
日時:2015年9月5日(土)-6日(日)
場所:白百合女子大学
「日本図書館文化史研究会2015年度研究集会・会員総会」 が開催されました。
スケジュールは以下です。私も発表させていただきました。
9月5日(土)
13:30-受付
13:45-14:25 会員総会
14:25- 研究集会
14:30-15:30 個人発表1 津村光洋氏(広島大学)
「全国高等諸学校図書館協議会における図書館分類をめぐる議論」
15:30-16:30 個人発表2 岩井千華氏(九州大学大学院)
「地域の文化資源と図書館を結ぶことについての一考察」
17:00- 懇親会
9月6日(日)
10:00-11:00 個人発表3 河村俊太郎氏(愛知淑徳大学)
「図書館との関係からみた東京帝国大学における学術的知の形成」
11:00-12:00 個人発表4 鈴木宏宗氏(国立国会図書館)
「中央図書館長協会とその周辺」
12:00-13:30 休憩
13:30-16:50
シンポジウム 「日野市立図書館50年と現代の公立図書館」
13:30-14:00 基調講演 山口源治郎氏(東京学芸大学)
14:00-15:30 シンポジウム(コーディネータ・山口)
パネリスト 久保田正子氏(日野市民)
森下芳則氏 (元日野市立図書館職員・前田原町図書館長)
座間直壯氏 (元調布市立図書館長、
特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩理事長)
田中ヒロ氏(元都立多摩図書館職員・日野市立図書館協議会委員)
15:30-15:45 休憩
15:45-16:45 討議
16:45-16:50 閉会あいさつ
山口源治郎先生の紹介東京学芸大学 山口源治郎先生の紹介l
新宿で京王線に乗り、仙川下車。




↓シャルトル聖パウロ修道女会が母体で現在の調布市に移転して4年制大学になったのが1965年。










ここが会場です。↓

白百合女子大学で司書課程を担当している今井先生。



↓ 津村光洋氏「全国高等諸学校図書館協議会における図書館分類をめぐる議論」
「戦前は多様な学校制度のもとで、高等諸学校の図書館では、個別の分類に一定の必然性があった。」
「個別の分類に戦後、特に国立大学では各県ひとつの総合大学への統合がNDCへの切り替えの要因となった」ということが述べられました。

私。(写真は今井先生にとっていただきました。)

1.はじめに-地域再生、地方創生の方法が模索される中、この課題に応じる可能性をもつ「文化資源」が注目されるようになった。多くの図書館では、地域資料を保有しているが、地域にある文化資源に着目し、これを活用している図書館は少ないのではなかろうか。
2.研究目的ー「文化資源」の意義を考えるとともに、これをワークショップやガイド講座を通して、文化資源が単体としてあるのではなく、土地の文脈の中で人々との関係性の中にあり、今後、図書館がどのように文化資源を捉えるかを考究する。
として、研究室として取り組んできた 長崎県平戸市飯良地区、熊本県天草市下浦地区、
福岡県田川市における、地域の文化資源発見・再評価・見える化のためのフィールドワークとワークショップ、
まち歩きガイド養成講座、ガイドマップ作成への市民参加のプロセス、まとめ、そして、5月に調査にいった沖縄県恩納村情報文化センターにおける記憶ボードの紹介と考察、まとめをプレゼンテーションしてきました。
構成は、文化資源に関わる既往研究、地域の文化資源の基礎調査と展開、継続的な情報の発信とアーカイブ、まとめです。

