アンジェリカ・リデル演出の芝居。
シャウビューネで観ました。
そして、アンジェリカ・リデルとは何者か?
2015年、日本へも来日し上演されたその演劇作品は大きな議論を巻き起こしたことで知られています。
『フェスティバルトウキョー』のサイトより。http://www.geigeki.jp/performance/theater106/106-2/
東京芸術劇場プレイハウス
2015年11月21日 (土) ~11月23日 (月・祝)
このたびの作品上演は、母国スペインでもなかなか上演できないものとされており、シャウビューネ劇場で叫び続けた演出役の男は常に斧を持ち、自分が演出していく役者達の立ち振る舞いに対してのみならず、観客に向かって「おまえらはなんでここにいるんだ、なにを期待しているんだ、舞台の上で起こることを全部受け入れることができるのか、お前達も共犯なんだぜ・・・」と斧を観客席に向かって突き出し、次々と罵詈雑言を履き続けていました。
冗談じゃない、なにこれ!?と観ていられない、と鑑賞を拒絶して会場を立ち去る観客が続出。ぞろぞろ音を立てて半数以上の観客は会場を出ていってしまったのでした。
それでも私は何が起こるのか、結局、創り手と観客は共犯にすぎない、と長らく考えてきたこともあり、恐々と怯えながらも最後まで観劇を続けたのでした。
まさに「混沌と美が共存する詩的かつ過激な舞台」を目の当たりにせざるをえなかったのです。
そして起伏の少ない物語は終わりを知らずだらだらと進んでいったのですが、ついに作品は幕を迎えて、残った観客と舞台を演じた役者達との拍手喝采による交歓が生まれていきました。
帰路、空を見上げて気づいた満月が、いつもと異なったように見えたのは、私の中の「観客」であることが揺さぶられたからだったのではないか、と考え込んでしまいました。
シャウビューネで観ました。
そして、アンジェリカ・リデルとは何者か?
2015年、日本へも来日し上演されたその演劇作品は大きな議論を巻き起こしたことで知られています。
『フェスティバルトウキョー』のサイトより。http://www.geigeki.jp/performance/theater106/106-2/
地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)
バーランド=ウトヤ島
ユートピアと殺戮の島をつなぐ、
魂の詩(モノローグ)
性、暴力、狂気などをモチーフに、人間の魂の暗部を探求し、詩的な表現へと昇華させる鬼才アンジェリカ・リデル。過激で美しいその舞台は、アヴィニョン演劇祭を始め、ヨーロッパ各地の主要フェスティバル、劇場で上演され、多くの観客に衝撃を与えている。
今回が日本初演となる本作の主人公は『ピーターパン』のヒロイン、ウェンディ。ネバーランドと多くの若者が死んだ銃乱射事件(2011年)の現場ウトヤ島、年老いた男女が路上でワルツを踊る上海——3つの場所をめぐりつつ描かれるのは、少女でありながらピーターパンの「母親」を演じ続ける彼女の混乱と孤独だ。若さが失われる恐怖、母性神話への憎悪……それらはやがて、リデル自身が演じるウェンディの怒濤のモノローグとなり、客席を圧倒する。時に激しく、時に噛み締めるように、止めどなく吐き出される言葉の先に、私たちは何を見出すだろう。
<上演言語:スペイン語(一部英語、北京語、ノルウェイ語、フランス語)・字幕:日本語、英語>
作・演出・美術・衣裳:アンジェリカ・リデル(アトラ・ビリス・テアトロ)
ファビアン・アウグスト・ゴメス・ボオルケス シエ・グイニュー ロラ・ヒメネス
ジェニー・カーツ アンジェリカ・リデル シンド・プチェ
ジャン・チーウェン マキシム・トロウセット イエ・サイトー
フェイス(室内楽アンサンブル) ドン・ウー・シュエイン(中国琵琶)
- アンジェリカ・リデル Angélica Liddell
作家、演出家、俳優
東京芸術劇場プレイハウス
2015年11月21日 (土) ~11月23日 (月・祝)
フェスティバル/トーキョー15
このたびの作品上演は、母国スペインでもなかなか上演できないものとされており、シャウビューネ劇場で叫び続けた演出役の男は常に斧を持ち、自分が演出していく役者達の立ち振る舞いに対してのみならず、観客に向かって「おまえらはなんでここにいるんだ、なにを期待しているんだ、舞台の上で起こることを全部受け入れることができるのか、お前達も共犯なんだぜ・・・」と斧を観客席に向かって突き出し、次々と罵詈雑言を履き続けていました。
冗談じゃない、なにこれ!?と観ていられない、と鑑賞を拒絶して会場を立ち去る観客が続出。ぞろぞろ音を立てて半数以上の観客は会場を出ていってしまったのでした。
それでも私は何が起こるのか、結局、創り手と観客は共犯にすぎない、と長らく考えてきたこともあり、恐々と怯えながらも最後まで観劇を続けたのでした。
まさに「混沌と美が共存する詩的かつ過激な舞台」を目の当たりにせざるをえなかったのです。
そして起伏の少ない物語は終わりを知らずだらだらと進んでいったのですが、ついに作品は幕を迎えて、残った観客と舞台を演じた役者達との拍手喝采による交歓が生まれていきました。
帰路、空を見上げて気づいた満月が、いつもと異なったように見えたのは、私の中の「観客」であることが揺さぶられたからだったのではないか、と考え込んでしまいました。





















