2017年7月25日付 毎日新聞が訴えてくれています!
窯元らは「自助・共助」の精神で、「民陶の里」の苦境に立ち向かった--。1週間ぶりに孤立状態を脱した12日、日田市源栄町皿山の小鹿田焼(国重要無形文化財)の陶郷を訪ねた。家族を避難所に送り出す一方で、残留した多くの若手後継者たちが、ドロや流木に覆われた町の清掃から炊き出しまで奮闘し、「重要文化的景観」と生活を守り抜いた。だが、10月の民陶祭の中止・縮小も検討せざるを得ない深刻な影響も垣間見える。【楢原義則】
◆若手後継者らが奔走
大規模な土砂崩れによる「土砂ダム」が形成された小野川上流の山あいの皿山地区。10軒が軒を並べ、民家を含め18世帯が暮らしている。
北部入口の道路が仮復旧し、集落に車を乗り入れると、清潔なたたずまいに驚いた。9年前、国の「重要文化的景観」に選定されたが、大雨被害の痕跡があまりない。話を聞くと、その裏には住民の努力があった。
今年2月に60年ぶりに築窯した小袋定雄さん(68)。「5日の大雨以降、道が川のようになり、裏山の泥流が倉庫に浸入した。一番心配したのが窯がある小屋の雨漏り。バケツやタオルをあちこちに並べ、ぬれないようにした」と奮闘ぶりを話した。
屋外では、若者らが“クリーン作戦”に立ち上がり、協力して流木や泥をかき出していたという。道には流木などが一部で残っているが、住民たちが行き来できるようになっている。
7日、自衛隊ヘリが初めて皿山グラウンドに来た。嫁と孫を市内に避難させ、定雄さんと妻嘉子さん、長男の道明さん、93歳の母が残った。
困ったのは「停電とケーブル損傷のため、テレビがつかず、さらに地下水のポンプアップができなかったこと」だった。9日に電気が復旧し、11日に固定電話が通じ、ようやく情報過疎状態から脱出。12日には外から車が乗り入れるようになり、「これで生活が保障された」と、ほっとしたという。今は、市街地に直結する南側の仮設道路の開通を「心待ちにしている」。土砂ダムを迂回(うかい)するこの仮設道路は、早ければ19日に完成する見込みだ。
◆10月民陶祭、中止・縮小も
後継者ら若手は、ヘリが運んで来た飲料水や救援物資の配達、避難者の手配などに奔走した。先頭に立つ坂本浩二さん(42)は「5年前の九州北部豪雨の時より被害はひどい。うちの場合、作陶の生命線、唐臼4基のうち1基が濁流で流出したのが痛い」と嘆く。
小鹿田焼協同組合の坂本工理事長(53)。「問題は今後です。全体で約40基ある唐臼のうち5基が損傷・流出し、何らかの被害を含めると10基やられた。陶土採掘場が昨年に続いて新たに崩れ、復旧に何カ月もかかりそうだ」と表情は険しい。10月の民陶祭の中止、または縮小化も協議する方針。
現地採集の陶土を水力の唐臼で粉砕し、スギを燃料に焼き上げる--。「土・水・木」の地域資源を活用して営む民陶の里の悩みは深い。