建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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第15回 菊池まちづくり道場

日 時: 20131221日(土)1900〜21:00

場 所: 菊池市御所通 旧松倉邸

ゲスト: 田村直美さん 菊池養生詩塾塾長

 

九州大学大学院芸術工学研究院藤原惠洋研究室が熊本県菊池市より受託し進めてきた菊池文化資源総合調査のいっかんとして開催されている「菊池まちづくり道場」は、毎回ふ印ボスの藤原恵洋先生が聞き手となり、菊池で独特の活動を展開するまちづくり・まちづくろいキーパーソンとも言える方をゲストに迎え、その方の人生や菊池まちづくりへの関わりを通し、生きる知恵やまちづくりへの示唆や教えを共有しようと設けられた対談会のひとときです。
菊池地域の話題や人の魅力を掘り起こしていく継続的な取り組みとして2年目に突入、おおむね毎月第4土曜日の夜に定期的に行われています。

* 以下の掲載内容はすべて田村直美さんご本人にブログへの掲載許可をいただいています。

田村直美さんの存在感 


気さくで包容力のある田村直美さん。私たちの研究室でも長い間、いろいろお世話になってきました。

菊池郡砦村(現在の菊池市七城町)で生まれ育ち、ご結婚を経て東京に住まわれた。
ご主人の公一さんは警視庁の警察官として暴力団対策専門。柔道6段、素晴らしい

柔道家だったとのこと。

この間、田村さんご夫妻は40年来東京居住であっが、公一さんのリタイヤを機に、第二の人生を過ごすために故郷の菊池へ戻って来られた。

Uターンのため人づてで手に入れた田村家は、出身地の七城町水次に隣接する山崎に位置する見事な屋敷であった。

九州大学の演習時に民泊を願い出たことが奇縁となり、その際に調査をさせていただくことになった藤原先生は建物の竣工を跡づける一次史料とも言える棟札を発見することができた。
驚くことに、なんと明治34年の竣工。田村さんが住むことになった家は以前、菊池郡市の皮膚医家として名高かった桑満医院の母屋であった。このことが端緒となり、建築史学の専門家である藤原先生はこの菊池一帯には江戸期から明治、大正、昭和にかけての古い建物が相当数あるのではないか、と強く感じるようになり、歴史的建造物を見つめ直すことで菊池の再生をすることができるのではないか、と考えるようになったという。最初のきっかけがこの田村家との出会いであった。

七城町に帰還した田村さんは女性・婦人としてのみならず、環境問題やまちづくり勉強会といったもっぱら男性中心の会合や集いに参加するようになり、ひときわ異彩を放ったという。
喧々諤々とした男性中心のまちづくり勉強会や会議の際に有機野菜や手づくり料理を持参しふるまうことで人々の心を和ませてきた。
その存在感たるやみんなのお母さん的存在と言えるだろう。
菊池のまちづくり団体である菊池養生詩塾が設立されることになった時にも創設メンバーとして名乗りをあげ、定例会を開催する際の下支えや軽トラ朝市サポートといった地道な活動を継続的に展開されてこられた。その後二代目の塾長と推挙されることとなった。 

 


 田村さんのあゆみ
 

田村さんは満州生まれ。生まれつき、男の子ではないかというくらいやんちゃな一人っ子であった。
子供のころは警察犬と雀と遊んでいたという。
お父さまは長男であったが、志願して大陸に渡り、警察任務、戦時中は特務機関に所属されていたのではなかった。そのためシベリアへ抑留され、軍事裁判にかけられ昭和22年に特別戦犯で処刑されたという。

まだ2歳の頃、真っ暗な防空壕でも泣かないでじっとがまんすることができた、しっかりした女の子だったという。昭和21年引き上げ、その前後、お母さまはじつに苦労されたという。

引き揚げ船に乗る時、お父さまは連行され、一緒に帰国することができなかった。そのことを3歳の時でも覚えている。

子どもの頃、一時的に伊豆に住んだことがある。叔父、叔母と一緒に暮した。海洋学者の叔父は臨海研究所で働いていた。伊豆の小学校では熊本弁の言葉がおかしいと言われたこともある。子どもの頃は菊池も賑わっており、たいへん盛況だった初市のこともよく覚えている。

 

戦後の苦難を経て明るく成長、ご結婚を機に熊本から東京へ移住された。
大陸の生まれだからか、熊本を離れることにはさほど未練はなかったという。
子供が好きであったので保育士になりたいと考えた。
東京都中野区に在住、区役所の職員として保育士になり、養護施設などに住み込みで働くようになった。水仕事も多く、手は常々あかぎれやひびわれに悩まされたが、それでも子ども達と一緒にいることが好きであった。
保育園が不足していたため、入園できない待機の子どもたちが遊ぶ公園に出向き巡回保育を行った。
歌ったりアコーディオンを演奏して子どもを集めて保育をおこなった。
2人組で公園に行くと、3〜6歳くらいの子どもたちが当時50人、100人も集まってきたという。
童謡、民謡など田村さんも演奏し、1時間から1時間半ほどのプログラムを楽しむ。
午前中1箇所、午後1箇所、毎週3日ほどまわったという。

 

