近江八幡の水郷
平成18年1月26日、近江八幡市が申出を行っていました、西の湖・長命寺川・八幡堀と周辺のヨシ地を含む「近江八幡の水郷」が重要文化的景観の全国第1号として国の選定を受けました。
同年7月28日には追加申出を行っていました円山・白王の集落部分が追加選定を受けました。
また、平成19年2月には3次申出として里山(円山・白王山)とその周辺の水田について申出を行い、同年7月26日追加選定されました。
この結果、現在、公有水面・ヨシ地・集落・農地・里山を含む約354.0ヘクタールが「近江八幡の水郷」として選定されています。
近江八幡の水郷【滋賀県近江八幡市】の概要(記者発表資料より)
近江八幡市は滋賀県中央部の平野に位置し、市域の北東部に広がる西の湖は、ヨシ原特有の湿地生態系を示している。近江八幡市の周辺は古くから琵琶湖の東西交通を支えた拠点の一つとして栄え、天正13年(1585年)には豊臣秀次が八幡山城の麓に城下町を開き、西の湖を経て琵琶湖に至る八幡堀を開削した。楽市楽座などの自由な商工業政策が行われ、八幡堀沿いの街は廃城以後も在郷町として発達した。八幡堀沿いの街は舟運で結びついて旧城下町と一体的に展開し、現在の市街地の骨格となった。
江戸日本橋で近江商人が取引した商品には、「近江表(おうみおもて)」「近江上布(おうみじょうふ)」など湿生植物を原料とするものが数多く含まれていた。西の湖の北岸に面する円山の集落は近江商人が築いた流通経路を通じて市場を拡大し、ヨシの産地として広く知られるようになった。円山(まるやま)の集落では現在もヨシ加工による簾(すだれ)や葭簀(よしず)をはじめとする高級夏用建具の製造が行われており、製造業者の数は減少したものの「ヨシ地焼き」などの種々の作業は従来の手法を留めている。「近江八幡の水郷」は、西の湖やその周辺に展開するヨシ原などの自然環境が、ヨシ産業などの生業や内湖と共生する地域住民の生活と深く結びついて発展した文化的景観である。
また、集落部分の北面は強い季節風を受けることから里山の日当たりの良い南面の裾野で、内湖に面して線状に展開し、独特の景観地を創り上げました。現在でもヨシ葺屋根の建物やヨシ作業小屋が数多く残る円山町は、その発展過程をヨシ栽培やその加工と切り離すことはできません。また、干拓によって大中の湖は失われたものの、白王町には船着き場の跡を示す石垣や湖中水田の地割りが残り、内湖と生活との密接な関係を示しています。以上のように、円山・白王の集落は、西の湖やヨシ原と一体となって発達した居住に関する貴重な文化的景観であります。
重要景観構成要素
景観を構成する上で欠くことができない建造物などを文化財保護法の保護対象として選定しました。円山町、白王町、船木町地先に合計9カ所選定しました