
平成24年度後期 九州大学公開講座 【建築探偵シリーズその7】
「赤煉瓦とRC(鉄筋コンクリート造)を通して知る土木と建築の近代」
学外演習 第1回 門司・下関フィールドワークが開催されました!
今回のテーマは「門司港・下関における赤レンガ vs RC」
日本の近代化の先駆けとして発展していった門司・下関地区を、公開講座受講生の皆さん、芸術文化企画演習を受講する学部生の皆さんと踏査してまいりました。
【2012年11月4日(日)スケジュール】
09:00 大橋キャンパス出発
10:30 門司赤煉瓦プレイス バス降車
11:30 バス乗車 門司港レトロ地区へ
12:00 門司港レトロ地区 バス降車
散策しながら唐戸渡船乗り場へ
13:00 唐戸渡船にて下関・唐戸へ
13:20 唐戸市場 昼食
14:30 下関英国領事館
14:50 秋田商会
15:30 下関南部町郵便局
16:10 田中絹代ぶんか館
17:00 田中絹代ぶんか館前にてバス乗車・帰路へ
18:30 大橋キャンパス帰着・解散 
まず初めに訪れたのは「門司赤煉瓦プレイス」です。

「旧サッポロビール醸造棟」 大正2年築、煉瓦造7階建
年に数回の特別公開以外は、普段は閉鎖されているそうですが、特別に内部見学をさせていただきました。

煉瓦造のスラブは、鉄骨の小梁を渡して、その間をアーチ状に床をつくるというものだそうです。下から見上げる波打つような天井になっています。当時、これらの技法は、デザインではなくあくまでも技術からくる形態だったそうです。しかしそれが100年もの時代を経ると、感動的なデザインとして私達の目にうつります。


ビールの濾過機。当時の機械類も保存されています。
見上げると・・
木造の小屋組みです。写真ではわかりにくいですが、太い鉄骨と木材で超巨大な空間をつくっています。
ビールの発酵のためのタンク。建物の3階くらいにあった部屋です。
このタンク、20メートルくらいは奥行があったでしょうか・・これいっぱいに材料や水が入っていたと考えると、その荷重がよく支えられていたものだと驚嘆するばかりです。
扉は分厚い木でできています。蝶番も巨大で、ものものしいです。
上に行くほど小さくなるバットレス。窓台やまぐさには御影石が使用。
煉瓦の表面をみると、その煉瓦の製造方法がわかるそうです。
手作業で煉瓦をかたどっていった「手抜き煉瓦」(決して〝手抜き”というわけではありません)、機械によってかたどった「型抜き煉瓦」とに大きく分けられます。前者には手で抜き取ったときの縦線が入っており、後者にはちりめんのような模様が表面にあるそうです。
この建物は前者ということでしたが、素人目にはなかなか判断が難しかったです。
「北九州市門司麦酒煉瓦館」 大正2年築、鉱滓煉瓦造2階建塔屋付
日本における最初期の鉱滓煉瓦建物であり、現存最古の本格的鉱滓煉瓦建築です。
初期工業学校建築家出身者 林栄次郎による設計建築の意匠、及び技術水準が刻印されています。現在は帝国麦酒会社として建設されて以来の、このビール工場群の歴史を伝える資料館となっています。




側面からみた様子。屋上とパラペットの煉瓦を見ると、どうも下の建物とは別の時期に作られたようです。
次に訪れたのは、門司の一大観光スポットにもなっている「門司港レトロ地区」
≪明治〜昭和初期≫
門司港は明治22年(1889年)に国の特別輸出港に指定され、同24年九州鉄道が開通しました。日本と大陸諸国、本州と九州全域とを結ぶ重要な港湾拠点として急速に成長していきます。税関や諸官庁、船会社、鉄道会社、そして日本銀行をはじめとする諸銀行の支店、さらには三菱・三井など有力商社の支店が続々と開設されていきました。
≪戦中・戦後≫
第二次世界大戦によって、門司港地区は空襲で焼け、海峡は機雷で封鎖。戦後、大陸貿易が進まず、港湾の荷役形態も変化して、地区全体が停滞を続けまます。この停滞性が逆に幸いしたのか、明治・大正・昭和初期の近代建築が少なからず遺されることとなりました。
≪門司港レトロ事業≫
昭和63年北九州市は、門司港地区の活性化を図るため、近代建築を活用した『門司港レトロ推進事業』の基本計画を決定します。歴史的建造物の保存活用として、旧門司税関、旧大阪商船などの改修・整備や、旧門司三井倶楽部の移築などを実施。また、門司港ホテルや、九州鉄道記念館、門司港レトロ展望室など、数々の観光施設整備事業が進められました。
「門司港レトロ展望室」
レトロ地区にある高層マンション『レトロハイマート』の31階にあります。建築家・黒川起章氏設計です。
高さ103mから、関門海峡や眼下の門司港レトロの街並みも見渡せることができます。

