2018年5月4日、義弟の荒木龍くんが逝去しました。
龍、と書いて、しげみ、と呼びました。
彼の姉は、馨、と書いて、かおり、と称します。
三重県の四日市市と鈴鹿市にはさまれた鈴鹿川下流域の楠町南川で生まれ、三重県立石薬師高校を卒業後、一念奮起して九州へ。
北九州市立大学を卒業後、ふたたび故郷に戻り、家族に恵まれ、昭和一桁生まれの高齢の義母を介護しながら、家族へ職場へ地域社会へ、包容力に満ち満ちた人生を過ごしていました。
そしてまだ五十代なかばの突然の死でした。
連休の賑わいの真っ最中に連絡を受けました。
最も早く彼のもとへ行くにはどうしたら良いだろうと、思案したあげく、一晩、フェリーで穏やかな海面の瀬戸内海を関西方面へ渡り、鈴鹿山脈を山越えして三重県の連れ合いの実家へたどり着き、龍くんの納棺、お通夜、ご葬儀にまにあったことが、なによりものお弔いとなりました。
どうぞやすらかにお休みください。
龍、と書いて、しげみ、と呼びました。
彼の姉は、馨、と書いて、かおり、と称します。
三重県の四日市市と鈴鹿市にはさまれた鈴鹿川下流域の楠町南川で生まれ、三重県立石薬師高校を卒業後、一念奮起して九州へ。
北九州市立大学を卒業後、ふたたび故郷に戻り、家族に恵まれ、昭和一桁生まれの高齢の義母を介護しながら、家族へ職場へ地域社会へ、包容力に満ち満ちた人生を過ごしていました。
そしてまだ五十代なかばの突然の死でした。
連休の賑わいの真っ最中に連絡を受けました。
最も早く彼のもとへ行くにはどうしたら良いだろうと、思案したあげく、一晩、フェリーで穏やかな海面の瀬戸内海を関西方面へ渡り、鈴鹿山脈を山越えして三重県の連れ合いの実家へたどり着き、龍くんの納棺、お通夜、ご葬儀にまにあったことが、なによりものお弔いとなりました。
どうぞやすらかにお休みください。