建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
20241212 各紙、福岡城天守閣問題へ新展開!藍蟹堂私見だが、2024年4月22日付け、西日本新聞に寄稿されていたノンフィクション作家澤宮優氏の論考を忘れてはならない!!
さわみや・ゆう 
近著『天守のない城をゆく』(青土社)では、地域と一体化した観光活用の事例を描いた。文化財保存全国協議会会員、肥後考古学会会員。

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2024 西日本新聞 前田 倫之

「福岡城天守」に理解を 福岡市で市民フォーラム

国指定史跡、福岡城跡(福岡市中央区)の天守閣の「復元」について考える市民フォーラムが27日、同区であった。主催は、福岡城天守の復元的整備を考える懇談会(事務局・福岡商工会議所)。存在したかどうかを巡って議論のある天守閣の復元などについて、講演やパネル討論があり約450人が聴講した。

 懇談会座長の山中伸一元文部科学事務次官は冒頭、毛利家の密偵による1611年ごろの報告書に福岡城天守閣が記されていたことなどを紹介。「史料は少ないが、文化庁が(不明な部分を明示すれば再建を認める)『復元的整備』を認めるようになっている」と期待を込めた。

 東京大史料編纂所の本郷和人教授は「商都博多と武家の町福岡」と題した基調講演で「福岡のシンボルとなる天守閣は必要だ」と強調。パネル討論で九州産業大の佐藤正彦名誉教授が五重六階の天守閣が存在したとの説を披露し、復元しても「耐震や防火はできる」と説明した。同会議所の谷川浩道会頭は天守閣の復元に向け、「大事なのは市民がその気になるかどうかだ」と理解を求めた。

 福岡城を築いた福岡藩初代藩主、黒田長政が徳川幕府に配慮し、大坂城の修理のために福岡城を崩したとみられる書状も紹介され、参加者から「事実なら、(今のように)天守閣がないことで歴史に思いをはせることができるのでは」との声もあった。

 (前田倫之)



20240117 西日本新聞 野村大輔

福岡城跡で復元工事、潮見櫓の上棟式【動画】

 福岡城跡(福岡市中央区)で復元工事中の「潮見櫓(やぐら)」で16日、棟上げを無事に終えたことを感謝し、今後の工事安全を祈願する上棟式があった。

三の丸の北西隅に位置する潮見櫓は、城内に47カ所あったという櫓の一つ。明治期に藩主黒田家の菩提(ぼだい)寺である崇福寺(同市博多区)に移築されたが、市が買い取って昨年2月から復元工事を続けている。

 上棟式には関係者約40人が出席。全員で屋根まで引き上げた棟木を工匠が木槌(きづち)で打ったり、工匠が櫓から落とした餅を出席者が布で受け止めたり、古式の儀式が続いた。

 今後は屋根や壁が取り付けられ、2025年春に完成予定。施工する松井建設九州支店(博多区)の北原勝彦支店長は「何度か現場を公開しながら市民に親しまれる櫓にしたい」と話していた。

 (野村大輔)

20240117 西日本新聞 野村大輔

福岡城の謎と魅力 天守は存在したのか、鴻臚館後の「空白の500年」は…

気ままに時間旅行⑰

 

 福岡市中央区の福岡城跡(国史跡)は筑前52万石を治めた福岡藩主の居城。九州屈指の石垣を誇るが、全国的な認知度はいまひとつという印象がある。往時の姿が着々と復元されている今こそ、あらためて福岡城の魅力を考えたい。

 

福岡市街地を一望できる天守台。多くの観光客が訪れる - 福岡城の謎と魅力 天守は存在したのか、鴻臚館後の「空白の500年」は… - 写真・画像(1/8)

 

城の北東側にある上之橋(かみのはし)御門は最も格上の門とされた。昨秋、裁判所跡地の整備が終わり、ここから城内に入るルートが約150年ぶりによみがえった。枡(ます)形の入り口を歩く藩主の姿を想像してしまう。

