例えば,研究者が論文を執筆するときに,何かをリサーチして,数値のみを孤発的に提示するということはしない.
これは学術的には禁忌で,そんな論文は査読に通らないし,厳しい指摘を受ける.
「統計学は科学の文法」だと喝破したのはカール・ピアソンだが,文系の我々もそこまで厳密ではないにせよ,必ず全体像となる数字を見せた上で,おのおのの数値の持つ意味合いを丁寧に考察する.
数字というものは,どこまでも事態を把握するためのひとつの手段に過ぎず,相対的な価値判断がなされてはじめて意味を帯びるからである.
毎日,COVID-19の感染者数がメディアでデマゴギックに報道されているが,少なくともPCR検査が何件実施され,そのうちポジティブが占める割合が何パーセントだったのか,PCR検査を断った件数は何件だったのか,そもそもPCR検査の感度と特異度はどの程度なのか,軽症と重症の分水嶺は何なのか,当該都道府県の全人口がどれぐらいなのかなどを併せて知らないと,感染者数という数字の持つ意味合いが全く把捉できない.
実際の罹患者はその何倍もいるかもしれないし,逆にCOVID-19に特異的な臨床症状はほとんどないのだから,風邪やインフルエンザの人もたくさんいて,類似症状を主訴とする患者のうち,COVID-19の罹患者は実は割合的には少ない可能性も否認はできない.
また,一口に年代別分布といっても,69歳と70歳は別の範疇に帰され,70歳と79歳は同一性に括られるような,数字が有する本態的な陥穽にも留意せねばならない.
私が日頃使っていることばで言えば〈数値のコンテクスト化〉だが,この〈数値のコンテクスト化〉がなされず,数字だけが恣意的に与えられても,データに意味を付与できない.
「数値の脱コンテクスト化」はひたすら不安感を招来する.
事態が流動的で,俯瞰的把握や予見は困難だと思うが,ベイズ統計学的な思考で,書き換えられうる暫定的な情報でもどんどん知りたい.
これは学術的には禁忌で,そんな論文は査読に通らないし,厳しい指摘を受ける.
「統計学は科学の文法」だと喝破したのはカール・ピアソンだが,文系の我々もそこまで厳密ではないにせよ,必ず全体像となる数字を見せた上で,おのおのの数値の持つ意味合いを丁寧に考察する.
数字というものは,どこまでも事態を把握するためのひとつの手段に過ぎず,相対的な価値判断がなされてはじめて意味を帯びるからである.
毎日,COVID-19の感染者数がメディアでデマゴギックに報道されているが,少なくともPCR検査が何件実施され,そのうちポジティブが占める割合が何パーセントだったのか,PCR検査を断った件数は何件だったのか,そもそもPCR検査の感度と特異度はどの程度なのか,軽症と重症の分水嶺は何なのか,当該都道府県の全人口がどれぐらいなのかなどを併せて知らないと,感染者数という数字の持つ意味合いが全く把捉できない.
実際の罹患者はその何倍もいるかもしれないし,逆にCOVID-19に特異的な臨床症状はほとんどないのだから,風邪やインフルエンザの人もたくさんいて,類似症状を主訴とする患者のうち,COVID-19の罹患者は実は割合的には少ない可能性も否認はできない.
また,一口に年代別分布といっても,69歳と70歳は別の範疇に帰され,70歳と79歳は同一性に括られるような,数字が有する本態的な陥穽にも留意せねばならない.
私が日頃使っていることばで言えば〈数値のコンテクスト化〉だが,この〈数値のコンテクスト化〉がなされず,数字だけが恣意的に与えられても,データに意味を付与できない.
「数値の脱コンテクスト化」はひたすら不安感を招来する.
事態が流動的で,俯瞰的把握や予見は困難だと思うが,ベイズ統計学的な思考で,書き換えられうる暫定的な情報でもどんどん知りたい.