文化資源に関しては、既往研究として、東大の木下直之先生、山下晋司先生、吉田宗人氏、伊藤裕夫先生、竹口弘晃氏、黒沢一清先生たちの文化資源に関する定義を紹介した後、仮に私が「文化資源」を以下のように定義して話を進めました。「専門家ではない市民によって、評価・運用されることによって意味を持ち、大小、有形無形で地域の文脈にあり、地域の矜持をよみがえらせる資源のことで、ひとつの要素ではなく、複数の要素の関係性として資源になる。」
文化資源と図書館にかかわる従来の研究では、「文化資源」は以下のように3段階に分けられるとし、
図書館の仕事の範疇としては、最終段階の管理され、共有化された資料を更に分類して整理して保存し、住民に提供することが提案されてきました。
以下は従来の研究で、文化資源が発見され図書館に来るまでと図書館の仕事の範疇。
文化資源の第1段階ー特定の事象・事物に着目し、意味付与、価値づけを行う。
文化資源の第2段階ー文化資源1が、博物館や研究機関での管理を経て体系化・共有化される。
文化資源の第3段階ー文化資源2を基に行われた研究の結果、生産された論文や図書を体系化・共有化し、将来にわたる共有知を保障し、そこから新たな文化の資源化に貢献する。
図書館の仕事は文化資源の第3段階のみとなってます。
私は研究室が行っている文化資源の基礎調査の部分、フィールドワークとワークショップ、グループ内ディスカッション、見える化へのプロセス、調査対象地の皆さんの前で発表すること、それのみならず、アートワークショップと展示の様子。まち歩きガイド養成講座、まちあるき、マップ化へ至る過程を紹介しました。
取り上げたのは、長崎県平戸市飯良地区でのフィールドワーク、熊本県天草市下浦地区でのフィールドワークとワークショップ、福岡県田川市でのまち歩きガイド講座とアートワークショップ、フィールドワーク、マップ化へ至る過程。沖縄県恩納村上布センターでの取り組み。

・住民主体→基礎調査→それを継続的に情報発信しその情報を人々が使えるようにすること→アーカイブの考え方、
・主体性と知識の再生産と課題、
・現在の図書館が行っている地域資料をデジタル化することのみへの懸念、
・文化資源の先行研究を元に図書館はどの部分から関わるのかへの再考 を述べました。
図書館は第3段階の研究機関や博物館で共有化され、体系化され論文や図書になったものを整理し、請求記号をあたえ、配架します。これでは元の文化資源の姿は見えなくなってしまいます。全国に地域の文化資源のことを知らせるのにデジタル化は必要ですが、その前に、地域住民とともに行動し文化資源を発掘、再評価することを図書館がすることは可能であり、これは図書館法に照らしても妥当な考え方だということを述べた後、地域人々とともに地域資源を再評価していくことは図書館という機関のできることであることを述べました。



質疑応答では、図書館は社会教育機関であるがこの取り組みをする必要があるのか、文化政策ではないか、
といった内容の質問が出されました。
個人発表が終わり、この日は交流会へ。


学外の様子。





↓9月6日(日)2日目。 個人発表とシンポジウムがあります。

↓2日目の個人発表
河村俊太郎氏「図書館との関係からみた東京帝国大学における学術的知の形成」
視点は2つで、各図書館の蔵書構成を通した学術的知、
図書館システム全体から見た東京帝国大学の学術知。
まとめでは、東京帝国大学では、大学を支える共通の理念というものがなく、学術的知はそれぞれの部局においては、その分野全体のある一定の範囲で形成され、ここの教官の中に最先端の知識は散らばった状態であることが述べられました。



↓ 鈴木宏宗氏「中央図書館協会とその周辺」
課題:中央図書館協会の紹介が改正図書館令に結びついたのか、
考察では、改正図書館令に中央図書館制を導入するため、事前に存在していた。協議事項・建議事項のばであった、参加者が主に届く府県図書館長で、戦後には図書館界から離れたため、言及されることが少なかった。この協会の作成した資料や建議の類が戦後への影響、図書館法制定過程への影響もある程度あったと考えられる。

休憩時間には 白百合女子大学の周辺を散策しました。

商店街では 安く食べられます。



2日目、後半。
13:30-16:50
シンポジウム 「日野市立図書館50年と現代の公立図書館」
13:30-14:00 基調講演 山口源治郎氏(東京学芸大学)
14:00-15:30 シンポジウム(コーディネータ・山口)
パネリスト 久保田正子氏(日野市民)
森下芳則氏 (元日野市立図書館職員・前田原町図書館長)
座間直壯氏 (元調布市立図書館長、
特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩理事長)
田中ヒロ氏(元都立多摩図書館職員・日野市立図書館協議会委員)
15:30-15:45 休憩
15:45-16:45 討議
16:45-16:50 閉会あいさつ
山口先生の専門領域は公共図書館史、図書館法制論、図書館政策論、市民参加論など。
市民との図書館勉強会を20年以上続けているそうです。著作:『新図書館法と現代の図書館』『図書館史:近代日本篇』

