http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2151339.html
http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2146101.html
2020年11月21日(土)九州大学芸術工学部「芸術文化環境論」集中講義へ非常勤講師として丸尾焼五代目金澤一弘氏来学、開講!!
http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2147403.html
http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2147291.html
九州大学芸術工学部「芸術文化環境論」集中講義に非常勤講師金澤一弘(丸尾焼5代目、熊本県伝統工芸協会会長)氏が来学!
http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2101793.html
6月13日(月)「芸術文化環境論」非常勤講師に金澤一弘氏をお迎えして有意義な講義を戴きました。
http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2071660.html
2016年6月13日(月)「芸術文化環境論」非常勤講師に熊本県天草市より丸尾焼五代目金澤一弘氏をお迎えして有意義な講義を戴きました。
2015年6月1日学部「芸術文化環境論」丸尾焼5代目・金澤一弘先生の特別講義が行われました!
http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2039049.html
藤原先生が学部生向けに開講している授業「芸術文化環境論」では
各地の現場で活躍されているスペシャルゲストが講師として来られ、
学生たちに、普段の大学生活では知ることのできない刺激的なお話をされ、
私たち学生はこのゲスト講師のお話を聞くのを楽しみにしています。
「陶器を作るのは、およそ何年続いているのでしょうか?」そんな問いかけから始まりました。
金澤先生は、才能のある工芸家の方々には、宇宙観というのが存在していて、その宇宙観というのはビックバンが起こった瞬間があって今があって宇宙が拡散して行く未来がある。その未来からその先はどうなるのか?まだ戻ってくるかも知れないが、それは自分の作品に対する認識である。自分が自分の作品の中に宇宙を閉じ込めることができないなら自分の作品は作品として発展していかない。という話をしました。その時私は自分の宇宙観はどんなことなのか、私が今考えている、作っていこうという宇宙観は何なのかを考えてみるようになりました。
その後は「リテラシー」という話がつづけます。
まず、「リテラシー」というのは何らかの表現されたものを適切に理解・解釈・分析・記述し、改めて表現するという意味に使われている言葉です。
どんな分野でも我々はこれがいつから始まって今ここにあって結果としてどこへ向かうのかのを知ることが重要であることで例えば、地方のばあいは天草はいつから人が住み始め、そしていつから経済成長が起こり、その中でどのように発展し、今があり、今からはどこに行こうとしているのか?
そのような中にはリテラシーが入っていることでそしたら「ライフリテラシー」とは?人生を幸福に生きるための知恵だと金澤先生は説明しました。
それで結局、我々は今の現在位置(大学生の位置)どこから来て今どこに行って今からどこに行かなければいけないついては不明であるが、まずは我々が学ぼうと思っているのが歴史的にいつ始まったのものなのか誰がはじめたのかそしてどういう歴史で来て現在はどういう社会の学問と向き合ってるのかというのをまず理解し、それからどこに行かなければいけないのかというのを知らないといけないし、その同時に自分が今学ぼうというのが外国ではどのように論じられているのかのも知らなかったら日本でしか学ぶことができない。そんな可能性があるという話を金澤先生は結論として話しました。
ホーキング博士の話もありました。ホーキング博士は「我々の人類は後100年で次回にとってかわられる」つまり、このホーキング博士の話は100年と言っても後30年後には実現するが、我々は機会にとって変わられて機会に使われる人生のポジションになるという意味で、もしかして、30年語に機会に遅配されることだったら我々の位置はどこなのかという問題ができるという話でした。現在、誰でも持っているケータイは8万円ぐらいします。ケータイを多くの人が持っているのは一つの理由で欲しいからです。でもたった8万円するケータイに我々の人生を追うのは違うことで自分が欲しいものがそのぐらいだったら未来に困る。もっとも重要なのがケータイ以外にあるかもしれないという話でした。
芸術情報設計学科の学生たちにたいしては、
「君たちは 自分の立ち位置が実に不明確である。社会と学問がどこに向かおうとしているのかを知っておくべきです。今君たちは何を勉強しているのかということがわからないと日本でしか生きていけない。」
授業を見守る藤原先生も、金澤先生に質問を出されます。
いろんな質問の中で私は次のことが印象的でした。
・学生諸君は将来に向けて、どのような人生観や社会観を身につけながら、歩んでいけばいいのだろうか?
