
ドイツにおいてザクセン州の古都ライプチヒと言えば、トーマス教会の少年合唱団を指導しながらバッハやメンデルスゾーンがが生きた街としても知られます。ではいったいここで何が培われた街なのか?その数多い都市遺産群は今をどう生きているのか?いくつもの謎をまち歩きが解き明かしてくれます。
ドイツ国内最大と言われる駅舎ライプチヒ駅も戦災復興から見事に蘇っています。
トラムを駆使して街中へ。
このデモから東西ドイツの壁が無くなり、分断された東西ドイツがひとつへ結ばれていった、というライプチヒの矜持が解説されています。

このデモから東西ドイツの壁が無くなり、分断された東西ドイツがひとつへ結ばれていった、というライプチヒの矜持が解説されています。
音楽界ではいたって有名なゲバントハウス。もともとゲバント「GEWAND」とは衣服や織物のこと。その場所も織物の見本市会場だったところ。ライプチヒが衣服製造や織物業で栄えたことから生まれました。1743年ゲバントハウス管弦楽団が生まれ、初代ゲバントハウス(1781-1894)、2代目ゲバントハウス(1884-1944)はいずれも見本市から来た形状を「シューボックス」タイプとして起用。ゲバントハウス管弦楽団は世界最古の市民管弦楽団としても知られます。もっぱら宮廷専属のオーケストラだったものを、新たな市民主体の運営形式として運営、宮廷音楽をより広く市民社会へ音楽世界の魅力を広めていったのです。そこから現代に至る矜持としてゲバントハウスが名付けられています。

この街の都市空間によって中庭空間Hof(ホーフ)はなくてはならない重要な仕掛けです。
トーマス教会が見えて来ました。
バッハとの再会!
バッハとの再会!







































































































































