
本年度第1回目(ガイダンス)の「芸術文化環境論」が始まりました。
藤原先生がこの授業で学生に考えてほしいこと、学生に取り組んでもらいたいことは何でしょうか。


インドのムンバイの写真を見ながら。
「ムンバイに産業クラスターがあり、ハリウッドに対してボリウッドという。
19世紀から広がったアートシーンを追っていてムンバイスタジオがいい仕事をしている。
西側に日が沈んでいく、このひとときを見てほっとする。」
「セザンヌが光に気づく。光に緑青黄色紫があるのをわかってた。」
「動物はこのインドの夕日に感動するのか。私たちの感動とは違うのではないか。」
「芸術文化とカタルシスはどう関係があるか。敢えてカタルシスという言葉を使うが、これは調べてみて下さい。」
注)そこで、カタルシスを調べてみました。(三省堂ワードワイズウェブより)
「カタルシスという言葉は、「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」を意味します。もともとは、アリストテレスが『詩学』に書き残した悲劇論から、「悲劇が観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する効果」をさす演劇学用語です。転じて、精神医療においては「抑圧されていた心理を意識化させ、鬱積(うっせき)した感情を除去することで症状を改善しようとする精神療法」をさします。さらに、一般化して、「心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること」をいいます。」

芸術文化/カタストロフィー
注)カタストロフィーは、2つ意味有
①自然界および人間社会の大変動
②劇や小説の悲劇的な結末
「自然界ではこのようなカタストロフィーが起こっているが、この授業での「環境」はメンタルな意味での環境とします。芸術文化も大きくとらえていきたい。」
「芸術は社会にどう影響を与えるか、社会はどのように芸術や文化を捉えているか」
「この講義は6割、学外演習4割です。 私たちの生活にとって美術館博物館、つまり芸術や文化は病院や商店と同じくらい重要か。」
アーツカウンシル東京の森隆一郎さんからは、このような連絡をいただいています。
「今回の九州の地震で被害に遭われた方々心からお見舞いを申し上げます。私は東日本大震災当時、福島に住んでいました。直接の被害がなくても、震災から受けるストレスはジワジワときます。触れたくなったら、どうか音楽や芸術に触れて下さい。長引く災害時には、上手にストレスをコントロールすることも大切だと思います。」
先生からは「日常を追認するのではなく、これからどうしたらよいのかの足場づくりにして下さい。」


芸術文化環境と社会をどのように結びつけるか。
そしてそれは社会の課題を解決するデザインであることが求められている。
そして君たちは何?-これが問われていると思いました。
「君たちはどうする」でも「君たちは何かするの」でもなく、「君たちは何?」
自分の存在を証明するよう促されている気がします。
自分は社会とどう向き合い、社会に対してどのようなことをするのか・働きかけるのか、ずっと受け身で生きていくのか、自分の為だけに生きてきた人々がどのように社会とかかわり合って大人として社会や世の中でものごとをやり遂げていくのか、大きな格差ある中で生きていくのか。
そんなことを問われているのではないかと思いました。


※以下は予定であり、変更があるかもしれません。これは熊本地震の前に用意したものです。








藤原先生はこの春、ブリティッシュコロンビア大学を見てきたそうです。そこには、身体芸術表現のためのオーディトリアムがあり、シタールによるコンサートをチャンセンターでしていたとのことで、
「町場から沢山の人がやってきて毎月4回コンサートをしている。日常の延長にホールや劇場があればいいなあとなるが、その前提としてお客さんではなくて、その主体として 美術館が病院と同じように必要かを考えねばならない。」




履修予定の学生の皆さんにマイクをまわして、自らの考えを述べてもらいました。
美術館や博物館といった文化施設は、病院や商店より必要ですか?
ー美術館は普通の生活から逃げる場所。非日常。
ー文化施設は娯楽施設。病院はないと死んでしまう。
娯楽施設はないと精神的に死んでしまう。
ー施設は治療や食糧を受け取る場所
娯楽は精神的豊かさを受ける場所。
施設は無くても死なない。
ー人間にとって死なないことが目的ではないので、必要と思う。
ー文化施設は美術にるばでけではなく、後世に美術を残す場である。
ー病院や商店は、衣食住のため最低限の生活のため必要。
美術館は衣食住よりは低いが生活をよりよくするため必要。
ー文化施設はメンタルの為に必要。
これから先に残るものの為に必要。
先生よりーファッションと音楽は必要か。
ー美術館と同じくらい映画館がほしい。
伊都キャンパスのところには映画館がない。
メンタルを救うために映画館は必要。
ー個人としてふるまうのが音楽。
ー映画は没入できる。
映画の話は伊都キャンパスの問題。
福岡の街における意味は都会で、その凄さに感動するということ。
その中に一員として作って行く。濃密な総決算としてあるのではないか。
私は文化施設は病院や商店と同じくらい必要だと思います。
私が図書コーナーを持つ施設に疑問を持ったのは病院の入院患者のための図書コーナーを見た時からです。
病院の中、入院患者とその家族などのために設けられた一角でしたが、スチール製の棚に古ぼけた本がのせてあるだけで、人のいる、活気のある、生命力ある生き生きとした空間ではありませんでした。せっかく生きるためにきた病院で、物理的に生命を維持するのが精いっぱいで、健康になってから人生の次のステップが見いだせないような環境でした。人間は環境に支配され易いのではないかと思います。病院で生きる機会を与えられたのなら、明るく、人の力に支えられる空間で、文化や芸術や科学によって、希望をもって生きることを感じられる空間=図書コーナーがあった方がよいと思いました。
人間が希望を感じられる場所が図書館であってほしいと思っています。
岩井