建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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Rudolf Steiner ルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)は、日本ではシュタイナー創出の人智学(アントロポゾフィー)に基づいた教育哲学や精神運動で著名です。そのシュタイナーが築いた聖地は、スイスのバーゼル郊外のドルナッハに巨大な鉄筋コンクリート造の公会堂とも言えるゲーテアヌムを中心に現存しますが、じつは若い頃1903〜23年にかけての活動拠点がベルリンにあったということをここではじめて知りました。

元来、人智学とは19世紀以来の神智学協会による神智学運動から派生し、その中でシュタイナーはゲーテ研究を通して自然科学論を深く学び、神秘思想にも共感を抱きながら、神智学協会よりもキリスト教神智学に近い立場をとるようになったといいます。

1902年にベルリンに神智学協会 ドイツ支部が設立されると書記長として活躍。1912年には同協会を脱会し、以降、人智学協会(アントロポゾフィー協会)の指導を展開していったのです。

そもそもシュタイナーはゲーテの自然科学観や観念論を基盤としつつ、一方でロマン派の世界観や人智学が伝えてきた古代からの東西の秘教的・霊的体験があらためて重要であること、さらに近代的認識批判も十分に理解しながら自分の言葉と文章で論理的に伝えていくことが必要であると考えながら独自の人間観や世界観を醸成し、そこからみずからの思想と哲学を形成していきました。そこでは、人間が有する通常の五感では捉えきれない世界を感じ取り人類の霊的向上を促すために、五感を超える霊的感覚や超感覚的世界認識を育むことがたいせつであると啓蒙を各地で行っていったのです。

彼の出身は19世紀後半のオーストリア帝国時代、国境近くのクラリェヴェク。幼少の頃から超感覚的世界を感知できたと言います。さらに数学や幾何学に興味を惹かれる一方、カソリック教会活動や秘密結社フリーメーソンとも出会い、ドイツ文学世界にも大きな感動を得ていきます。実業学校時代に自然科学の論文を読み幾何学に没頭する一方、レッシングやカントの哲学論考にも深く感銘を得ていく中、自分の霊的体験に気づいていくのです。その後、ウィーンでの活動、さらにワイマールでの活動を経て、1897年36歳のときにベルリンへ移転していったのです。ここでも幅広い活動を展開する中、1902年には神智学教会の会員となり、その秋に設立された神智学教会ドイツ支部の事務を所掌するようになります。

そして1903年に再度の引越しを経た先が
モッツ通り17番。ここに現在、記念のプレートが掲られていました。シュタイナーの主著『神秘学概論』が出版された時代をここで過ごしていたのです。

さらに1912年には運動芸術オイリュトミーが生み出されていきます。同時に人智学協会設立を用意、同年12月にケルンで人智学協会を設立したのです。1913年には人智学協会第一回総会がベルリンにて開催されています。本来は、このベルリンにゲーテアヌムを構想していたというのですが、ベルリン行政の反対により着工が見送られています。そこから新たな建設敷地としてスイス・バーゼルの近郊ドルナッハが構想されていき、1913年に建設が開始されていきます。以降、1914〜18年にかけ第一次世界大戦が起こる中、1914年から1923年にかけてシュタイナーはベルリンとドルナッハを往来しながらゲーテアヌム聖地の建設と人智学世界を育てていったのです。
一方、1919年にシュツットガルトの
タバコ会社ヴァルドルフのオーナー、エミール・モルトから従業員の師弟教育のために学校設立を依頼されます。ここから生まれたのが自由ヴァルドルフ学校です。その後、シュタイナー学校として世界中に展開していきました。

ドルナッハでは、1920年に木造のゲーテアヌムが開館されます。しかし1923年に火災によって焼失します。しかしシュタイナーは翌1924年にゲーテアヌム再建を発起し、みずから精力的に設計を進め、その年末から鉄筋コンクリート造による第二ゲーテアヌム建設が始まることとなりました。しかし心労が重なったためか、翌年1月にシュタイナーは病没してしまうのです。

この間の人智学の啓蒙と展開に関しては、シュタイナーが数多くの著作を通し物質世界を超えた超感覚的世界観のあり様を伝えていきました。西欧各地で生涯にわたり6千回もの講演を行ったことが知られており、講演の際に描いた黒板画もシュタイナーを理解するための貴重な史料として現代に残されています。これまで日本でも、この黒板画の展覧会が数回にわたり行われてきました。
こうした活動を通して行われたシュタイナーの講演テーマは、歴史、哲学、教育、芸術、オイリュトミーと呼ばれる運動芸術、舞踊、自然科学、幾何学、物理、科学、医学、農業、建築、経済、などの広がりを見せていったのです。
 
ところでドルナッハにおける第二ゲーテアヌムが竣工したのは没後3年経った1928年のこと。その際、日本から
東京の地下鉄建設に向けた先進地事例調査のため欧州調査に出ていた早稲田大学教授で建築家の今井謙次が立ち寄り感激したと紹介されています。その踏査行の中で今井はさらにデッサウに移っていた頃のバウハウスやスペイン・バルセロナを舞台に独特の造形活動を見せていたアントニオ・ガウディへの見聞も深めているのですが、今井の報告は当時の日本にとって大きな情報源となったと考えられます。

じつは、わが旧九州工科大学の創設初代学長をつとめた小池新二先生も、同じ頃に今井と出会っています。東京帝国大学文学部美術史美学科の学生の頃、帰国したばかりの今井謙次と直接会う機会を得ており、近代主義を実現していくための建築やデザインを通した世界観の構築や国際社会へのパースペクティブを生み出す上で大きな示唆と影響を受けたとみずから回想していました。

ベルリンにはミッテに位置する
ヴァルドルフ教育に基づくヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)をはじめ数多くのヴァルドルフ学校を知ることができました。近年、日本でもヴァルドルフ学校の社会的意義が理解されており、ドイツ、アメリカ、イギリス、オランダなどのヴァルドルフ学校教員養成課程で学んだ指導者たちよるヴァルドルフ教育が実践されています。

さて現在、ふ印ラボの仲間たちが「いえづくり」プロジェクトの専門家サポートをしている桧原こひつじシュタイナー土曜学校もこうした
ヴァルドルフ教育(シュタイナー教育)に基づいた人育てをしている代替教育の学校となります。ベルリンを歩きながら、福岡と人育ての不思議な糸がこのように繋がっていることにあらためて感じ入っています。

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