建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!

http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2151339.html

http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2146101.html

2020年11月21日(土)九州大学芸術工学部「芸術文化環境論」集中講義へ非常勤講師として丸尾焼五代目金澤一弘氏来学、開講!!

http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2147403.html

http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2147291.html


九州大学芸術工学部「芸術文化環境論」集中講義に非常勤講師金澤一弘(丸尾焼5代目、熊本県伝統工芸協会会長)氏が来学!


 
http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2112315.html

さて5月31日(木)5時限、6時限、さらに7時限を用いて九州大学芸術工学部「芸術文化環境論」集中講義が開催されました。
非常勤講師には熊本県天草市から金澤一弘(丸尾焼5代目、熊本県伝統工芸協会会長)氏が来学されました! 

氏のお話は芸工キャンパス最大収容の511教室を会場に、芸術情報設計学科2年、環境設計学科3年を中心とした80名近い学部受講生を相手にたんたんと語りかけながら展開しつつ、身近な暮らしの中の話題から現代日本が大きな課題として背負っている地域社会や市民社会の再生をどのようにめざしていけば良いのか、そうした動きの中にどのように学生諸君がみずから起業できるビジネスチャンスがどこにどのように隠されているのか、わかりやすくかつ意表を突くような視点満載の講義となっていきました。


2017年度後期集中講義『芸術文化環境論』その1金澤一弘講師担当(11月11日(土)14:50〜18:10)を開講しました!

はるばると熊本県天草市から馳せ参じてくださった陶芸家・熊本県伝統工芸協会会長・丸尾焼5代目の金澤一弘氏が『芸術文化環境論』集中講義を通して、重要な示唆を投げてくださいました。

私たちはどこから来て、今どこにいて、これからどこへ行くのか。

第14回天草大陶磁器展実行委員会実行委員長として行われた所信表明から、講義のコンセプトが練り上げられていかれました。
(以下、『第14回天草大陶磁器展』パンフレットより抜粋 http://amakusatoujiki.com/about/


『一所懸命』
 今年のはじめより、今の天草はどこから始まったのだろうかと考えるようになった。私は物事を考える時、それは『何処から来て、今、何処にいて、これから、何処へ向かうべきなのか』と思考する習性がある。今の天草は何処から始まったのか?
 そのことを考え続けていたら『島原・天草の乱』以前と以後が、かなり違っているのではないかと思うようになった。『島原・天草の乱』以後の天草は、天領となり鈴木重成が初代代官として治めた。この頃の天草は人口が半減したと言われており、全国各地より入植が行われ、今の天草の原型が出来たのではないか。
 そして、当時の状況は今の天草によく似ているのではないか。一瞬で人口が半減した当時と、数十年かけ人口が半減しつつある今とでは、人口減少の速度は違うが、島の人口が半分になる危機的状況は酷似している。鈴木重成の時代には、緊急避難的に外部からの入植策で急場をしのいだが、今の人口減少に対応する方策の一つとして考えても、外部から天草に移り住む人を、増やしていく必要があるように思えてならない。
 陶芸の産地化は西暦2000年に開催された、県民文化祭『ミレニアム天草』より始まった事業だ。世界有数の陶磁器資源である『天草陶石』を産する天草を、『陶石の産地から、陶磁器の産地へ』という島民の悲願を受け始まった取り組みで、以来18年間継続されている。陶芸への認識も高まり『天草は陶芸が盛んなところですね』と声を掛けられることも多くなった。『天草はどんな産地を目指すのですか』そんな私に対しての問いかけも増えている。
 天草は工業的な産地を目指してもおぼつかないだろう。日本は世界的に見ても、工業的な意味での陶芸の先進地が沢山存在するからだ。資本に乏しい天草の陶磁器が目指すべきは、工芸的な産地、すなわち、手を使いアーティカルで多様な陶磁器産地を目指すべきだろう。そう考えた時、鈴木重成の兄である鈴木正三の業績に思い至った。正三は天草の再興のため、弟である鈴木重成に乞われ、天草に来島した禅宗の高僧で、島民の安寧のために寺を建立し、現在の天草の精神的な礎を作った人だ。『破切支丹』を書き、切支丹の教義に対する反論を展開したりもしたが、江戸期以降に成立した、日本人の労働倫理を決定したと言われる『万民徳用』もあらわし、『労働即仏道』を唱えた人でもある。徳川時代以前の徒弟制度を中核とする職制を集約し、日本独自の職業観を示した人だ。『百姓は鍬を持ち、一心不乱に田を耕すことにより仏性へ至る』
 一隅を照らすもとより陶芸家はそういった志を持つべきだと思う。今の言葉で書けば『陶芸家は一心不乱に土と向き合い、天命へ至る』という事だろう。西洋的な労働観が強い『働き方改革』が国の主流となり、労働時間の短縮ばかり言われるが、天草は『働き方復興』を謳い上げるべきではないか。陶芸はもとより、天草には石工の職人も多く存在する。自然環境での製塩に情熱を傾ける人。新鮮な海産物でとびきりの料理を作る職人。腕の確かな大工。これらの人達はすべて明治以前に作られた職業制度で、技術を習得した人たちだ。そういった技を持った職人が、連携しながら天草を作り上げることができれば、他所にない素晴らしい天草が出来上がるはずである。一生懸命。一所懸命。天草復活の鍵はここにあるように思えてならない。
 今年の天草大陶磁器展には、110の窯元と30名のクリエイターが全国から集まることとなった。物産関係の出店も21軒。これ以上は天草市民センターに入れないと思うほどの人達が集うこととなる。さらに今年は全国各地から一つの道に精進し、道を極めようとしている、多数の人達に来ていただくこととした。各々のゲストの人たちは、鈴木正三が謂う『一心不乱に努力を重ね、天命を得ようとしている人たち』このような人たちが普通に住めるような島を作ることができれば、天草は素晴らしい島になるに違いない。見果てぬ夢かも知れないが、そんな天草ができればと考えている。

