20240609西日本新聞 古川努記者
北九州市の門司鉄道遺構「近代的な都市形成の遺跡」 九州国際大元学長が独自の価値付け
九州産業遺産研究会で報告
北九州市門司区で出土した明治期の初代門司駅関連遺構を巡り、清水憲一九州国際大元学長が産業遺産としての「価値付け」を独自に進めている。1日の九州産業遺産研究会で「ターミナル駅と国際貿易港による近代的な都市形成の遺跡と言える」と報告。福岡県の初代官選知事、安場保和の役割に着目し、門司港の街の原形ができあがる過程をひもといた。
清水氏は、初代門司駅にまつわる論文や郷土史、企業史などの文献調査に着手。遺構の発掘調査成果と照らし合わせ、産業遺産の「遺跡」としての価値付けを試みている。
安場は明治政府の高官や地方の県令、知事を歴任。福岡県には1886年に県令として赴任し、同年から92年まで初代の官選知事を務めた。清水氏は「赴任前から九州での鉄道敷設を考えていた」と解説する。
実際、安場は86年、民設民営の鉄道会社設立を計画し、伊藤博文首相宛てに「九州鉄道敷設之義上申」を提出した。鉄道敷設の区間は「門司-三角」。これを内閣は閣議決定している。
それにしてもなぜ、塩田が広がる門司を鉄道の起点とし、港湾機能もない寒村で築港、街づくりを同時に進めようとしたのか-。
水深の深さや本州、中国大陸への近さという地の利のほかに、清水氏は文献から「政府高官の内諾」があったとみており、「貿易港になるという情報を持っていたから」と見立てる。
清水氏は、安場の目線の先に、筑豊の石炭を中心とした物流拠点化と、地域の企業勃興、産業革命があった、とみる。ここに大倉喜八郎や渋沢栄一ら中央の実業家や地元企業家が参画し、ビジネスを拡大していく。渋沢との間に立ったのは、豊前国京都郡(現行橋市)出身の政治家、末松謙澄だった。
清水氏は、こうした歴史的な文脈をとらえ「国史跡指定はあり得る」と評価。「『単品』の鉄道遺構ではなく、鉄道、港がどう機能していたか、システムを理解できる形で残っている。そこに産業遺産としての価値があるのではないか」と提案した。(古川努)
清水慶一先生(撮影 古川努)
安場保和