平成の大噴火その時何が起こったのか
2020年8月28日(土)ふ印ラボの研究室ゼミ調査で、雲仙岳災害記念館(わが国随一の災害ミュージアム)がまだすドーム宮脇好和館長さんを訪問調査をしました。
同施設のHPには以下のような一文が紹介されています。
1990年11月から1995年2月まで続いた雲仙岳の噴火活動。38回の土石流と7回の大火砕流を中心として荒れ狂った自然のものすごさ。それを物語るのが死者41人、行方不明3人、負傷者12人、建物の被害2511件、被害額2299億4197万円という数字だ。けれども私たちはこの数字だけに眼を奪われてはならない。この数字が意味しているのは、学ばなければならない多くの教訓、生かさなければならない多くの経験がここにはあるということだ。
そう、私たちがまず知らなくてはならないのは、平成の大噴火のはじまりからおわりまでに、いったい何が起ったのかということ。それを知ることは、すさまじい自然のパワーを知ることなんだ。そしてそれにひるむことなく復興に挑んだ人々のたくましさを知ることなんだ。
<198年ぶりの大噴火>
1万5千人を超える死者を出した、【島原大変】と呼ばれる寛政4(1792)年の大噴火以来、雲仙普賢岳は荒れ狂うことは忘れたようにおだやかな表情を続けてきた。けれどもそれから約2世紀ののち、平和な眺めとはうらはらに、地下には熱いマグマが潜んでいたことを、島原半島の人々は思い知らされることになる。



































