天草大陶磁器展実行委員長 金澤一弘

 


http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2101793.html



6月13日(月)「芸術文化環境論」非常勤講師に金澤一弘氏をお迎えして有意義な講義を戴きました。

http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2071660.html

2016年6月13日(月)「芸術文化環境論」非常勤講師に熊本県天草市より丸尾焼五代目金澤一弘氏をお迎えして有意義な講義を戴きました。



2015年6月1日学部「芸術文化環境論」丸尾焼5代目・金澤一弘先生の特別講義が行われました!

http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/2039049.html

藤原先生が学部生向けに開講している授業「芸術文化環境論」では

各地の現場で活躍されているスペシャルゲストが講師として来られ、
学生たちに、普段の大学生活では知ることのできない刺激的なお話をされ、
私たち学生はこのゲスト講師のお話を聞くのを楽しみにしています。
 

今回の非常勤講師は金澤一弘先生。
2015
年6月1日(月)5時限、6時限と集中して開講されました。

江戸時代から天草下島に続く陶芸の窯元「丸尾焼」の5代目として日々芸術活動や
工芸の普及に取り組んでおられる天草のキーパーソンです。
また天草のみならず熊本県伝統工芸協会会長、大天草陶磁器展実行委員会長等の熊本県の中でも要職を兼務されています。

 今回、金澤一弘先生が打ち出した講義テーマは「我々はどちから来てどこにいてどこへ向かおうとしているのか?」です!
 私たち若い学生で、このようなことを考えながら日々暮らしている人はいるのでしょうか。興味深い金澤先生のテーマに期待を持って聞き始めました。

陶器を作るのは、およそ何年続いているのでしょうか?」そんな問いかけから始まりました。


300
代つづいていることになる。私の仕事の背景には300人の仕事があるわけです。でもこれは、縦軸だけです。横軸になると膨大な人々がいる。どれだけ多くの時間が焼き物を作るという行為についやされてきたのか。父の父の父の…。誰かがだれかに伝えたということになりますね。伝統的な仕事は人と人の営みの中で行われてきたものなのです。」 

「我々は何処から来てどこにいてどこに行こうとしているのか。昔からの技術はつながっている。
立花隆はこういうことを言ってました。自分はパスカルの「考える葦」という言葉が好きである。人間は自然の中で最も弱い一本の葦である。しかし、全ては考える中にある」

金澤先生はパスカルの「考える葦」ということをキーワードにして、子供時代を思い出します。子供の時お母さんと一緒に話した時自分はどうやって成長していったのか、自分が生まれる前はどうなったか、その前は?その前は?という質問を続けながら、そしたら今からはどうなるか、10年後は?100年後は?ということを考えて行ったというのを話しました。その同時に学生たちにも質問をします。

 