この質問に金澤先生は「疑え!今自分の現在、歩いていることについて疑いながら生きて行くのが重要であり、世界には頭が良い人は多いがその中で発信者、主体者がなるのが重要である。どんな分野でも発信者になるためには知識が必要になってくる。」
2コマ分の話題が溢れかえる熱気溢れた講義となりました。
その後も時間を超過して受講学生たちの質問や意見交換にも答えてくださることになりました。
場所を代え、5階藤原惠洋学生研究室に多数の学生が馳せ参じてきました。
金澤先生は見事にすべての質問や意見に答えを返して行ってくれました。
こうした話題が盛り上がる中、藤原惠洋研究室の学生グループが用意をした軽食や飲み物等を提供していただきます。
フランクな気持ちで食べながら金澤先生と会話が続きました。
講義ではなかなか出すことのできなかった個人的な質問を金澤先生にぶつける学生も出てきました。
大学生たちは自分の人生に悩んでいる質問を放ちながら丁寧なアドバイスやコメントをもらったり、将来の夢や生き方に関する話をしました。
そして集まった人々の過去や現在、将来の話を皆でするようになって今までどんな目標として生きていたのか、今からはどうするつもりなのか、等講義がさらにここでも盛り上がっていきました。
私はこのときの金澤先生の話を聞いてから、いろいろな考えをするようになりました。
現在、私も同じですが、多くの若者はケータイを1日5時間以上はしていると思います。そのような現在だったら本当に30年後には機械に使われる人類になってしまうかもしれません。うかつにしていれば時間の問題かもしれない、ということに気がつきました。
1日何時間でもしているケータイやパソコン、そこでは調べたら何でもすぐ得られるという長所もあるのですが、1日中小さい画面を見るよりもっと重要なことを忘れてしまって生きていたのではないかと自分を振り返るようになりました。
私たちの世代には勘違いが横行しています。すべての問題の正解が、ケータイやパソコンに入っていると思ってしまっています。けっしてそうではなく、解答という情報やコンテンツを私たちはみずから生み出していく必要があります。
私が考えている私の将来の夢について、あらためて私自身がこれで成し遂げることができるのだろうかと自分を疑いながら、受け手ではなくみずから情報発信者になるため一生懸命研究を続けようと思いました。
M1 張 榮
丸尾焼の5代目・金澤一弘さん、学部「芸術文化環境論」で学生に語りかける2014.7.14
http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/1992445.html
「陶芸の仕事はなぜ世界中にあるのでしょう?」
天草にある丸尾焼5代目、金澤一弘さんのこのような問いかけから授業は始まりました。手仕事を生業としている金澤さんの問いかけ、学生のみなさんにはどのように響いたのでしょうか。
先ほどの問いに対する答えは、
「粘土が世界中にあるからです。器や呪詛的なものをつくることができる。
形を作る、そして、その形をとどめる。その流れの中でモノをつくるという仕事がある。」
「産業革命以後、工業的に生産されるようになり、安価なものが大量生産されるようになった。大量で安価につくれる。江戸時代は工芸は日常、明治以後、工芸の仕事がどんどん少なくなっている。」
金澤)「陶磁器を日常生活の中で使っている人はいますか?焼き物を作った時はどんな感じでしたか?」
(学生)思っていたものと作ったものが一致しない感じだった。
(学生)思った形、色にならなかった。
(学生)土から水分がなくなってパリパリになった。
(金澤)「モノをつくる行為は普通だった。昔の車なら修理できるが、今はブラックボックス化して、手の届かないところにいってしまった。大量生産、大量デザイン、 人件費の安いところに発注する。
「日本では修業期間が長い。作品をつくって売るという段階になると、人件費で作品への値段に差が出る。
先進国の手間のかかるものは減っていく。人件費の安いところから安い大量生産のものが入ってくると、工芸は追いやられる。」
