1月12日 福岡県久留米市にて、福岡県が主催する九州ちくご元気計画の公開講座シリーズ「ちくごSOHOアカデミックカフェ」の第5回「藤原惠洋教授VS伊東啓太郎九州工業大学准教授」のひとときを楽しく、かつ知的刺激をわくわく受けながら拝聴してきました。

2009年に都会の発展途上ではなく、地方都市ならではの新しい誇りある暮らし方「筑後田園都市圏構想」を筑後地域雇用創造協議会が掲げ、「九州ちくご元気計画」が雇用創出事業として設置されました。
その知的プラットフォームづくりとも言える「ちくごSOHOアカデミックカフェ」は、地方の特色と強く結びついたデザイン、IT、新事業などあっと驚くライフスタイルを藤原惠洋先生が第一線で活躍する方をお迎えし対談形式でのシンポジウムです。
今回は九州工業大学工学部建設社会工学科准教授でユニークなものづくりや都市と田園の境界デザインに取り組まれている環境デザイナーの伊東啓太郎氏がゲスト。「里山に住むこと」をテーマに、デザインを通した人間と自然環境との関係についてきわめて興味深い対談がありました。
伊東先生は、2009年日本ものづくり大賞を受賞、漆喰土壁の素材で植木鉢を手作りするecopo(エコポ)を開発された方としてつとに知られています。藤原先生はじめ参加者一同、どうしてそのような商品を発明されたのか伊東先生のライフスタイルや基盤となる環境哲学に興味津々の様子、聞き手の藤原先生がまずその点から対談の糸口を切り出されていきす。
藤原先生(以下F):「環境という概念や言葉が、いつしかアプリオリに力を持ってしまいましたね。ふと気づくと、私たちの回りでも、削減、規制など人々を抑圧する環境問題への取り組みが幅を来かせていますし、エコや環境が新たな消費を導くあざとい概念として用いられてしまっているようなことすらあっているように思えます。でも、そうではなくて、私たち人間が知らずに優しく包み込まれる環境の問題こそとても重要な課題であって、人の手を介して自らが環境と関わっていくような主体的な環境論が必要ですが、じつは伊東先生の環境に働きかけてこられたお仕事こそ、そのような態度や観点をよく示しています。さて、ではこのような伊東先生独自の環境観は、一体先生のどのようなところから出てくるのでしょうか。主体性を持った地方暮らしは循環への配慮の姿勢や環境論を持ってこそ可能だと思しますが、ここでそのような哲学を探ってみたいと思います。」
伊東先生(以下I):「最近は何が本物で何が偽物なのか、本物と偽物の境界に関心を持っています。人の為、と書いて偽。では偽物はダメなのかというと、偽ということもあえて必要な地球上の環境や循環のようなものが生まれているのかもしれません。だからそこ人為的なものの価値や必要性について日々考えています。」
F:ヒトの為、と書いて偽ですか。それは凄いな。でも一方「人為的な」という言葉は英単語では「artificial」と表記し、技術や技を指す古語の「art」から派生したものです。ヒトが地球や環境に働きかけていく時に必要なわざや態度をそう言うのなら、いったいどのような技術が世界に貢献していくことができるのでしょうか。450年前に描かれたブリューゲルの「バベルの塔」は旧約聖書にも出てくる人間の驕り高ぶりを揶揄した絵として知られていますが、神が居る天をすらめざしていこうとする人間の技術や世界観をふりかえる必要があると思います。技術が人間のおごりを助長する道具になってしまっていはいなか。私達は絶えず環境と相対化する必要がありますね。
I:1950年代、石炭が資源として利用されるまで、人は短期的な循環が可能であった材木を用いて生産を行っていましたよね。エネルギー原料が石炭から石油に移行する過程で、人と自然環境の関係も変化していきます。これまでは私達人間自然から恵みを享受していましたが、「エコロジカルサービス」という自然に対して環境配慮を行っている、というような概念が出現します。このような考え方に基づいた数値化による自然環境の把握や、人工的に手を入れることのみの行為が100年持つとは限りません。
F:UNESCOは近年新たに百年後の地球に何が遺せるのか、という観点から「未来遺産」という概念を創出し、とくに重点的に「生物多様性」を評価軸に遺産を選定する努力を啓蒙してきましたが、裏を返せば生物多様性、と言わざるを得ない程自然環境は危機的状況だということです。自然環境を日常的に意識するには散歩や登山、釣りなど自然を体感する時間が重要です。ヨーロッパは散歩や登山、
中長距離を歩くフットパスなどが自然と対峙するだけでなく人とのコミュニケーションや思考を円滑にする行為として認識され環境整備も重点的にされています。
I:そう言えば、実際に歩いてみると「筑後の印象はイタリアのトスカーナに似ている!」。