「1万年後に人類が存在すると思う人?」

「1000年後には人類が存在すると思う人?」    


金澤先生は、才能のある工芸家の方々には、宇宙観というのが存在していて、その宇宙観というのはビックバンが起こった瞬間があって今があって宇宙が拡散して行く未来がある。その未来からその先はどうなるのか?まだ戻ってくるかも知れないが、それは自分の作品に対する認識である。自分が自分の作品の中に宇宙を閉じ込めることができないなら自分の作品は作品として発展していかない。という話をしました。その時私は自分の宇宙観はどんなことなのか、私が今考えている、作っていこうという宇宙観は何なのかを考えてみるようになりました。


その後は「リテラシー」という話がつづけます。

まず、「リテラシー」というのは何らかの表現されたものを適切に理解解釈・分析・記述し、改めて表現するという意味に使われている言葉です。

どんな分野でも我々はこれがいつから始まって今ここにあって結果としてどこへ向かうのかのを知ることが重要であることで例えば、地方のばあいは天草はいつから人が住み始め、そしていつから経済成長が起こり、その中でどのように発展し、今があり、今からはどこに行こうとしているのか?

そのような中にはリテラシーが入っていることでそしたら「ライフリテラシー」とは?人生を幸福に生きるための知恵だと金澤先生は説明しました。

 

それで結局、我々は今の現在位置(大学生の位置)どこから来て今どこに行って今からどこに行かなければいけないついては不明であるが、まずは我々が学ぼうと思っているのが歴史的にいつ始まったのものなのか誰がはじめたのかそしてどういう歴史で来て現在はどういう社会の学問と向き合ってるのかというのをまず理解し、それからどこに行かなければいけないのかというのを知らないといけないし、その同時に自分が今学ぼうというのが外国ではどのように論じられているのかのも知らなかったら日本でしか学ぶことができない。そんな可能性があるという話を金澤先生は結論として話しました。

 

 

ホーキング博士の話もありました。ホーキング博士は「我々の人類は後100年で次回にとってかわられる」つまり、このホーキング博士の話は100年と言っても後30年後には実現するが、我々は機会にとって変わられて機会に使われる人生のポジションになるという意味で、もしかして、30年語に機会に遅配されることだったら我々の位置はどこなのかという問題ができるという話でした。現在、誰でも持っているケータイは8万円ぐらいします。ケータイを多くの人が持っているのは一つの理由で欲しいからです。でもたった8万円するケータイに我々の人生を追うのは違うことで自分が欲しいものがそのぐらいだったら未来に困る。もっとも重要なのがケータイ以外にあるかもしれないという話でした。

 芸術情報設計学科の学生たちにたいしては、
「君たちは 自分の立ち位置が実に不明確である。社会と学問がどこに向かおうとしているのかを知っておくべきです。今君たちは何を勉強しているのかということがわからないと日本でしか生きていけない。」

 

 

授業を見守る藤原先生も、金澤先生に質問を出されます。
いろんな質問の中で私は次のことが印象的でした。

・学生諸君は将来に向けて、どのような人生観や社会観を身につけながら、歩んでいけばいいのだろうか?

この質問に金澤先生は「疑え!今自分の現在、歩いていることについて疑いながら生きて行くのが重要であり、世界には頭が良い人は多いがその中で発信者、主体者がなるのが重要である。どんな分野でも発信者になるためには知識が必要になってくる。」

2コマ分の話題が溢れかえる熱気溢れた講義となりました。

その後も時間を超過して受講学生たちの質問や意見交換にも答えてくださることになりました。
場所を代え、5階藤原惠洋学生研究室に多数の学生が馳せ参じてきました。
 
金澤先生は見事にすべての質問や意見に答えを返して行ってくれました。
こうした話題が盛り上がる中、藤原惠洋研究室の学生グループが用意をした軽食や飲み物等を提供していただきます。
フランクな気持ちで食べながら金澤先生と会話が続きました。
講義ではなかなか出すことのできなかった個人的な質問を金澤先生にぶつける学生も出てきました。
大学生たちは自分の人生に悩んでいる質問を放ちながら丁寧なアドバイスやコメントをもらったり、将来の夢や生き方に関する話をしました。
そして集まった人々の過去や現在、将来の話を皆でするようになって今までどんな目標として生きていたのか、今からはどうするつもりなのか、等講義がさらにここでも盛り上がっていきました。