港湾の形、鉄道の配線、建物の位置関係など、上から眺めると非常によくわかります。
「旧門司税関」 1912(明治45)年竣工、1994年改修 煉瓦造2階建
旧門司税関は明治42(1909)年に門司税関が発足したのを契機に、煉瓦造り瓦葺平屋構造で建設されました。昭和初期までは、税関庁舎として使用。平成6年には北九州市が赤煉瓦を特注し、建物の復元を行いました。

現在はギャラリーとして利用されています。
三井の刻印の入った煉瓦を見ることができます。
こちらには八幡製鉄所の刻印。
ちょうど「門司港アート回廊展」が開催されており、彫刻や絵画などの作品が展示してありました。

「旧大阪商船」 1917(大正6)年竣工 木造(一部煉瓦型枠コンクリート造)2階建
かつての大陸航路の玄関口として建てられ、当時は1階に待合室、2階に事務所が置かれ、建物の北面には専用の桟橋が設けられていたそうです。1994(平成6)年に保存・改修工事が行われ、現在、1階は多目的に使用できるイベントスペース、2階はギャラリーとして活用されています。


2階は「わたせせいぞうと海のギャラリー」があります。今回は時間がなく見学できませんでしたが、展示物も豊富でとても見ごたえある展示ですので、機会がありましたら是非ご覧ください。




JR門司港駅(旧門司駅) 1891(明治24)年竣工 、木造2階建
明治24年に建てられた門司駅は、大正3年に場所を200メートルほど移し、現在の場所に立て替えられました。ネオ・ルネッサンス調の木造建築で、ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの監修の下に建てられます。
駅舎としては初めて国の重要文化財に指定されました(1988(昭和62)年)。

鉄骨の構造が非常に軽やかで納まりも美しいです。


いよいよ唐戸渡船に乗り込んで下関・唐戸へ!!


そして唐戸市場で昼食です!
お寿司や名物のふく汁、ふくのから揚げ等・・
午後は下関・唐戸地区の近代化遺産を巡っていきます。
「旧下関英国領事館 」 1906(明治39)棟上 ,煉瓦造2階建
日本に現存する最古の領事館建築物。現在は保存修理工事のため休館中(平成25年度までの予定)です。
設計者は英国人技師のウィリアム・コーワンで、翌年に設計された旧長崎英国領事館の設計も担当している方です。
建物は、本館と附属屋からなっていて、本館は1階を領事や書記官、海軍監督官の執務室、2階を居間や寝室などとして使い、附属屋は台所、倉庫、使用人の部屋などとして使われていました。
下関英国領事館は、1901(明治34)年6月に開設され、この建物は3代目領事 E.A.グリフィスの在任中に建設されます。1941(昭和16)年、第二次世界大戦の開戦により領事館は閉鎖。終戦後は、下関考古館として使われ、現在本館は、内部の公開と市民ギャラリーとして、附属屋は喫茶室として利用されています。
1999(平成11)年に国指定重要文化財の指定を受けました。 
領事館が建設された当時は、港湾に隣接する形で設けられていました。今は埋め立てられて海岸からちょっと離れています。
現代において我々がこの建物を望むとき、この地形と立地、港湾と建物の関係への〝想像力”が必要とのことです。