 西側では潮見櫓(やぐら)の復元工事が続く。47カ所あったとされる櫓の一つで、北西の角に位置する。この櫓から海上を監視したという。

 潮見櫓は明治期、藩主黒田家の菩提(ぼだい)寺である崇福寺(福岡市博多区)に払い下げられ、仏殿として使われていた。市が1990年に買い取り、解体し保存。昨年2月から古材を活用して復元工事が始まり、2025年春には江戸時代の景観が再現される。

 実はこの櫓、長く「月見櫓」と認識されていた。解体後の調査で「潮見櫓」と記した棟札が見つかり、間違いが判明。一方で、城内には「潮見櫓」と呼ばれる別の櫓が存在し、こちらを「(伝)潮見櫓」と変えたものの本来の名は謎だ。

福岡市街地を一望できる天守台。多くの観光客が訪れる - 福岡城の謎と魅力 天守は存在したのか、鴻臚館後の「空白の500年」は… - 写真・画像(1/8)

 

        

 初代藩主の黒田長政は関ケ原の戦いの功績で筑前国を与えられた。当初は名島城(同市東区)に入ったが、城下町の発展を考え、1601年から7年かけて福岡城を築いたとされる。

 福岡城跡は、古代の迎賓館「鴻臚館」の跡地でもある。市史跡整備活用課の中村啓太郎さん(考古学)は、造成済みの土地を再利用することで効率的に城を築く狙いもあったとみる。

 11世紀に鴻臚館が廃絶された後は、何が存在したのか。「中世の遺物は出土するが、位置づけが難しい。今の課題です」と中村さん。鴻臚館と福岡城の間の空白の500という謎も残されたままだ。

 城の南側へ。多聞櫓(国重要文化財)は長さ50メートル超の細長い建物。有事を想定し、高さ9メートルの石垣の上から石を落としたり、鉄砲を撃ったりできる構造となっている。櫓内は16部屋に区切っただけで「とても簡素な造り」(中村さん)。耐久性が弱く現存するのは珍しいため、かえって希少価値が高いという。

        

 天守台の上に立つと、市中心部を一望できる。天守は存在したのか否か-。絶景スポットは、論争を巻き起こす火種でもある。

 福岡城と城下町を描いた1646年の絵図に天守が記録されず、長らく存在が疑われていた。近年は古文書の記載から「存在したが取り壊された」と考える研究者が多いようだ。

 かつて九州産業大の佐藤正彦名誉教授(日本建築史)が天守を復元した。「石高と天守の大きさは比例する。(姫路城主の)池田輝政も52万石だった」と佐藤さん。姫路城を念頭に地上6階、地下1階の福岡城天守を想定し、「海上からも目立つ建物だった」と往時の姿を思い描く。

 そんな立派な天守を壊した理由は何か。九州大の中野等教授(日本近世史)は「市史研究ふくおか」の中で、1632年の「黒田騒動」との関係を指摘した。2代藩主の忠之と対立した家老の栗山大膳が、幕府に「謀反の企てがある」と訴えたお家騒動。黒歴史に絡んで壊したため、後の記録はあえて天守に触れていないというのだ。

 対して九州大の福田千鶴教授(日本近世史)は、1619年に起きた広島藩主・福島正則の改易が遠因とみる。幕府に無許可で城を修理したことが発端となった処罰。「城は自主性の象徴。長政は(天守を壊すことで)恭順の意を示そうとした」と推察する。

 どちらにしても、天守は築城から30年もたたないうちに消えた。「江戸時代の人々にとって、天守がない城の姿こそが見慣れた景観」と福田教授は説く。残された謎について語り合うのも福岡城の楽しみ方だ。

 (野村大輔)

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 今回から河辺瑞樹と平原倫子がイラストを描きます。

 メモ 城内の「福岡城むかし探訪館」では、展示パネルや再現模型を通じて福岡城の歴史や特徴を紹介する。入場無料。電話=0927324801
 福岡市は福岡城跡の復元整備に充てる「福岡城整備基金」(福岡みんなの城基金)を設置し、寄付を募っている。希望者は芳名板を掲示。市外の居住者は「ふるさと納税」(寄付額1万~10万円)として扱われ、食品や工芸品など返礼品がある。基金設置は2028年度まで。問い合わせは市史跡整備活用課=0927114784