私はこのときの金澤先生の話を聞いてから、いろいろな考えをするようになりました。

現在、私も同じですが、多くの若者はケータイを1日5時間以上はしていると思います。そのような現在だったら本当に30年後には機械に使われる人類になってしまうかもしれません。うかつにしていれば時間の問題かもしれない、ということに気がつきました。

1日何時間でもしているケータイやパソコン、そこでは調べたら何でもすぐ得られるという長所もあるのですが、1日中小さい画面を見るよりもっと重要なことを忘れてしまって生きていたのではないかと自分を振り返るようになりました。

私たちの世代には勘違いが横行しています。すべての問題の正解が、ケータイやパソコンに入っていると思ってしまっています。けっしてそうではなく、解答という情報やコンテンツを私たちはみずから生み出していく必要があります。

私が考えている私の将来の夢について、あらためて私自身がこれで成し遂げることができるのだろうかと自分を疑いながら、受け手ではなくみずから情報発信者になるため一生懸命研究を続けようと思いました。

M1 張 榮 

丸尾焼の5代目・金澤一弘さん、学部「芸術文化環境論」で学生に語りかける2014.7.14


http://keiyo-labo.dreamlog.jp/archives/1992445.html

「陶芸の仕事はなぜ世界中にあるのでしょう?」

 天草にある丸尾焼5代目、金澤一弘さんのこのような問いかけから授業は始まりました。手仕事を生業としている金澤さんの問いかけ、学生のみなさんにはどのように響いたのでしょうか。

先ほどの問いに対する答えは、

 「粘土が世界中にあるからです。器や呪詛的なものをつくることができる。
形を作る、そして、その形をとどめる。その流れの中でモノをつくるという仕事がある。」
 
「産業革命以後、工業的に生産されるようになり、安価なものが大量生産されるようになった。大量で安価につくれる。江戸時代は工芸は日常、明治以後、工芸の仕事がどんどん少なくなっている。」

金澤)「陶磁器を日常生活の中で使っている人はいますか?焼き物を作った時はどんな感じでしたか?」

(学生)思っていたものと作ったものが一致しない感じだった。
(学生)思った形、色にならなかった。
(学生)土から水分がなくなってパリパリになった。


(
金澤)「モノをつくる行為は普通だった。昔の車なら修理できるが、今はブラックボックス化して、手の届かないところにいってしまった。大量生産、大量デザイン、 人件費の安いところに発注する。

「日本では修業期間が長い。作品をつくって売るという段階になると、人件費で作品への値段に差が出る。

先進国の手間のかかるものは減っていく。人件費の安いところから安い大量生産のものが入ってくると、工芸は追いやられる。」

「賃金が高いから作品も高いということになる。懐刀(子供が生まれた時に作る刀)は、120万する。鋼をたたいて装飾までする。肥後象眼にくまモンを入れたら、片面3万。工業的に成熟した社会では、工芸の立ち位置は低い、親をみているとサラリーマンがいいという。」

金澤さんは30年にわたり工芸の仕事をしてきました。36年前と今の価値観は変わっているとのことです。
 確かに、私は安くて「こ洒落た大量生産品」で日常生活は間にあっている部類に入っております。工芸的なもので持っているのは小鹿田焼きの器が1つと蕎麦ちょこ3つです。〇〇焼きにあこがれはありますが、生活に取り入れるところまではいきません。生活にもっと工芸の美があったら、きれいな生活ができるのだろうと思います。
 
 金澤)「工芸という仕事がダメになってしまうのではないか。伝統的工芸の産業を変えていかねばならない。ということで、2000年、天草の焼き物を何とかしようという話が持ち上がった。県民文化祭をきっかけに10年かけて町をまわった。地域にある固有の文化を職業的に成立させる形にしようと言うことになった。みんなが中央主義志向、地方は人口が継続的に減り続けている。天草では、伝統的・文化的資源を見直して産業に育てよう、建築。陶芸を産業として育成する可能性があるのではないかとした。天草陶石があるので、陶石の島から陶磁器の島へ。焼き物を地域の地場産業にしよう。と言うことである。」

 「福岡は人口があるから売れる、天草は10万人地域なので、努力しなくては売れない。どれくらいのバランスで地域をつくっていくのか、15年活動して、10件の窯元が35件になった。少しずつ窯元を増やしてきた。
全国的にみると、200件を超えると産地と言われる。江戸時代は士農工商があり親の仕事をついでいた。江戸になり、職業の自由がでてきた。-お父さんの仕事をつぎたい人はいますか?-いない。連鎖するものが希薄になってきた。30年後はどうなっているの?自分たちの田舎の10年後、20年後どうなっているか、
工芸の10年後、20年後どうなっているか、を考えてみてほしい。」
 

