文化経済学会
ニューズレター86号より抜粋転載
私の文化経済学履歴書
藤原惠洋
九州大学大学院芸術工学研究院教授
1、はじめに
思い出せば文化経済学会〈日本〉に入会したのは1996年。私は当時、九州芸術工科大学専任講師だったが、この年に九州・福岡で初めての全国大会が開催されることとなり、担ぎだされて実行委員長を仰せつかった。入会はこの時に及ぶ。福岡は全国の子ども劇場の揺籃の地であり、その年が創立30周年であった。そこで子ども劇場が文化経済学会福岡大会を誘致、事務局を担当した。私は名ばかりの実行委員長であったが、『劇的なる日本人』の山崎正和大阪大学名誉教授による記念講演企画等を楽しんだ。実行委員会による集いはそのまま当地における「芸術文化ネットワーク」活動の嚆矢となった。
当時、建築史家の本会への参画は意外だったろう。しかし私は本職の建築史家としてではなく芸術創造者(その頃なら勝手にプロデューサーやアーティストと自称しても許されたかもしれない)として入会を希望し、良い機会とばかりに梗概の受付締め切りを遅れてでも、あるテーマで口頭発表にチャレンジした。
歴史的建造物や歴史環境をいかしたまちづくりや地域再生が大きな機運となり、調査、保存再生、転用計画等に関する事例報告や検討も社会的な必要を募らせている。建築史家としての課題も少なくない。
しかし当時の私は二足のわらじを標榜し、本格的な市民参加型まちづくりに欠かせないワークショップ理論構築とファシリテーター(運営達人)養成を展開、都市計画マスタープラン策定や福祉のまちづくり計画といった各地の実践現場で奮闘していた。
評判を聞きつけた県の担当者が1995年のある日、意外な仕事を依頼してくる。第3回福岡県民文化祭ふくおか県民創作劇場プロデュース作品の戯曲創作・総合演出・舞台美術監修をぜひにという。第三舞台で知られる鴻上尚史が前年度の担当であった。自信よりも好奇心がはやり、そこから半年以上におよぶ奮闘の挙げ句、福岡県空前絶後の本格的な市民参加型演劇『天の滴 月の樹にすくう』が生まれた。福間町公民館大ホールで上演、地元の演劇評論家に今年一番の美しいセノグラフィーと褒められた。文化経済学会大会のおかげで各界に面識を得ることもできた。この経緯と成果を議論に付したいとの真摯な思いから口頭発表も行うこととした。共同発表者はこの作品の主演少年を演じた大学院生五島朋子氏(現在は鳥取大学准教授)。討論では、実演家磯貝靖洋氏から荒削りだが意欲的なプログラムが可能性に溢れると評価を戴いたことを覚えている。
2、歌って踊って市民社会をコーディネートできる人材育成
これが高じ大学でも歌って踊って市民社会をコーディネートできる人材を育てたいと考えるようになった。演習シラバスにも堂々とこう記す。
「人々はより多様で高度な芸術文化に浴したいと願っています。そこで、芸術文化の創造と供給に関する企画と運営の実践に関するインフラストラクチャー化、システム化が必要とされます。本授業では、日本の地域社会に固有の祭礼や芸能、年中行事といった伝統的文化資源、名所・地勢・景観などの空間的自然資源、技や手仕事・職能などの産業技術を通した経済的生産資源を発掘し、こうした文化資源の活用を基盤とした芸術文化マネジメントと創造と企画の実践を進めていきます。(中略)演習では、実際の公共的文化施設や組織(例えば公共劇場、公民館、生涯学習施設、自治体、芸術文化振興組織など)との連携を計りながら、多彩な実演家・芸術家・専門家との協同作業を通したアーツアドミニストレーション(芸術文化企画運営学)の実践的演習を行います。さらには、参画型共生社会や高度情報化時代におけるNPO(非営利公益組織)の芸術文化創造支援の可能性を論じ、多様なテーマを対象とした参加型ワークショップの体験的演習を行います。」
3、自己の相対化
こうした身体を潜り抜ける独特の体験は私自身に自己の相対化をもたらした。
日本近代建築史、芸術文化論、参加のデザイン論の三本柱を軸に研究・教育・社会貢献等を展開、それぞれが[歴史+建築][芸術+まちづくり][参加型共生社会+デザイン]のようにクロスカルチュラルなものを生み出すようになった。専門領域の自己拡張が続き、建築設計→建築論→まちづくり→日本近代建築史→住宅史→都市史→生産技術史→産業考古学→アジア近代史→美学・美術史→現象学→デザイン史→考現学→もの学→生活文化史→民俗学→民族学→地域学→参加型まちづくり→ワークショップ論→文化資源学→文化経済学→芸術文化論→アートマネジメント/アートアドミニストレーション→コミュニティアート→芸術社会学→建築論→建築設計と一巡。フィールドなら、20代半ば、日本国内を三巡した頃に、初めて渡航したのがパプアニューギニア。ここから南洋とオセアニアを巡り、中国→東アジア諸国→インド、ネパール→ヨーロッパ各国→アジア→アメリカ合衆国→東欧と都合75カ国を踏査。鳥瞰的な世界観と虫瞰的な世間観を往復させながらフィールドワークを自己の相対化の重要な契機と考えている。
4、遍歴としての私の文化経済学
以上を振り返ると履歴ではなく遍歴ぶりが際立つ。すなわち私にとって文化経済学がもたらした視点はクラインの壷の感覚に近いかもしれない。3次元立体のチューブ形の空間の中に良かれと思い叡智や資本を溜め込もうと尽力するが、曲面をひねりながら内部をたどるといつしか外部に出てしまい、溜めたはずの叡智も資本も知らず打ち捨てられてしまいかねない。
すなわち経済の普遍的な優位性だけを鵜呑みにせず、その危うさや陽炎ぶりを見落とさず、あえて文化という写し鏡が示す自己批判性を通してこそ初めて創造的な世界に行き着く。お遍路行脚のような自省を念頭に、歴史的建造物や歴史環境の価値も、市民参加型まちづくりの意義も意味づけることができるだろう。こうした遍歴を重ねてようやく最近、わずかな感触で文化経済学の潜みを知ることができるような気がしている。
歌って踊って、地域社会に貢献できる研究者・実践家育成中の九州大学大学院芸術工学研究院環境デザイン部門 藤原惠洋研究室の踊るスタッフ達(ふ印ボスもどこかにいます! )
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