平成29年度後期 公開講座 建築探偵シリーズその17「汎美計画から芸術工学へ~芸術工学の創造者 小池新二(九州芸術工科大学初代学長)の戦前期デザイン思考と前後の実践を巡る物語(その4)」が始まりました。
藤原)若い頃から元祖建築探偵の藤森照信先生、堀勇良先生に指南いただきながら一緒に近代建築遺構を調査するようになったのですが、それを機に私も「建築探偵」を名乗るようになりました。それは幕末明治以降の日本近代期における歴的建造物を調査し、リスト化していくことが一番の役割なのですが、それらをどのように保護し保存したら良いのか、さらには遺したものを活用するということを考えていかねばなりません。こうした課題が専門家としての私の本来の役割でしたが、残念ながら、この大学では建築を教えたことは25年来ありません。
そこで、一計を講じて一般市民のみなさんを相手に公開講座の方法を用いながら、建築や都市の問題を語るようになったのです。
さらにはデザイン史に関する諸問題を解き明かすプラットフォームのようなテーマとしての「小池新二」論も続けてきました。
さて、そこで、この1月から3月にかけては「小池新二」を取り上げます。
今回で4回目。私個人はこうした公開講座をかれこれ30年以上継続しながら展開しています。そこでは一般市民の方々が聞いてもわかりやすく、世の中のどのような問題と繋がるのかを考えてみたいと普遍的な理解へ結びつくように話題を工夫してきました。
この公開講座は毎回6回しリーズで構成されていて、2週間に1回行われます。毎回2時間をとっていますが私の話は90分くらいで、後は質問に答えたり、私の資料を皆さんにみてもらったりします。
今回のシリーズは、1、2回目講義は私が行います。その後、ゲスト講師が続きます。
3回目講義は、神戸から森下先生に来ていただいきます。
4回目講義は元日立化成工業の幅泰治さん。小池新二先生の千葉大学時代の講義の様子を通して、1950年代から1960年代にかけて、わが国に勃興していったモダンデザインの概要を話していただきます。その際には、わが国黎明期の女性インダストリアルデザイナーとして名高い宇賀洋子先生もおいでになることになっています。松下電器の女性デザイナーとして、私たちが良く知っているテレビや洗濯機のデザインをされてきました。
そして5回目講義は諸星和夫さん、トヨタ自動車のカーデザイナーとして大活躍されたお方です。またトヨタ自動車のアメリカ橋頭堡としてのキャルティの役員をされました。
ちなみに、前回の公開講座「汎美計画から芸術工学へ」では、台湾を指導された小池先生の話までおよびました。
さて本学芸術工学部は、1968年の大学創設から半世紀となり、記念事業としてさまざまな議論やシンポジウムも用意されているようです。
しかし大学の内外で小池新二の存在は私たちの記憶から遠ざかっており、たとえば芸術工学という言葉や概念の構築からはじまり、九州芸術工科大学の理念としてもたらされた「技術の人間化」そのものも小池によるということを知る人は多くありません。そうしたこともあるので、あらためて今回は九州芸術工科大学の創建に関わる原理原則も忘れずにみておきたいと考えています。
・小池先生は1901年にうまれた。
・九州芸術工科大学1968年創立、1968年にはこの場所に福岡学芸大があった。1972年キャンパス完成。ルイスカーンばりの建物を香山壽夫先生が設計した。
・小池先生の父親は北京の領事館勤務、そのため3歳まで北京で育った。
・大陸育ち。父が水戸藩、母が会津藩、府立一中を卒業して、旧制松本高校へ。敢えて松本高校に行くのは山好きが理由でここで山岳部を設立した。
・大人になってからは小金井に300坪の借地、地上権のみ。好日荘と名付けた。1927年の秋 小島直子と結婚、みみちゃん。
・海外中央文化局と自分の家に名をつけた。世界を代表する建築ジャーナリズムやRIBA王立建築家協会などから自宅へ貴重な書籍、文献、資料などが刻々と送られる。
・帝国美術学校 武蔵野美 多摩美をつくった。
・戦前期、日本工作文化連盟プロデューサー
・1958年千葉大学工芸学部から工学部工業意匠学科
・小池先生が、吉岡道隆先生をアメリカから千葉大学に引っ張ってきた。その後、千葉大学にはヨシオカイズムが広がった。
・第1回米国工業デザイン視察団へ。アメリカでは歓迎されない。デザインを模倣してはいけないと忠告されることが多かった。