 

(金澤)県の伝統工芸の会長の仕事をしていて、農耕馬の蹄鉄をつくる仕事をしている人とあった。生活の中にその品を使う文化が無ければ、それは滅びる。

(金澤)「付加価値とは何か。私の手が付加価値で、私が死んだら私しか作れないものは消滅する。価値ある特別なものを特別なところに、最高のものを作ることができるかというところが要である。格別に小さい宝石のようなものをつくる。エクストラスモールの集合体を作って行く。すべての地方が小さな特別なものを作り上げていくのがこれからの姿勢であろう。下町で何かを磨いているのもエクストラスモール。今後はエクストラスモールの時代であると考えている。」

藤原研究室では毎年4月に新入生歓迎・牛深ハイヤ踏査をしております。これは丸尾會という金澤さんが天草で作った牛深ハイヤを踊る会に入れてもらうという形をとっております。

 そこで藤原先生から、
(藤原)丸尾會をなぜ作ったのですか?
(
金澤)牛深ハイヤ節は全国のハイヤ系民謡のルーツで、阿波踊りもこれである。コミュニティの祭りをどうするか、以前は小学校や地域が祭りを担っていたがなくなった。ヨリシロとしての祭りの会、これが丸尾會です。
人間を小さなコミュニティに戻していく、共同体に戻していく、理想的な社会はピラミッド社会である。長老がいて下に若い人がいる。これは、豊かで安定的な社会、全体を若い人々が支える、ということです。

(藤原)学生はどこから取り組むべきですか?
(金澤)自分はどこから来て、生まれる前にどういうものがあって、どこにいて、どこに行こうとしているのか
、「自分が生まれたところがどういう場所で、何を使っていて、どういう営みをしてきたのか、現代と向き合って、どこに行くのか」 自分の知らないところでの興味を持って、
ちょっときになるものでも使ってみたらいい、それが教養である。」

 消費の街、福岡にいると本当に大切なものは何だったのか、どこから来て、どこに行こうとしているのか、わからなくなってしまうことがあるのかとも思います。しかし、金澤さんのお話は、自分のルーツに立ち戻らせてくれるお話でした。
                            岩   井



cc65d000-s-1


937f9858-s-1

2658e1ea-s-1

53b323fb-s

0f8b6a96-s

3a1e47f7-s

3e886d2e-s

96876675-s

5fd5b3d3-s

8b2efdfb-s

a00d4870-s

16cef1cf-s

a1ffc6df-s

b16d41f8-s

128b10e7-s

98d762da-s

7e76179f-s

48e19fef-s

b5fdf046-s








Add Comments

名前
 
  絵文字
 
 
プロフィール

藍蟹堂

藍蟹堂。感受性は海の底から波濤や世界の波瀾万丈を見上げる蟹そのもの。では蟹とは?

『日田ラボ』 最新記事
『きくけん』 最新記事
カテゴリ別アーカイブ
月別アーカイブ
記事検索
ギャラリー
  • 8月11日(月祝)第41回アルティザン・トーク 幸田亮一先生・市原猛志先生、そして大分鉄道ファン倶楽部の山田哲也さん登場!豊肥線は2028年に開業100年を迎えます。
  • 20250717池田庵主人、朝地町用作公園近隣に位置する池田農園にてナス、トマト、キュウリ、小松菜、大葉、紫蘇の葉、そしてイチジクを収穫!!
  • 20250717池田庵主人、朝地町用作公園近隣に位置する池田農園にてナス、トマト、キュウリ、小松菜、大葉、紫蘇の葉、そしてイチジクを収穫!!
  • 20250717池田庵主人、朝地町用作公園近隣に位置する池田農園にてナス、トマト、キュウリ、小松菜、大葉、紫蘇の葉、そしてイチジクを収穫!!
  • 20250717池田庵主人、朝地町用作公園近隣に位置する池田農園にてナス、トマト、キュウリ、小松菜、大葉、紫蘇の葉、そしてイチジクを収穫!!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
  • 20250716竹田玉来の梁山泊池田庵にて未来まちづくりを構想し合う老若男女夕宴!
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