20240306 西日本新聞 下村ゆかり

福岡城の天守「復元」へ市民アンケート 専門家ら初会合、シンポや公開討論を計画

福岡城の天守の復元や活用について、市民とともに幅広い議論を進めようと、有識者や専門家で作る「福岡城天守の復元的整備を考える懇談会」(事務局・福岡商工会議所)が5日、福岡市で初会合を開いた。天守に関しては現存する資料が少ない一方、「観光名所が少ない」と指摘される福岡市のシンボルとして復元を期待する声も多い。懇談会では今後、天守の復興に向けた課題や財源などについて協議する。

 会合では元文部科学事務次官の山中伸一座長(角川ドワンゴ学園理事長)が「懇談会を通じて福岡、博多の将来を開いていきたい」とあいさつ。九州大の丸山雍成名誉教授が福岡城にまつわる研究の歴史について説明した。

 復元の機運を高めるため今後はシンポジウムや公開討論会を開催するほか、市民アンケートも実施。他都市での天守復元の事例なども研究し、それらの結果を踏まえてまずは9月に報告をまとめる考えだ。

 福岡市では外国人を含め観光客が増加する半面、観光名所が少なく、気軽に地域の歴史や文化に触れられる施設が少ないとの指摘がある。こうした課題を解決しようと、市では今月下旬から開催する「さくらまつり」に合わせ、福岡城跡に金属パイプ製の天守閣(高さ約14メートル)を設置し、発光ダイオード(LED)でライトアップするイベントを初企画する動きもある。

 市に天守復元の早急な検討を提言している川原正孝座長代理(ふくや会長)は「他の城下町でも天守は歴史のシンボルや市民の心のよりどころになっている。ぜひ実現に向けてハードルを越えたい」と期待を寄せた。 (下村ゆかり)

福岡市地下鉄大濠公園駅周辺にある福岡城の史跡 - 福岡城の天守「復元」へ市民アンケート 専門家ら初会合、シンポや公開討論を計画 - 写真・画像(1/2)

20240314 西日本新聞 春秋 

福岡城天守閣の歴史ロマンと復元論争

かれこれ二十数年前、福岡城天守閣の復元構想を巡る論争が起きた。論客は当時福岡市長の故山崎広太郎氏と前市長の故桑原敬一氏▼桑原氏が「観光の目玉に」と復元を訴えたのに対し、山崎氏は「市財政が厳しい」と慎重だった。福岡城は天守閣の存在を明示する資料がなく、論争を複雑にした▼両氏は1998年の市長選で現職と新人の立場で激突、軍配は山崎氏に上がった。論争の裏に選挙のしこりも見え隠れした。そんな逸話を交え「新旧城主の築城論争」を夕刊の記事にした。両氏の顔写真に武将のかぶとをかぶせたイラストを添えて▼記事掲載後、山崎氏と桑原氏それぞれから呼び出された。「ちゃかして書くな」。くしくもほぼ同じ言葉で詰め寄られたが、共にどこか楽しげだった。政敵との論争ながら互いに天守閣を巡る歴史の謎にロマンを感じていたのだ▼論争は時代の変化を物語ってもいた。大規模イベント誘致や博多湾の人工島事業など大型開発を進めた桑原氏。バブル崩壊を経て市長を目指した山崎氏は選挙で「大型開発は引き返す勇気を持って点検する」と訴えた▼福岡市は27日からの「福岡城さくらまつり」に合わせ、金属パイプを天守閣風に組み上げて7色にライトアップする。高島宗一郎市長が1月に発表した。斬新なアイデアに賛否両論がある。かつて築城論争を繰り広げたくだんの両氏も草葉の陰で目を見合わせているかも。

骨組みを作り、ライトアップされる福岡城の“天守閣”イメージ図(福岡市提供) - 福岡城天守閣の歴史ロマンと復元論争 - 写真・画像(1/2)


20240422 

福岡城の築城議論に思う 天守は城の一要素に過ぎない 天守ない城にも魅力

寄稿・澤宮優 

福岡城にパイプで組み上げた幻の天守が作られ、ライトアップされている。この城に天守があったのか定かではないので、天守の姿は想像である。訪日客を誘致するための市や経済団体の意向で、今後天守“復元”に向けての議論を本格化させる狙いがある。

