31 回目のFDL デザインカフェは、パワープレイス株式会社
シニアディレクター/プロダクトデザイナーの若杉浩一さんのお話です。
デザインの本当の役割を追い求め様々うろついて、迷って、分かり始めたこと。デザインとはつながりを形にすることだった.....元々は一企業のインハウスデザイナーであった若杉氏。しかし地域や社会を想う中で、その活動はジャンルを越えたものに変わっていきました。氏が設立した「日本全国スギダラケ倶楽部」のお話など、様々に模索しながら社会と繋がっていくデザイン活動について伺います。
来週、大橋で喋ります。話の概要。
熊本、天草の田舎者が、九州芸術工科大学を卒業し、一部上場企業に就職し、プロダクトデザイナーとして東京で、仕事を始めた。
只々デザインという仕事に没頭した、悩む時間もなかった。
しかし、懸命に企業の利益のために、ひたすらデザインする時間が、自分をデザインを見つめ直すことにつながりはじめた。
「デザインは何のためにあるのか?」
「自分は何者なのか?」
考えれば考えるほど、何も見えない、恐怖と苛立ちと、自分の情けなさと、力のなさに繋がってしまった。そして、考えれば考えるほど、体の中から、得体の知れない汁のようなモノが溢れ出た。
今思えば、それは、「生きるという力」だった。
しかし、その行き場のないエネルギーのお陰で、僕は、組織から敬遠され、一人ぼっちになってしまう。
孤独は、人を覚醒させる。
一人で立つ決心を、強いられる。
「生きること」に気づくのだ。
そして、真実のデザインを求めて、身を捧げる事になる。
全く意味不明な、理不尽な、不合理な生き方だった。
会社の、ほとんどの人から見放され、罵倒された。
「ダメ社員」としてレッテルを貼られた。
傷だらけだったが、心は何故か、晴れていた。
うっすらと、光が見えていたからだ。
その光が、どこから来てどこへ行くのか? 未だに解らない。
何かに縋り、自分を偽り、豊かという盲目な「生存する」ための毎日が仕出かした事の結果が、地域の疲弊や、偏った社会に繋がっていた。
何ができるのか、何をしなければならないのか?
それは、出会った地域の人たちが導いてくれた。
だから、何も、悩む必要もなかった。
みんなの期待に流されていくことを決心したからだ。
社会や、地域でのデザインがこんなにも、嬉しくて、涙が溢れる事なのかを、思い知った。
自分の「役割」が、少しづつ見えてきた。
それは、「未来の誰かのために、美しいバトンを渡す」という単純な事だった。
だから、精一杯の愛を込めて、渡さなければならないと思った。
スギダラケ倶楽部の仲間は、そんな事を喜びにできる人達の集合体だった。
17年の孤独の日々は、親戚のような、仲間との喜びの出会いの時間だった。
そして、真ん中にデザインがあった。
お金は、大してないが、心は満ち足りている。