子どもを育てるために教えられた忘れられない言葉がある。
「子どもは大切な宝物ですから、片手で扱ってはいけなません。両手で招き、両手で頭を撫で、愛でなさい」

東京オリンピックが終わった頃、小平、小金井へと移った。

 
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田村さんとまちづくり
 

その後、さらに所沢へ。そこに住む頃から環境まちづくり活動を行うようになった。
平成元年、上尾市で開催された比嘉先生の講演会を聴いたことが機縁となり、田村さんも所沢で勉強会を開くようになった。市民の会を通してEM菌(有用微生物群)を利用し生ゴミを熟成
させてコンポストを1年間達成することができた。その後郊外に畑を借り野菜を育てるようになった。
当時は捨てられた植木鉢の土や、保育園の生ゴミを回収するようなことも行っていた。市議会議員さんが集うところで、生ゴミを持ち込んで匂いを嗅がせるなどしてこの活動を訴えた。
 

田村さんたちのような新住民が旧住民の農家のかたと良好な関係を作ることはなかなか珍しかったが、田村さんはその垣根を乗り越えて活動を展開した。自らを「出稼ぎだから」と言いながら農家の方々の脈々と住み暮らす姿に敬意を払い交流を深めていったという。
その活躍ぶりは、 田村さんが所沢市を離れる際に所沢市長さんが残念がったほどであった。

リタイヤ後、40年ぶりに菊池に戻った後、周りの方々は親切に接してくれたという。
御宮さんの行事なども教えてもらい、上手に馴染むことができた。
ご主人さまは趣味の写真活動を楽しみ、田村さんは再び緩やかなまちづくり活動を始めるようになった。

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がんサロン「しいの木」の活動レポート記事はこちら
 
がんサロン「しいの木」の取り組み
 

そうは言いながらも、リタイヤ後の心身は若い頃とは異なっている。40代、50代の頃に所沢で行っていた活動量に比べ菊池の中での活動がずっと減ってしまったという。
 その時その時、身の丈にあった活動を現在も行うことにしている。
 

 その一つががんサロンの取り組み。
田村さんのご主人は、たいへん剛健な方であったが、昨年がんの病気で亡くなられた。

それ以前、ご主人の発病を機に、田村さん夫婦はがんサロン「しいの木」を立ち上げられている。
ご主人がお亡くなりになった後も継続されている。

 当初、
がんサロンは熊本大学で開催されていた。
ご主人の闘病生活が始まったため、田村さんご夫妻も参加することになった。
しかし自分の家でも開催できるのではないか、と考え、がんサロンを開くこととなる。
参加費は300円。しかも集まった方々への
毎月の集まりはお茶菓子代300円のみ。少しづつ仲間が集まるようになってきた。
サロンは緩和ケアのようなもので、自らの病気を語る人もただじっと聴く人もおられる。とにかく自分の病気と対峙し、病気である事実を受け入れ、そして仲間と治療に励む気持ちを作り出すことが目的であった。毎月5日に定期開催し、継続してきた。評判も広がるようになり、先月は福島から視察の方が来られた程である。

また田村さんはテルミーの療術師の資格を持たれる。自らの四十肩などの体調不調から始めたものだが、もともとは母がテルミン療法を行っており、田村さんの人好きな性格を見て療術師の資格を取ることを薦められたのだという。テルミーは多くの人々の支えになっているようだ。



養生詩塾の塾長として


ご主人を看病された苦難の体験を経た後、一人になったものの、あらためて自分の力を世間に役立たせていきたいと思うようになった。そこから養生詩塾塾長をお受けすることとしたが、塾長という肩書きは、若い人の協力があるなら受けようと思ったものであった。
養生詩塾は一芸に秀でた人が集っている。現在はさまざまなことを広く浅く行っているので、もっと的を絞って活動をすることで力が120%注げるのではないか。そのような選択がそろそろ必要だと思う。

負担になることであってはいけない。皆が気持ちよく参加できる場を作るべきである。


市民相互の「世話焼き」がまちを作り上げていくのではないかと思う。
それは昔のように誰もが縁側に集いお茶を飲むといったことかもしれない。
地域に対するささやかな意識と活動がまちの息吹を豊かなものにする。
最近はそのようなことを行う市民も減ってしまい、その空白を制度としての「行政」や「条例」といったものに頼るようになってしまったのではないだろうか。
行政や条例も必要だが、市民はあまりにおもねってしまっている。

ひとりひとりの得意技をもちよって、公共を育てていくための工夫が必要である。

ほんとうに気持ちよく高齢者を支えることができるのは、じつは高齢者そのものであったりする。
高齢者同士が同世代としての経験、弱み、痛みがあるからこそ、伝えやすく、支えやすく、出来ることがあり、恥ずかしさも少ない。
今後はぜひそのような活動を等身大のペースでしていきたい、と田村さんは思っておられる。

 
 
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対談の後には会場の参会者の方々と質疑応答を行いました。

岩手県遠野市からの参加者もおられました。
菊池まちづくり道場は、とても温かい雰囲気で、田村さんの人や地域に対する想いがじんと染み渡っていました。

 がんサロンに携わる女性も田村さんのお話に耳を傾け、アドバイスをいただいていました。
この日は、田村さんから美味しい蜜柑もふるまわれ、田村さんの優しさや菊池、人に対する愛情をひしひしと感じることができました。

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