたしはあたしでひとりいきます
またひとにうまれてくるときはこんなにじぶんのことばかりでくるしまないやうにうまれてきます
現在、厳しい寒波に襲われている日本全体の中で花巻の雪風情はいかほどか。
ネットで花巻市HPを覗いてみると美しい雪景色が紹介されている。
https://www.city.hanamaki.iwate.jp/kanko/location/spot/1015197/1011800.html
永訣の朝
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あぁあのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
註
※あめゆきとつてきてください
※あたしはあたしでひとりいきます
※またひとにうまれてくるときは
こんなにじぶんのことばかりで
くるしまないやうにうまれてきます
宮沢賢治とトシとは、2歳違いの兄妹だった。トシは24歳で夭折(ようせつ)し た。賢治は詩集『春と修羅』に収めた「永訣の朝」で、そのときのことを記している。 蒼鉛(そうえん)色の暗い雲から、みぞれが冷たく降る日だったという。どうしようも ない悲しさに、深く包まれた詩である▼〈あめゆじゅとてちてけんじゃ〉。びちょびち ょと沈むような雨雪を、病床のトシはとってきてほしいと頼む。賢治はさもいとおしげ に、彼女のその方言を詩中で4度、繰り返す▼松の枝から雪をもらい、トシは言った。 〈Ora Orade Shitori egumo〉。私は私で、一人でゆくね。詩 のなかで、ここだけが英字で表記されている。やさしい兄は妹が不憫(ふびん)でたま らなくて、ひらがなで書くのが忍びなかったのだろうか▼ぬれ雪、ぼた雪、しめり 雪......。この国には、たっぷりと水分を含んだ雪の表し方がいくつもある。雨まじりの 重い雪は、北国の人々をときに閉じ込め、苦しめるけれど、やがて春水となり、大地を 豊かに潤す▼きょうは二十四節気の「雨水」。暦のうえでは、空から降ってくるもの が、白い雪から雨に変わるころだという。ただ、実際には、まだ寒さはしばらく続くよ うだ。今週、列島の各地で大雪が降ると天気予報は言っている▼夏の盛りを過ぎた後を 残暑とよぶように、寒明けの冷温は余寒という。古くは唐代、杜甫が詠む〈澗道(かん どう)の余寒、氷雪を歴(へ)たり〉にひく表現だとか。澗道とは、谷川沿いの道であ る。早く来い、春よ。