F:では人々が自然風景を美しいと感じることは、本能的なものなのか、それとも教育や啓蒙などにコントロールされてきたものなのでしょうか。世界には言葉を失う程感動する景色に溢れている一方で、例えば明治期の日本においては「日本風景論」という一冊の書物がずいぶんと読まれたのですが、そこにはイギリス自然主義的な環境観や自然主義絵画観が現されているのです。日本はじつに素晴らしい風景を持っているじゃないか、と。しかしこうした環境観はそのまま国家主義的思想へ導かれる側面も持っており、こうした日本の見方や褒め方が、日清戦争にそなえた国民統一のためのプロパガンダとして普及します。富士山や湯布院の朝霧などが日本特有の風景美として取り上げられていくのです。
I:個人的な価値観には、みずからがからだを動かし、汗を流し、自然と関わった体験が強く作用するでしょう。
F:自然環境に対する関心や価値を見出すには、自然をどれだけ体感したか、ということに尽きますね。
I:「師は、自然のなか、いたるところに」。この1枚のアフォリズムがとてもたいせつだと思うのです。そして謙虚に畏れ多い自然と関わることがいたって大切さです。自然や里山には「そこにしかないもの」が溢れているのです。人が自然に手を入れることで生まれるものに魅力を感じます。じつのところecopoを思いついたきっかけもここににあったと言っていいですね。
質疑応答も楽しく進みました。
藤原先生、伊東先生共に公共の場に自然を作り出すプロジェクトをされ、河川敷や小学校の中庭にビオトープを作られた事例などを紹介いただきました。
人為的な自然に価値はあるのでしょうか。
I:「人が自然を作り出せると誤認する怖さを感じたりするけれど、
自然と対峙するきっかけとしての場所の創出は必要。自然への畏怖のなさは地域に対して矜持を持てない要因になると思うんです。」
F:「当たり前の環境を当たり前に思わない仕掛けが必要です。絶えず環境と相対化するためには、仕掛け作りの他に自分自身が往来すること。ITは田舎に住むことを後押ししてくれる存在になります。ITは“田舎くらしのテクノロジー”。
因果関係が見えなくなることは危険で、環境の全体像を把握しようとする姿勢が重要です。」とお話されました。
質疑応答はデザイナー、ギャラリスト、イベントコーディネーターの方々からそれぞれのプロジェクトに対するアドバイスや意見が求められ、今回も非常に深い対談となりました。
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日本風景論など風景を基にしたプロパガンダ芸術は、1930年代アメリカの大恐慌時に行われたニューディール政策にも見られます。芸術家に職を与える為国を再建させる為に政府が芸術家を雇い、公共スペースには風景画や壁画が膨大な数設置されました。ランドマークという言葉もありますし、風景の持つ力を改めて考える機会となりました。
環境整備という面では日本には肥沃な黒土が1m程堆積している場所が至る所にありますが、アフリカなど,飢餓が深刻なやせた土地にとっては喉から手が出る程欲しいものだそうです。
しかし日本は評価する間もなくアスファルトで覆っていっている、ということを耳にしたことがあります。多角的で包括的な自然環境を日頃から考える姿勢を保つためには、対談でもあったように自然環境に触れる機会を多く持つ事だと強く思いました。
自然の美しさを強く感じる機会が減った私たちは、先人達のように優れた文化芸術を生み出す事は至難の技なのではないだろうか、と思うことがあります。また将来は環境に加え、平和を考えた産業が
普及するといいな、と思っています。フェアトレード、動物実験反対、ハンドメイド、寄付など、現在共生の為の運動は細分化され、エコマークに比べ少々分かりにくい印象です。エコマークとピースマークなど、産業を介して新たなライフスタイルが普及することも考えられるのではないかと思いました。
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講演後立ち寄ったギャラリーEarl gray
オーナーの進藤さんはギャラリー前の通りをケヤキとアートの通りにするアートプロジェクトを構想されていらっしゃいます。ギャラリーと古美術商で培った進藤さんのセンスで集められた作品は、どれも温かみがあり、特に絵画は驚く程お値打ちです。ギャラリーの名前通り美味しいアールグレーの紅茶をいただき、まちづくりやアート、講演についてお話させていただきました。

次回のちくごSOHOアカデミックカフェは最終回。
ゲストは建築家・ファクトリープロジェクト主宰の松野勉氏を招き
「モノの活力」について対談されます。
(D1 國盛)














