以下、毎日新聞の高原克行氏(同じく、ふ印ラボ同人)の記事から引用します。
うずめ劇場の演出家、ペーター・ゲスナーさん=東京都渋谷区で2016年10月12日、高原克行撮影
旧東独出身の演出家が北九州市の若者と始めた劇団が20周年を迎えた。「怒りながら、びっくりしながら、笑いながら20年」という演出家の名はペーター・ゲスナーさん(54)、劇団名は「うずめ劇場」。25日から東京都墨田区両国の劇場「シアターΧ(カイ)」で20周年記念として「アントニーとクレオパトラ」(シェークスピア作、松岡和子訳)を上演する。【高原克行】
ゲスナーさんはライプチヒ生まれ。ベルリンの国立俳優学校やライプチヒ大学で演劇を学び、国立劇場スタッフとして俳優や演出家を務めていたが、ベルリンの壁が崩れて4年後の1993年、北九州市戸畑区の国立九州工業大でドイツ語を教えることにした妻と一緒に来日。31歳だった。
当時の北九州市は人口100万人以上。ライプチヒの倍に近かった。ゲスナーさんは「きっと大劇場がある。仕事もあるはず」と思っていたという。だが、北九州芸術劇場の開場は、その10年後。政令指定都市とはいえ、専任スタッフがいる劇場やプロ劇団のない普通の地方都市だった。
すっかり思惑の外れたゲスナーさん。記者は95年、そんな彼を地元の劇団「飛ぶ劇場」の舞台で見ている。変なドイツ人の役を演じていた。間もなく「劇団を始める」と連絡があった。「演劇のできる場所がないなら、自分で作ってしまえばいい」。96年の旗揚げ作は「我が友ヒットラー」(三島由紀夫作)だった。ドイツ語と英語と片言の日本語での演出だったが、勢いと力強さのある舞台に仕上がっていた。
うずめ劇場の「うずめ」はアメノウズメノミコトである。天の岩戸の前で踊って、アマテラスオオミカミを誘い出した女神を、ゲスナーさんは「演劇のお母さん」と呼ぶ。舞い踊るウズメのように、劇団は公演を重ねた。市が93年に町おこし策の一つとして始めた北九州演劇祭(現北九州演劇フェスティバル)を機に観劇人口が増えていたこともあって、北九州では有名になってきた2000年、ゲスナーさんは利賀演出家コンクールでグランプリに輝く。演出家の鈴木忠志さんが初代理事長を務めた演劇人会議による、演出家だけが対象のコンテスト。以来、うずめ劇場も福岡県外へ進出。04年には故蜷川幸雄さんが学長を務めていた桐朋学園芸術短大がゲスナーさんを講師として招き、07年には劇団の拠点も東京へ移した。
渋谷区のけいこ場で再会したゲスナーさんは日本語が上達していた。北九州時代からの俳優や桐朋学園で出会った若手たちと一緒に、20周年記念公演に向けて汗を流していた。「今も日本では外国人で“他人”だから、俳優たちとぶつかる。でも、だから面白い。『アントニーとクレオパトラ』もローマとエジプトのぶつかり合い。今の時代にぴったりの舞台になると思う」
