シンポジウム趣旨
戦後日本の公共図書館の在り方と実践に図書館革命をもたらした日野市立図書館の50年を歴史的に検討し、その成果と課題を明らかにすることをとおして、戦後公共図書館を次の歴史的ステージにつなげたい。
1965年9月21日、日野市図書館の移動図書館ひまわり号がサービスを開始した。以来、日野市立図書館が取り組んできた実践とその思想は、よく知られているように、『市民の図書館』(1970)で示された戦後公立図書館モデルの基礎となった。しかしまた、日野市立図書館がこの50年間に蓄積してきた実践や理論的提起は、当面の重点である「貸出し」「児童サービス」「全域サービス網」の重視にとどまるものではなく実に多彩である。
例えば、利用者を個(=市民)としてとらえ、そこに女性や子供を正当に位置づけたこと、図書館を移動図書館、分館、中央館からなる有機的に組織されたシステムとみること。
移動図書館からはじまり、分館、中央図書館へと、市民の身近なところからサービス網を構築する図書館づくりの方法。予約・リクエストサービス、障がい者サービス、市政図書室活動に見られる地域資料サービスや行政・議員活動への支援。図書館建築そして専門職員集団の形成などである。シンポジウムではこうした50年の実践とその課題について検討したい。
また、日野市立図書館の実践は、まず近隣の多摩地域の図書館に、そして大都市近郊自治体の図書館実践に決定的な影響を及ぼし、70年代以降の公立図書館の飛躍的発展の契機をつくりだした。しかし他方で、多摩地域では日野市立図書館の実践や『市民の図書館』の理念を共有しつつも、自治体ごとに個性的な図書館づくりも試みられている。こうした中で、多摩地域の図書館員は日野市立図書館の50年をどのように見てきたのか。シンポジウムでは、日野市民、多摩地域の図書館員、元日野市立図書館職員の目から、日野市立図書館の50年の意味や課題を検討してみたいと思う。 こうした議論を通して、より厚みと深みのある日野市立図書館像や公共図書館像が浮かび上がるのではないか。そのことが次への展望を切り開く契機になるのではないかと期待している。


山口先生の基調報告によりますと、
公共図書館の戦後体制は1970年に確立。以下の4つがあります。
①図書館法に示される図書館法制
②『市民の図書館』(1970)に示された、図書館サービスの理念と方法
③シビルミニマムとしての自治体図書館政策
④社会的支持層としての都市の中間層の家族(教育家族)
日野市立図書館は 公共図書館の戦後体制形成の端緒をつくりました。
日本の経済成長にともない人口が増加し、都市の中間層は郊外へ住むところを移していったそうです。それに伴い日野市内に巨大団地が造成されました。多摩平団地2714戸(1958年入居開始)、百草団地2792戸(1969年入居開始)、高幡台団地1188戸(1970年入居開始)、また彼らは教育家族を形成していました。
所得が一定以上あり、学歴も高い彼ら新住民は教育熱心で、社会的インフラが整備されていないので、住民運動を起こしました。
どうやって子供を育てるかというのも当時の課題の一つだったようです。
ひまわり号がサービスを開始すると、「利用者が湧き出てくるようだった」というのは当時の前川恒雄館長の言葉。ここで利用者の中の女性と子供が発見されました。
その後、分館網つくりが軸になると、800m圏、2万人、2小学校 ごとにつくり、児童サービスや文化活動に重点をおいていったとのこと。





久保田さんは昭和34年、都心から日野に転居。図書館がなかったので団地の住民に呼びかけ子ども文庫を立ち上げ活動。また、筋ジストロフィで長期入院している子どもたちのための訪問学級をはじめ点訳もしています。点訳書は点字図書館から貸出しという慣習を破り、図書館から貸出をはじめることになりました。

森下さんは元。日野市立図書館職員でした。


中央の座間さんは元調布市図書館館長でした。


田中さんは↑、都立立川図書館などに勤務。現在は日野市立図書館協議会委員だそうです。


図書館の学会で発表してみて、地元の図書館への市民参加という発想は最近のもので、浸透していないかもしれないという印象を持ちました。私の発表はまだ珍しいもののようです。
シンポジウムでは日野市立図書館が取り上げられましたが、話を聞いてみて、日野市には大規模団地があること、そこの市民が教育家族で、文化的環境・教育的環境を求めていたことが、移動図書館につながったのかと思いました。
東京学芸大学の山口源治郎先生や明治大学の三浦太郎先生ほかのみなさまに出会えてよかった、大変勉強になりました。ありがとうございました。
岩 井