 2019年に文化財保護法が観光活用に舵(かじ)を切り、各自治体は、天守に泊まる城泊や天守で結婚式を挙げるプランも登場させた。城は商業資本として消費される時代になったのである。

 ただ注意すべきは、観光活用の方向性が文化財の特性を生かしたものになっているのかという疑問である。文化財は実際に訪れることで、じかに歴史に触れ、机上では味わえない学びの醍醐味(だいごみ)を知ることになる。そこから歴史への興味に誘うような工夫がなされるべきである。その上で地域で文化財を育むという姿勢が生まれてくる。先人の残した遺産を守ることは人々に勇気を与える。観光活用も当然その方針に則(のっと)ったものでなければならない。

 その中で今各地で行われる天守再建の動きに注視したい。城に天守を建てるという発想は、「復元的整備」という以前よりも、歴史的な規制が緩和された方針が打ち出されたため、再建が可能になったことが大きな要因になっている。

 ただその前に伝えたいことは、天守は城を構成する要素の一つに過ぎないという点である。江戸期には城主は本丸御殿で生活し政務を執った。天守の内部は倉庫と化し、大名も在任中に数回視察する程度だった。天守は無用の長物に過ぎなかったのである。

 関西在住の城郭研究者が、江戸期からの現存天守を持つ彦根城について語ったことがある。

 「天守は功罪が大きいです。観光客は天守にしか目が行かずに登って帰るだけです。彦根城には天守以外にも石垣や橋、西丸三重櫓(やぐら)(重要文化財)、土塁、堀があるのに目を向けてもらえない」

 その中で天守のない城を上手く活用しているのが、金沢城である。ここには慶長、元和、寛永、幕末など年代の異なる10種類以上の石垣がある。その特性を活(い)かし、石垣のパンフレットを他の城より早く作成した。その時代の石垣がどこにあるのか、パンフレットで丁寧に説明もされている。石垣は近世城郭の貴重な構造物で、石垣が残っていることは、建物が残ることと同等の価値がある。

 また城を歩くことは、本丸、二の丸などの縄張りを知ることで、城の全体図も知ることができる。

 天守も魅力的だが、石垣や現存する櫓に目を留め、静謐(せいひつ)な空間で、歴史の想像をすることは、訪日客にも、さらに日本の歴史を勉強したい気持ちにさせてくれるのではないだろうか。

 福岡城は縄張りや石垣など築城当時の姿がよく残っている。商業施設も城内にはなく、広大な敷地で市民がくつろぐ光景は、地域とともにある歴史公園として理想的である。この城は、古代の鴻臚館の遺跡も見つかり、古代から、明治以後の廃城としての長い歴史(これも城の大事な姿)も持っている。

 文化事業に先進的なドイツでは、景観保護の中に遺跡が位置づけられ、景観と遺跡が調和された形で活用されている。福岡城も同様である。それゆえにこれまでの活用方針を無にせず、正しく歴史を伝える使命を重視しながら、望ましい活用の在り方を考えたい。そのとき天守をめぐる議論の答えは自(おの)ずと明らかになってくる。

 さわみや・ゆう 1964年、熊本県生まれ。ノンフィクション作家。近著『天守のない城をゆく』(青土社)では、地域と一体化した観光活用の事例を描いた。文化財保存全国協議会会員、肥後考古学会会員。

 

5月までの期間限定でライトアップされている福岡城の「幻の天守閣」=福岡市 - 福岡城の築城議論に思う 天守は城の一要素に過ぎない 天守ない城にも魅力 - 写真・画像(1/1)

 

20240906 西日本新聞 鶴 善行、長 美咲 記者

福岡城に天守閣はあったのか 初の発掘調査、市が文化庁と協議へ

福岡城福岡市中央区)に天守閣はあったのか、それとも-。天守閣の存否が不明の福岡城跡(国史跡)を巡り、同市の高島宗一郎市長は5日、天守台と周辺の学術的な発掘調査の実施に向けて、文化庁と協議を始める方針を明らかにした。市によると、福岡城跡の天守台の発掘調査が実現すれば史上初という。

