(ふ印ラボ同人で熊本地震復興で活躍中の建築家宮野桂輔さんFacebookより転載)
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藤本さんは大工のくせに、まだ家が無いらしい。
無いと書くと、人聞きが悪いので、正確に書くと、地震で壊れた自宅を修理する時間が無くて仮住まい、という意味だ。
ちょっと前に奥さんに会った時、「うちまだなんですよぉ」とボヤいてた。
「相変わらず、段取りワリぃですね」と返したものの、言葉がそのまま自分に降ってくるのを浴びながら、「・・・うちの奥さんも同じことボヤいてますから、お互いねぇ・・・アホですねぇ・・」と、ほんの少し、藤本さんの肩を持ってみた。
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今から2年前、地震で壊れた森本襖表具材料店の解体が決まった時、
森本さんの判断を僕はもう止めなかった。
壊す事で前に進む人生もあるからだ。
ただ、建築に関係する人であれば、見れば瞬時に理解できる希少性を備えた家である。
見れば分かってくれそうな藤本さんに電話したら、案の定、ぜひ残したいです、ということになった。その後、様々な縁によって、森本襖表具材料店の主要な部分は丁寧に解体され、熊本市島崎の島田美術館に運ばれ、なんとか組み立てられ、その姿が蘇った。
地震が奪っていったものを、少し取り戻してきたような気がした。
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この家は明治19年に建築されている。
明治10年の西南戦争の際に、熊本の城下町は丸焼けになっているから、その当時はまだあちらこちらで再建の槌音が響いていただろう。この家が立ち上がった時、どんな苦労を乗り越え、それがどんなに誇らしい事だったろうかと、復興途上の身の上には想像に難くない。だが、この家を建てた大工・職人の名前は、今となっては辿りようもなくて、その顔を想像することすらできない。商いの舞台として、表構えの全面を開放しつつも、閉店時には簡単に板で覆い隠してしまう仕組みの見事さは、築後130年の間に詠み人知らずのデザインとなっているが、ねぇ、これいいよね、と誰かに伝えたくなる知恵が詰まっている。
歴史のある町というのは、そういう詠み人知らずのデザインが、町の隅々に埃のように積み重なっているのだと思う。旅先で撮った写真で面白いのは、天守閣とか大聖堂とかのスーパースターを記念に撮ったものよりは、誰かに「ねぇねぇ、これいいよね」って伝えたくて撮った個人的発見の記録だ。今となっては、いつ、誰が生み出したものなのか辿りようもない「デザイン」がそこにあって、つい素通りできなかった自分と、その意味を共有できる誰かがいてくれるのが楽しいのだ。
地震は、歴史ある町から、そういう楽しさを奪っていく。
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ま、それを取り戻そう、と考えた訳であるが、
一方で、現実的な僕としては、象徴的な大戸を1枚残せたら、それで良かった。だって、僕も藤本さんも、他のみんなも、家が無いのに、仕事に追われているのに、それどころではないのだ。だいたい、予算も無いんだから、無理は禁物でしかない。
結局、あれもこれもと拡大して、表構え部分だけではなく、関連する柱・梁はもとより瓦までレスキューして持ってきちゃったのは、僕の情熱というより、藤本さんとか、T田さんとかK口さんとか、呼び掛けに集まってくれた仲間達の情熱である。僕が「ま、この辺でいいんぢゃないですかぁ」と先のことを考えて言っているのに、手を止めなかった人々のせいである。あぁ、声を掛ける人を間違えたぁ!と僕が気付いた頃には、途方もない数の部材が島田美術館に運び込まれ、黒々と横たわっていて、「これは、いつ出来上がるのかしらぁ?」という好奇と怪訝の視線に晒されることになった。「近いうちにできますよ」が「そのうちにできますよ」になり、季節が巡り、ヤルヤル詐欺になりかけた頃、それは立ち上がった。地震の日から3年、解体してから2年も経過し、当初の情熱が焦燥で丸焼けになる頃だった。
その一連の様子を、ずっと横で追いかけていたRKKのドキュメントが今晩放送される。
真夜中の2時55分という、深~い時間帯で、おすすめするのも恐縮ですが、興味のある方は、録画の手配をお願いします。RKKの人が、一生懸命撮ってくれました。
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立ち上がった森本襖表具材料店の表構えを感慨深く眺めながら、
で、そういやぁ、藤本さんちはどうなった?と、本人に聞いてみたら、
いやぁ、それがまだなんですよぉ、ってやっぱり言う時の、その顔の情けないのが、まるで鏡を見るようだったので、「・・・奥さん、怒ってんべさ」と、お互いに、苦く、笑うよりほかなかった。















