現在のベルリンはドイツの首都です、人口は約350万。第二次世界大戦の空爆やベルリン市街戦で壊滅的に破壊され、その後は連合国による東西分断。その後も冷戦時代を象徴する東西分断都市として知られました。1990年10月に東西統一され、翌年1991年6月にドイツの最大の都市として首都に復帰しました。
そんなベルリンの街を利用して思うのは、都市の中の移動がきわめてたやすいとうことです。
公共交通機関の地下鉄U-Bahn Berlin(通称ウーバーン)を中心にドイツ国鉄が経営する都市域内高速鉄道のS-Bahn(エスバーン)や市内をより細かく練り走っているバスと合わせて利用すれば、ベルリンの街の中をたやすく自由自在に移動することできます。
さて、その代表でもある地下鉄U-Bahn Berlin。今回の長期滞在では日々お世話になっており、都市の発展とともに沿線の延伸を続けてきたため、ベルリンの都市形成過程を知るには重要な指標となるのではないかと歩きながら考えました。
その中でもとくに創設UI線は印象深いものです。その理由を考えたところ、(1)ベルリン創設地下鉄であったこと、(2)地上高架と地下路線が混在しており地上部分からベルリンの都市空間を視覚的に認識しやすい、(3)駅舎や路線周辺の施設に世紀末デザインの影響が色濃く残されている、(4)ベルリンの重要な中心市街地を練り走っており利用価値が高いこと、(5)そしてなにより地下鉄U1線にはなぜ地上高架と地下路線が混在しながら走っているのか、その謎に気づいたのです。
U1線は世紀末の1896年、ベルリン高架・地下鉄会社が建設を開始し20世紀に入ってすぐの1902年2月15日にPotsdamer Platz駅からStralauer Tor駅(現存せず)間6キロで開業しました。
ベルリンで入手したS+UBhanの解説書、さらには一般社団法人日本地下鉄協会のHPの資料によると、もともとベルリンはスプレー川河畔に成立した都市であっため地盤が軟弱であったため建設も地上高架方式を当初より採用したとのこと。しかし現在のクーダムの中心に位置するカイザーウィルヘルム記念教会の周辺の景観が損なわれるのを防ぐために付近は地下空間とした、とされています。
しかし最近、ベルリンでじつに興味深い他の説を知ることができました。
ベルリンの市域が西側へ拡張していく大きな契機となったのはシャルロッテンブルグ王宮の成立と言われますが、その後周辺には良好な環境を求めて貴族貴顕が移り住んでいきます。さらに市井も発展を続け、19世紀終わりには同宮殿の門前ともいえる旧シャルロッテンブルグ市の人口が膨張を続けたため壮大なシャルロッテンブルグ市役所が建設されていきます。
同時に新たに建設されたのが創設地下鉄。高架を基本した事業に対してシャルロッテンブルグ界隈に住んだ人々が反対を示したため地下へ潜らざるをえなくなった、というのです。
高架部分と地下部分が混在している状況を最も把握しやすい箇所はU1のNolendorf駅付近であることがわかりました。周辺を歩き回ると、地下から地上へ路線が出てくる箇所に記念碑が設けられていることがわかりました。まさに世紀末芸術の影響下にあったユーゲントシュティールの意匠があらわに見られて大感激。しかしなぜこのような複雑な計画となったのか。あらためて検討をする価値はありそうです。
他にもいくつかの謎に気づきました。
その後、第一次世界大戦後の市域拡大に伴って広がった大ベルリンのエリアの(U5-U9)ではでは大型車体が登場しているため、乗っていて2種類の車両の内部空間の大きさの違いが明瞭にわかります。
第二次大戦時のベルリン市街戦では、地下鉄の駅舎付近には避難壕がつくられていたようです。現在は地下壕博物館が設けられており、観光客の地下探検ツアーが流行っています。
戦災では地下鉄も甚大な被害を受けたものの、戦後1950年までに復旧を完了。
しかしその後は連合国によるベルリン分割占領が始まり、続く東西ベルリンの分断は地下鉄運行にも大きな影響を与え、当時の映像資料を見ると境界線を走る際、地下鉄は警笛を鳴らしながら運行をしていたようです。
戦後復興期には延伸が続きU6以降を展開。しかしその建設中の1961年に地上ではベルリンの壁建設が行われていったため、やむなく開業を延期し、壁以降の東西ベルリンの運行は分断的に行われていたのだと言います。
現在、10路線、173駅、総延長146km。(BVG:Berliner Verkehrsbetriebe)が運営している。路線名は歴史的に成立していった順番に与えられており、創設U1はU-Bahnlinie 1、地下鉄1号線となります。そして初期の路線(U1〜U4)を走る車両は小型のままなのです。
またU-Bahn Berlinは1927年開業の東京の地下鉄敷設のお手本としても知られます。明るい山吹色の車体のカラーリングは見た目にもわかりやすい親しみやすい色だと思えます。天井高さを抑えた地下駅舎の様子や付帯する空間の様子も比べてみれば、よく似ていることに気づきます。