「旧秋田商会ビル」 1915(大正4)年竣工 鉄骨鉄筋コンクリート造3階建(一部地下1階,塔屋付き)
1905(明治38)年創立の秋田商会(主に木材取引を中心とした商社活動と海運業を営む下関を代表する企業)の事務所兼住居として建てられた、西日本初の鉄筋コンクリート造の建築物です。
内部は、1階が洋風の事務所空間、2~3階は和風の書院造の居住空間となった和洋折衷のユニークな建物。現在は、建物内部を公開するとともに、1階は観光情報センターとして使われています。
屋上には日本庭園が広がっており、これは日本初の屋上庭園(世界初かも!?)として知られているそうです。屋上は年一回のみ、一般公開されています。

広いお座敷となっております。この大空間を当時の新しい技術、鉄骨鉄筋コンクリートでつくられているのです。
各材木は銘木が使用されています。長押をぐるりと回して書院造のようにつくられていますが、数寄屋風情も併せ持ち、ここでどうぞ飲んだり食べたりしてくださいという空間になっているそうです。
この上には屋上庭園があるというから驚きです。

お隣に移動します。

「下関南部町郵便局」 1900(明治33)年竣工、1983(昭和58)年外装改修 煉瓦造2階建
下関で現存する最も古い洋風建築物。また、国内で使用されている現役の郵便局舎としても最古のものです。外壁の煉瓦は厚さ60センチという堅固なもので、設計は逓信省技師の三橋四郎が行いました。
カフェが併設されており、建物の中には中庭があります。
細長い空間の両脇に室を設けた空間をバシリカと呼び、そこは人が集まるような公共的な空間として利用するそうです。
(写真 中園陽一様より)
「田中絹代ぶんか館(旧逓信省下関電信局電話課庁舎)」 1924(大正13)年竣工
下関市庁舎第一別館は、旧逓信省下関電信局電話課庁舎として竣工。当時の逓信省営繕課により設計されたこの建物は、ヨーロッパの新建築運動に影響を受けた若手建築家たちによる「分離派建築会」の建築の要素を持ちます。
※設計者については逓信省営繕とだけ伝えられているが、日本武道館や京都タワーの設計者で建築界の大御所だった山田守氏と考えられています。
昭和40年代に電話局が移転してからは下関市役所の別館に使われた後、市は老朽化のため解体の方針を決定しますが、市民の保存運動を受けてこれを撤回。2010(平成22)年、地元ゆかりの文化人を紹介する記念館としてリニューアルオープンしました。下関市の指定有形文化財です。
(写真 木下次雄様より)
建物頂部の放物線状の屋根はパラボラアーチと呼ばれています。分離派建築の中でもパラボラアーチの屋根の現存例となるとさらに少いそうです。かつてこの内部には防火水槽が設置されていて、火災時には壁面上部に並んだ長方形の開口部から放水して水幕を張り延焼を防止する仕組だったとのこと。
(写真 木下次雄様より)
移動中のバスの中で、「記念写真は何故撮るのか?」という問いかけと共に始まった藤原先生のお話しが非常に印象強く残っております。
古い建物や近代化遺産というものは、それ(記念写真)と同じで、その時代時代の記録と記憶を残すものだということです。
個人を超えて、社会的に価値ある形を伴った記録・記憶、それが古い建物等の中に見出すことができます。
それはなぜ古いものを残すのか、という問いへの一つの答えにもつながるものです。
日本では、欧米列強に追いつこうと、明治以降一気に近代化が図られていきました。我こそはと志す専門家たちは、海外での研修を積み、日本に技術を持ち帰ってきました。
そのわずかな時間の中で繰り広げられた新しい技術による創造は、それまで日本で培われてきた技術と相まって、全国に普及していきます。
その先駆者たちのダイナミックな、パワフルな功績を、今も残る近代化遺産を目の前にしてひしひしと感じます。その情熱には、憧れるものがあります。
今後も、日本の近代化を主軸にした建築と土木の変遷を、フィールドワークとともに学んでいきたいと思います。
途中から雨に見舞われましたが、無事に門司・下関フィールドワークを開催することができました。
最後になりましたが、今回見学を受け入れて下さった施設関係者の皆様、またスムーズな踏査へとご協力くださいました参加者の皆様に、厚く御礼申し上げます。
今季の公開講座は12月まで開催されます!今後の展開をどうぞお楽しみに!
(修士 北岡慶子)














