20241208 朝日新聞
(日曜に想う)谷川さん、言葉は無限、言葉は宝 編集委員・吉田純子
詩人の谷川俊太郎さんの訃報(ふほう)が駆け巡ったのは11月19日。2日前に投開票があった選挙の結果に日本中が大きく揺れていた。亡き人に手向ける優しい言葉と誰かを打ちのめそうとぎらつく言葉が、手のひらの小さなスマートフォンの画面に、同じ顔付きで交互に浮かんでは消えた。
谷川さんの言葉は、国も思想も立場も超える精神の通行手形だった。ひとりでいると思いは詩になり、誰かが隣にいると思いは歌になった。ベトナム反戦への祈りを託した詩「死んだ男の残したものは」をつづり、市民集会の前に曲を付けてほしいと親友の武満徹に頼んだ。最後の創作の仕事は、作詞家で詩人でもある覚和歌子さんとの連詩だった。
音楽家の長男、賢作さんとも朗読劇に興じた。音として放たれた言葉が意味以外の多様な感触を携える瞬間、世界を初めて知る幼子の如(ごと)く、その目は輝いた。作曲家の新実徳英さんに「どんな風にエディット(編集)してくれても構わない。でも、それを詩として朗読するのはやめてね」と言った。音楽に殉じた言葉はもはや詩ではないのだから、と。
音楽、文学、絵画、それぞれの世界で、それぞれの試行錯誤を経て鍛えられた固有の言語。それを全てのコミュニケーションの前提とすることが、谷川さんの揺るがぬ流儀だった。相手の領域への礼節あってこそ心を開きあえる。谷川さんは、他流試合を己の成熟のよすがとした。
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谷川さんは自然がそのまま人の形をとったかのような存在だった。あえて言えば、谷川さんという人そのものが森羅万象だった。時に、風の力を借りてきょろきょろと辺りを見回す道端の花のように。時に、無数の蝉(せみ)の命の循環を物言わず見守り続ける樹齢数百年の巨木のように。
誰かが誰かを論破するリングに人々が群がり、快哉(かいさい)を叫ぶのは、自分自身が誰かの心を所有、または支配したというかりそめの恍惚(こうこつ)を求めてのことだろう。翻って、人間以外の自然のいきものは何をも所有せず、死というものすら意識せず、ただ己の命をあるがままに生きている。
親交のあった音楽評論家の秋山邦晴が亡くなったとき、妻でピアニストの高橋アキさんに、谷川さんはこんな言葉を贈った。「音楽は人に死を超えた彼方(かなた)までかいま見させてくれるものだと私は信じています」
どんな言葉が、友のほんとうに凍(い)て付いた心に届くのか。自問の果てにこぼれ落ち、形を成した谷川さんの言葉たちは、最初からそこにあったかのように何げなく、静かに、煌々(こうこう)と世界を照らした。言葉というものはこれほどまでに強く、健やかな光を放つ人類の宝なのだと、谷川さんは私たちに気付かせてくれた。
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その6日後、メゾソプラノ歌手の波多野睦美さんと作曲家でピアニストの高橋悠治さんによるシューベルトの「冬の旅」を聴く。波多野さんの歌は限りなく語りに近い。若き天才の心の疼(うず)きにそっと触れ、大げさに共感したり励ましたりせず、さりげなく歩幅を合わせ、共に進む。寛容というものの本質を垣間見る。
高橋さんのピアノの何げない休符が無限の余白を紡ぐ。永遠は日常のほんのささいな瞬間に宿るものなのだと知る。余計なものをまといすぎた人間という存在を、自然へと戻す唯一の手立てが芸術なのか。
音と言葉の境界が溶け去った先にある、真に自由なる場所を、谷川さんの魂はきっといま、しあわせに回遊している。