posted on2018年04月29日00:20
bykeiyo_labo
岩手山の山麓で建設業経営と農業と民宿とトレッキング案内人を展開してきた謎の建築家杉田修一氏(ふ印ラボ最古参メンバー)が、クラウドファウンディングを開始しました!どうぞご注目ください。そして、どうぞご支援ください。
https://readyfor.jp/projects/0924nepal
杉田修一との 嗚呼ついに乗り出しのですね、じつに貴殿らしい、単独で、独立研究者として、岩手山の山麓の雫石の研究室から国内へ声をあげたのですね。呼びかけの文章を読みました。実証研究へと発展しうる可能性を多々有した内容で、全体のフレームワークと論考への契機が多々描き出されていました。私たち現有の研究者の想像力を喚起するものとなっています。在野の研究者としてできることへ一歩踏み出したのだと思いますが、ぜひ日本建築学会や建築史学会といったアカデミズムに対しても呼びかけが広がることを期待します。さらにいえば、貴殿が完全な体調ではない状況であえてこの挑戦に踏み出したことに敬意と感動すら覚えます。かつて東京で、東アジアから広がる広大無辺な世界を構想していた頃の、まだ若かった私たちは同時にいかに生きるべきかと各自の人生を模索しましたが、そこから派生したあてどない彷徨や流浪の産物が今回の写真集でもあったのだと思えば、いつか機会を得て、この写真集を虫眼鏡や拡大鏡を手に一緒につぶさに覗き見ることができればありがたいと思います。まだまだ私も宮仕えで忙殺されており自由が効く身ではありませんが、ともに彷徨や流浪を重ねた者として、今回のクラウドファウンディング挑戦へ向けた貴殿の志に身を震わせながら、わずかばかりの支援と全国の仲間たちへの呼びかけをしたいと思います。これからも貴殿は必ず長生きしてください。そして、こうした貴殿の声が、建築史家や都市史研究者の先生方にも届くことを願っています。なにより現在、江戸東京博物館館長の重責にある先達藤森照信先生にもこの情報と貴殿の志をきちんと届けるべきでしょう。これから起こる出来事に期待するばかりです。2018年4月28日 藤原惠洋@九州大学
早速ありがとうございます。若かりし我々の彷徨の落とし子の一つとしてこのアルバムの復元を手がけたいという想いの中、病に倒れ、闘病生活をしながら如何にすべきか考えていました。体調が回復する中、撮影者が誰なのか気になりました。もちろん写真の中身もですが、そして、この写真の持っている重大な意味に気づき始めました。調べるにつけどうしても藤森先生の研究に近づいていく。明治の東京計画を書庫から引っ張り出して久しぶりに読み返しました。そして、これは復元し洋学の系譜の一つの流れとして、現代に蘇らせることが130年前の撮影者に対する一つの供養にもなると考えました。また、プロイセン時代のドイツの歴史も不幸な時代を経て多くは失われていることもわかり、写真の復元への意欲がわきました。トップバッターとしての支援感謝します。ありがとうございます。
藍蟹堂
藍蟹堂。感受性は海の底から波濤や世界の波瀾万丈を見上げる蟹そのもの。では蟹とは?