 同日の市議会定例会で、稲員稔夫市議(自民)の一般質問に、高島市長は「福岡城は市の歴史を語る上で欠かせない史跡。天守閣への関心が高まる中、その存否にかかる議論を前に進めていく」と答弁した。

 市によると、福岡城跡では1951年の学術調査を皮切りに80回以上の調査が行われてきたが、天守台は手付かずだった。速やかに文化庁と協議を始め、来年度以降の調査開始を目指すという。

 市は今年35月、天守台の上にパイプで組み上げた「幻の天守閣」をライトアップし、天守閣の本格整備を巡る議論の高まりを見定めてきた。経済界からは観光資源として「復元」を期待する声も上がる。

 高島市長は議会閉会後の取材に「長い時間がかかる話。まずはスタートが切れたということだ」と話した。

 (鶴善行、長美咲)

0243月にライトアップされた福岡城跡の「幻の天守閣」 - 福岡城に天守閣はあったのか 初の発掘調査、市が文化庁と協議へ - 写真・画像(1/1)

 

 

 20241211 西日本新聞

福岡城に「天守を建てた」、江戸時代の書状に記載 福岡市博物館が発見

 

福岡市10日、福岡城の天守閣が存在していたとうかがわせる新史料が見つかったと発表した。福岡教育大が保管する江戸時代の書状に「天守を建てた」と記されていた。国史跡の福岡城跡を巡っては、天守閣の存在を明確に示す根拠は見つかっておらず、存否が議論されている。市は「信ぴょう性は非常に高い」としている。

 福岡城は初代福岡藩主の黒田長政が築城。書状は「福岡教育大学(波多野晥三)収集資料」の一部で、黒田家の家臣が164050年ごろに別の家臣に宛てたものとされる。市博物館が9月に発見し「専門技術者が不在のため、素人で石垣を築き天守を建てた」などの記載を確認したという。同館の中野等総館長は「当時はやぐらも天守と記す事実もあるが、今回の史料で(天守閣が)あったであろう可能性は高くなったと思う」と話した。

 福岡城の天守閣について、地元経済団体は観光資源として復元を要望しており、市は初の発掘調査に向けて文化庁と協議している。

 (長美咲)


20241212 朝日新聞 大下美倫

福岡城の天守は存在したのか――。専門家の間で続いてきた論争をめぐり、福岡市は、福岡教育大学保管の資料に「天守を建てた」と記述されていることを発見したと10日発表した。天守が一度は存在し、解体されたとの学説を補強する見方ができるという。

 記述があったのは、同大教授を務めた波多野晥三氏(故人)が収集した書状。黒田家の家臣の梶原正兵衛から毛利甚兵衛に宛てられた、164050年ごろのものとされる。1607年に完成した福岡城の築城の経緯が書かれており、「天守をお建てになった」を意味する「天守御立被成」との記述があった。

 市博物館によると、幕府が1646年に作らせたとされる福岡城内の絵図には天守は描かれておらず、2人は天守を直接は見ていない可能性が高い。ただ、初代藩主の黒田長政と同時代に生きていたと考えられる親や祖父母の世代から聞いた情報である可能性があり、市博物館は「信憑性(しんぴょうせい)は非常に高い」とみる。

 市博物館は2018年に一度、資料を調査しているが、今年度、改めて調べた結果、記述を発見したという。

 市博物館によると、天守の存在を示す黒田家の公式の記録は見つかっていない。こうした理由から、これまで天守は存在しないとの見方もされてきた一方、大阪城を建てるために福岡城の天守を解体して送っていると聞いた、という内容が書かれた書状なども見つかっている。今回の資料の記述は、天守を建てたと明記している点が新たな発見という。

 同館の中野等総館長は同日の会見で「(天守が)あったであろう蓋然(がいぜん)性は高くなったと考えている」と述べた。

 天守をめぐっては、福岡商工会議所が音頭を取り今年、復元的整備を検討する懇談会を開催するなどの動きもある。市は天守台の発掘調査に向け、文化庁との協議を進めている。

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