「賃金が高いから作品も高いということになる。懐刀(子供が生まれた時に作る刀)は、120万する。鋼をたたいて装飾までする。肥後象眼にくまモンを入れたら、片面3万。工業的に成熟した社会では、工芸の立ち位置は低い、親をみているとサラリーマンがいいという。」
金澤さんは30年にわたり工芸の仕事をしてきました。36年前と今の価値観は変わっているとのことです。
確かに、私は安くて「こ洒落た大量生産品」で日常生活は間にあっている部類に入っております。工芸的なもので持っているのは小鹿田焼きの器が1つと蕎麦ちょこ3つです。〇〇焼きにあこがれはありますが、生活に取り入れるところまではいきません。生活にもっと工芸の美があったら、きれいな生活ができるのだろうと思います。
金澤)「工芸という仕事がダメになってしまうのではないか。伝統的工芸の産業を変えていかねばならない。ということで、2000年、天草の焼き物を何とかしようという話が持ち上がった。県民文化祭をきっかけに10年かけて町をまわった。地域にある固有の文化を職業的に成立させる形にしようと言うことになった。みんなが中央主義志向、地方は人口が継続的に減り続けている。天草では、伝統的・文化的資源を見直して産業に育てよう、建築。陶芸を産業として育成する可能性があるのではないかとした。天草陶石があるので、陶石の島から陶磁器の島へ。焼き物を地域の地場産業にしよう。と言うことである。」
「福岡は人口があるから売れる、天草は10万人地域なので、努力しなくては売れない。どれくらいのバランスで地域をつくっていくのか、15年活動して、10件の窯元が35件になった。少しずつ窯元を増やしてきた。
全国的にみると、200件を超えると産地と言われる。江戸時代は士農工商があり親の仕事をついでいた。江戸になり、職業の自由がでてきた。-お父さんの仕事をつぎたい人はいますか?-いない。連鎖するものが希薄になってきた。30年後はどうなっているの?自分たちの田舎の10年後、20年後どうなっているか、
工芸の10年後、20年後どうなっているか、を考えてみてほしい。」
(金澤)県の伝統工芸の会長の仕事をしていて、農耕馬の蹄鉄をつくる仕事をしている人とあった。生活の中にその品を使う文化が無ければ、それは滅びる。
(金澤)「付加価値とは何か。私の手が付加価値で、私が死んだら私しか作れないものは消滅する。価値ある特別なものを特別なところに、最高のものを作ることができるかというところが要である。格別に小さい宝石のようなものをつくる。エクストラスモールの集合体を作って行く。すべての地方が小さな特別なものを作り上げていくのがこれからの姿勢であろう。下町で何かを磨いているのもエクストラスモール。今後はエクストラスモールの時代であると考えている。」
藤原研究室では毎年4月に新入生歓迎・牛深ハイヤ踏査をしております。これは丸尾會という金澤さんが天草で作った牛深ハイヤを踊る会に入れてもらうという形をとっております。
そこで藤原先生から、
(藤原)丸尾會をなぜ作ったのですか?
(金澤)牛深ハイヤ節は全国のハイヤ系民謡のルーツで、阿波踊りもこれである。コミュニティの祭りをどうするか、以前は小学校や地域が祭りを担っていたがなくなった。ヨリシロとしての祭りの会、これが丸尾會です。
人間を小さなコミュニティに戻していく、共同体に戻していく、理想的な社会はピラミッド社会である。長老がいて下に若い人がいる。これは、豊かで安定的な社会、全体を若い人々が支える、ということです。
(藤原)学生はどこから取り組むべきですか?
(金澤)自分はどこから来て、生まれる前にどういうものがあって、どこにいて、どこに行こうとしているのか
、「自分が生まれたところがどういう場所で、何を使っていて、どういう営みをしてきたのか、現代と向き合って、どこに行くのか」 自分の知らないところでの興味を持って、
ちょっときになるものでも使ってみたらいい、それが教養である。」
消費の街、福岡にいると本当に大切なものは何だったのか、どこから来て、どこに行こうとしているのか、わからなくなってしまうことがあるのかとも思います。しかし、金澤さんのお話は、自分のルーツに立ち戻らせてくれるお話でした。
岩 井


















