建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、藤原惠洋(ふじはらけいよう)教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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日程  2018120日(土)-21日(日)

参加者 藤原惠洋先生 岩井、唐、高、高口

スケジュール 的山大島(重要伝統的建造物群保存地区)、平戸市街の聖ザビエル聖堂、教会とお寺の風景、松浦博物館、レトロ喫茶店、ねしこ交流庵、春日地区(棚田、丸尾さま、浜辺)、生月島、まちあるき、田平天主堂

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 的山大島・神浦は3~4回目の訪問になるだろうか。伝建地区というと漆喰の白壁、妻入りの家々、そんな家々を囲む庭をすぐ想像してしまうが、ここはこげ茶色の木のファサード、平入りのそれほど大きくない家並みが長く続く。奥行のある敷地には、お隣と自らの家を隔てる余分な空間はない。私の北海道の実家は豪雪にあり、冬期間屋根につく雪庇の落雪や除雪があり隣の家と雪でトラブルをおこさないために敷地に余裕をもって家を建てる。しかし、神浦の家々には私の実家とは正反対のびっしりと連なった町並みを見ることができる。これが私にはおもしろい。あらためて、町並みというのは、自然環境や地勢の影響や制限を受けるのはもちろん、人々の生業や営みを反映していることがよくわかる。この単調ともいえる神浦の町並みに重層化された歴史があるということを知ると更に興味がわく。この町並みを築く基礎となったのが捕鯨であるが、平戸で行われていたオランダとの貿易が出島に移され、利益を失った平戸藩が捕鯨を奨励したためで、富の集積に伴い、船大工、樽屋、鍛冶屋、染屋など人が集まってきた。井元家が元締めの鯨組は最盛期500名以上という。なぜ、後年になって鯨漁の拠点を生月島に移したのか、鯨の航行ルートが変わったのか、また、神浦の町並みは、漁師が住んでいたものか、職人集団が住んでいたものか、持ち送りの年代とタイプは、どのようなものがあり、何かを表しているのかは、今回の訪問ではわからなかったが、あの町並みは、「鯨とり」そのものと、そこから派生する仕事に係る人以外は住んでいないように見える。地勢の影響であのような町並みになったというが、勇魚漁での集団プレーや和を重んじ、突出したもの外側に出さないようにする心的傾向がこのような平均化された家構えを生んだように私には見えた。また、写真にあるような、木札が各家に掲げられていて、ここに建物が建てられた年代「江戸中期」とか「江戸後期」とかが記されており、一目でわかるようになったのが良かった。地元の大工、丸田さんとも出会えて、現場を見せていただき、竹こまいの壁を見、更に、壁を仕上げる材料として何かの冊子か新聞を切り取ったものがはられていたが、この絵柄が明治くらいのものに見えた。私の愛すべき重要伝統的建築物保存地区・的山大島・神浦は、このまま、土産物屋などなく、在りし日のままの姿をとどめてほしいと個人的には思う。


【基礎データ】(広報「ひらど」(
No.342008.7より)

 平戸市大島村神浦伝統的建造物群保存地区は、近世から近代にかけての離島の歴史的風致を残すとともに、中世末期から近世初期にかけて成立した漁村集落が、鯨組の創業と廃業という出来事を経て近世的な港町に変容していった姿を今日に良く伝えており、我が国にとって価値が高く、国の選定基準「伝統的建造物群及び地割りがよく旧態を保持しているもの」に該当することから、平成20年6月9日付けで国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

大島村は、平戸島から海上15㎞に位置する周囲38㎞、東西約8㎞、南北約4㎞、面積15.5㎡の島。島の中央部を標高200m前後の山が東西南北に走り、山がちの地形のため平坦地は少なく、北東に大根坂湾、南西に的山湾があり、南東部の神浦湾は島の玄関口。室町時代には遣明船の寄港地で松浦党の一族である大島氏の支配を受けていた。


【町並み】

 近世になっては、平戸藩が確立し、寛永年間(1624〜1644)からは井元氏が平戸藩の政務役になり、江戸期を通じて大島を治める。神浦の町並みは、江戸時代初期(17世紀初頭)に形成された漁村集落を起源とし、寛文年間(1661〜1673 )に三代目政務役井元義信が鯨組を創業し、海岸を埋立て井元家の屋敷と組網工場を建設したことを契機に大きく発展する。

