
2020年2月22日(土)熊本市の長崎書店3階リトルスターホールにて『石牟礼道子さん没後2年追悼トークイベント 道子さんのことを話そう』という追悼のトークイベントがありました。
主に渡辺京二先生による石牟礼道子氏の思い出話で、作家・石牟礼道子にこんな面もあったのかとわかる、明るく故人をしのぶ会となりました。
渡辺京二先生は、1930年生まれで著書多数。渡辺先生によると、石牟礼道子さんは、作家、歌人、俳人、詩人、エッセイストであるのに加え、歌や絵、料理と裁縫もとても上手だったということです。お父様は天草の下島出身、お母さまは上島出身で石工棟梁の娘でした。道子さんの義理の兄として版画家の秀島由己男氏がいます。


渡辺先生によると、(石牟礼道子さんは、)生まれた赤ん坊は自然の一部で、だんだん人間としてつくられていく、自然と分離されていく、人間という娑婆の子になっていくと考えていた。また、人間は欲を持っているがこれを否定するのではなく、いとしいものと思っていたということであり、書くことは「私の悲しみに準ずるためにやっている」ということであった。渡辺先生からは「人の悲しみをわが悲しみにすることができる」と表現されていた。また、水俣病闘争の最中のテントや拠点でカンパがおおかったということや、その場に多くの大学生がいたことなど、私には初めて知ることばかりでした。また、石牟礼道子が童女としての魅力に溢れた人だったということも私には新鮮なおどろきでした。




最後の幻のえにしの朗読がありました。
「幻のえにし 石牟礼道子
生死(しょうじ)のあわいにあればなつかしく候
みなみなまぼろしのえにしなり
御身の勤行に殉ずるにあらず
ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば
道行のえにしはまぼろし深くして
一期の闇の中なりし
ひともわれも いのちの真際 かくばかりかなしきゆえに
煙立つ雪炎の海を行くごとくなれば
われより深く死なんとする鳥の眸(め)に逢えるなり
はたまたその海の割るるときあらわれて
地(つち)の低きところを這う虫に逢えるなり
この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして
われもまたにんげんのいちいんなりしや
かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて我も御身も
ひとりきわみの世を相果てるべく なつかしきかな
今ひとたびにんげんに生まるるべしや 生類の都はいずくなりや
わが祖(おや)は草の祖 四季の風を司(つかさど)り
魚の祭を祀りたまえども
生類の邑(むら)はすでになし
かりそめならず 今生の刻(こく)をゆくに
わかまみふかき雪なりしかな」






山水亭から山鹿に行き、温泉と山鹿灯籠浪漫、八千代座見ました。





岩井