そんなベルリンの街を利用して思うのは、都市の中の移動がきわめてたやすいとうことです。
公共交通機関の地下鉄U-Bahn Berlin(通称ウーバーン)を中心にドイツ国鉄が経営する都市域内高速鉄道のS-Bahn(エスバーン)や市内をより細かく練り走っているバスと合わせて利用すれば、ベルリンの街の中をたやすく自由自在に移動することできます。
さて、その代表でもある地下鉄U-Bahn Berlin。今回の長期滞在では日々お世話になっており、都市の発展とともに沿線の延伸を続けてきたため、ベルリンの都市形成過程を知るには重要な指標となるのではないかと歩きながら考えました。
その中でもとくに創設UI線は印象深いものです。その理由を考えたところ、(1)ベルリン創設地下鉄であったこと、(2)地上高架と地下路線が混在しており地上部分からベルリンの都市空間を視覚的に認識しやすい、(3)駅舎や路線周辺の施設に世紀末デザインの影響が色濃く残されている、(4)ベルリンの重要な中心市街地を練り走っており利用価値が高いこと、(5)そしてなにより地下鉄U1線にはなぜ地上高架と地下路線が混在しながら走っているのか、その謎に気づいたのです。
U1線は世紀末の1896年、ベルリン高架・地下鉄会社が建設を開始し20世紀に入ってすぐの1902年2月15日にPotsdamer Platz駅からStralauer Tor駅(現存せず)間6キロで開業しました。
ベルリンで入手したS+UBhanの解説書、さらには一般社団法人日本地下鉄協会のHPの資料によると、もともとベルリンはスプレー川河畔に成立した都市であっため地盤が軟弱であったため建設も地上高架方式を当初より採用したとのこと。しかし現在のクーダムの中心に位置するカイザーウィルヘルム記念教会の周辺の景観が損なわれるのを防ぐために付近は地下空間とした、とされています。
しかし最近、ベルリンでじつに興味深い他の説を知ることができました。
ベルリンの市域が西側へ拡張していく大きな契機となったのはシャルロッテンブルグ王宮の成立と言われますが、その後周辺には良好な環境を求めて貴族貴顕が移り住んでいきます。さらに市井も発展を続け、19世紀終わりには同宮殿の門前ともいえる旧シャルロッテンブルグ市の人口が膨張を続けたため壮大なシャルロッテンブルグ市役所が建設されていきます。
同時に新たに建設されたのが創設地下鉄。高架を基本した事業に対してシャルロッテンブルグ界隈に住んだ人々が反対を示したため地下へ潜らざるをえなくなった、というのです。
高架部分と地下部分が混在している状況を最も把握しやすい箇所はU1のNolendorf駅付近であることがわかりました。周辺を歩き回ると、地下から地上へ路線が出てくる箇所に記念碑が設けられていることがわかりました。まさに世紀末芸術の影響下にあったユーゲントシュティールの意匠があらわに見られて大感激。しかしなぜこのような複雑な計画となったのか。あらためて検討をする価値はありそうです。
他にもいくつかの謎に気づきました。
その後、第一次世界大戦後の市域拡大に伴って広がった大ベルリンのエリアの(U5-U9)ではでは大型車体が登場しているため、乗っていて2種類の車両の内部空間の大きさの違いが明瞭にわかります。
第二次大戦時のベルリン市街戦では、地下鉄の駅舎付近には避難壕がつくられていたようです。現在は地下壕博物館が設けられており、観光客の地下探検ツアーが流行っています。
戦災では地下鉄も甚大な被害を受けたものの、戦後1950年までに復旧を完了。
しかしその後は連合国によるベルリン分割占領が始まり、続く東西ベルリンの分断は地下鉄運行にも大きな影響を与え、当時の映像資料を見ると境界線を走る際、地下鉄は警笛を鳴らしながら運行をしていたようです。
戦後復興期には延伸が続きU6以降を展開。しかしその建設中の1961年に地上ではベルリンの壁建設が行われていったため、やむなく開業を延期し、壁以降の東西ベルリンの運行は分断的に行われていたのだと言います。
現在、10路線、173駅、総延長146km。(BVG:Berliner Verkehrsbetriebe)が運営している。路線名は歴史的に成立していった順番に与えられており、創設U1はU-Bahnlinie 1、地下鉄1号線となります。そして初期の路線(U1〜U4)を走る車両は小型のままなのです。
またU-Bahn Berlinは1927年開業の東京の地下鉄敷設のお手本としても知られます。明るい山吹色の車体のカラーリングは見た目にもわかりやすい親しみやすい色だと思えます。天井高さを抑えた地下駅舎の様子や付帯する空間の様子も比べてみれば、よく似ていることに気づきます。
























