享保年間(1716〜1735)の鯨組廃業後、跡地の再開発によって海側に新たな町家が築かれ、現在見ることのできる町並みの骨格ができ、漁業と商工業を経済基盤とした港町へと発展を遂げ、豊かな町並みが形成されてきたものと考えられる。神浦重伝建保存地区は、東西約700メートル、南北約650メートル、面積約21・2ヘクタールの範囲で、神浦の集落と周辺部の高台に建つ神社やお寺、墓地および山林などを含む範囲が対象。中心部は幅3メートルほどの細く曲折する街路の両側に、江戸中期から昭和前期までの町家が建ち並び、離島の港町の景観を色濃く現在に伝えている。町家の敷地は、街路に面した山側は奥行きが浅く、反対に浜側は奥行きが深くなっていて、山側が中世末から近世初頭にかけて成立した敷地であるのに対、浜側が鯨組操業により埋め立てられ、その後、廃業によって町家に変わった土地であることを反映しており、神浦の集落形成の過程を知ることができる。地区内に建つ家屋の多くは、切妻造平入の桟瓦葺で、腕木庇が付けられており、街路の屈曲に合わせて台形の平面形態を有する家屋が多いことが特徴。山側では敷地の奥行きが浅いため、主屋のみの住宅が多く、奥に向かって2部屋を並べるものが多く見られる。逆に浜側は敷地の奥行きがあるため、主屋は奥に向かって3部屋並べるものが多く、敷地の裏に離れを持つものも散見されます。町家の一階前面は、大正期まで出入り口を含めて摺り上げ戸が一般的で、その後に引き違い戸に変化したことが調査で確認されている。一部の住居には、摺り上げ戸や出格子があった痕跡が残されており、大正期以前の町並みを思い浮かべることができる。斜面に面した狭い土地を利用するため、石垣や石段などの石造工作物が多い。昭和50年代には、自動車の通行に支障があるとして町家に面した街路の石畳が撤去されアスファルト舗装となったために、神浦の町並みを特徴付けていた要素が失われた。


【捕鯨】

 寛文元年(1661)、大島三代政務役井元弥七左衛門義信は、松浦家第29代鎮信公の仰せ付けにより、神浦を基地として捕鯨業を始める。これは、平戸でのオランダ貿易が長崎の出島に移され、利益を失った平戸藩が捕鯨を奨励したためで、井元氏の捕鯨は、捕鯨の大規模な経営組織である鯨組として成功を治め、西神浦の西止浦(鯨の浦)を鯨捌所とし、神浦の海岸を埋め立てて船大工、ろ屋、たる屋、鍛冶屋、染屋など諸職の細工場や船引き場、鯨遠見所など多くの施設や屋敷をつくり、神浦の町並みの基礎を築いた。 寛文4年(1664)、義信は神浦に自分の屋敷を建設すると、前平の政務役所から引越し、鯨組の経営に専念するため政務役を引退し、町年寄(相談役)として活躍。鯨組は、各地からの専門の職人を合わせて500人以上の大きな組織となり、出漁拠点は神浦のほか的山浦、大根坂、和歌の浦の4か所にあった。当時は、元禄文化の発展と前後してキリシタン弾圧、生類憐みの令、一揆打ちこわしなどの社会不安と貧困の中であったが、西海の男たちは「鯨1頭獲れば七浦賑わう」と玄海の荒波に鯨を追い求めた。井元氏の鯨組は、享保11

年(1726)ごろ、五代定治の代で廃業する。業後も神浦は、天然の良港と海上交通の要衝として水産業と商工業を基盤とした「島の港町」として、出船入船でにぎわい発展を続けた。この定治の死後、生月では益富家が本格的に鯨組を始め、益富組として、生月島を本拠地としながら壱岐や五島その他の漁場に進出した。

 平戸市街散策
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平戸市街散策

ルート:ザビエル教会→教会とお寺の重なる風景→松浦史料博物館→喫茶店大渡長者

 平戸港周辺の散策をした。手湯足湯、町並みは何度か見ているものであったが、今回は年末に行った韓国・済州島が発祥のオルレのマークであるカンセ(韓国の馬)のマークを発見した。この頭の方向が進行方向である。「オルレ」そのものの意味は、「通りから家に通じる狭い路地」というもの。九州オルレの平戸コースがあることを知った。また、平戸はふるさと納税日本一になったが、それを使い消火ホースがあちこちにつくられていることがわかった。この他はやはりキリスト教とオランダとの交易の町であることを確認した。


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田平天主堂


 田平天主堂は鉄川与助棟梁の教会の中で最も好きである。なぜならば、墓地が教会に隣接していて、この教会が斜め前方から見るとスフィンクスのようであり、お墓を守っているように見えるのである。
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 平戸は捕鯨と潜伏キリシタンの歴史が顕著である。繁栄や安寧を追い、それに振り回されたようにも見えるが、今年7月にはユネスコ世界遺産会議で日本の推薦として審議にかけられる。7月には新たな世界遺産がふえることを願っている。
                       岩 井




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