
宮崎市に初めて行きました!宮崎市立図書館の調査が目的ですが、色々見てきたので報告します。
2016年9月6日~8日
青島→宮崎神宮→宮崎県総合文化公園(宮崎県立美術館、宮崎県立図書館、県立芸術劇場)→宮崎県庁→宮崎市福祉文化公園(市民文化ホール、総合福祉保健センター、市立図書館、大坪池公園)。
特に青島は「亜熱帯植物群落」と「波状岩」が国指定の天然記念物です。

高速フェニックス号で5時間(渋滞など)かけ、宮崎に入るとそこはフェニックス(カナリーヤシ)のある真っ直ぐな道が多いところでした。これは宮崎交通の初代社長・岩切章太郎が中心となり南国らしさを醸し出すために植えたようです。維持管理が大変とのこと。まず「鬼の洗濯板」を見ようと青島へ行きくことにし、青島では、宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会の安部朋子さんに無料ガイドをしていただきながら植物園と青島神社を巡りました。
↓改装された青島亜熱帯植物園。


ニックネームが絆の木ということです↓。

↓の俳句は金子兜太平成17年7月10日 85歳の作。

そして青島神社へ

青島は周囲約1㎞、海抜約5.7m、面積約13万坪(4.4ha)、亜熱帯植物群落は国指定の天然記念物。青島は通称・鬼の洗濯板とよばれる砂が岩の中をぐるぐる回ることで削られた岩によって囲まれた小島。海水浴場とは弥生橋でつながっています。島内にはビロウジュ約5000本、他の亜熱帯植物含め226種があります。今は何時でも島に入ることができますが、1737年まではいつでも入れたわけではありません。1年の中で島開き祭りの期間3月16日~31日までの半月だけ入ることができました。入れない時は「尖り浜遥拝所」から拝んでいたということです。

橋は何度か架け替えをしています。その古いものが置いてありました。弥生橋は、大正9年3月昭和天皇行啓の時にかけられたそうです。現在の石橋は昭和26年9月2日の竣工。ガイドの安部さんによると、天気の悪い時はこの橋の上を海水がとび、海水をかぶりながらガイドしたこともあるということです。


↑天然記念物(通称 鬼の洗濯板)
青島をとりまく波状岩は鬼の洗濯板とよばれ、中新世後期(約700万年前)海中でできた水成岩(硬い砂岩と柔らかい泥岩が繰り返し積み重なった地層)が隆起し、長い間に波に洗われ、周囲の岩盤は、新第三紀(2400万年から200万年前迄)海床に堆積した砂岩と泥岩の規則的互層が傾き、海上に露出し、波浪の浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたもので、岩上には、ひびや断層が多く団塊や浸蝕による蜂こうがみられます。「青島の隆起海床と奇型波蝕痕」昭和9年5月1日国指定の天然記念舞物です。
浜は貝でできています。ここで真砂と呼ばれる貝をとり、それを青島神社の元宮に願いとともに奉納します。

↓ここで真砂とよばれる貝。他の地域ではタカラガイとよばれる。

岩のこのような孔は砂がぐるぐるまわってできるそうです。岩にも硬いところと柔らかいところがあります。









鳥居は広島の厳島神社と同じタイプの両部鳥居で稚児柱をもっています。



青島神社は 彦火火出見命、豊玉姫命、塩筒大神がご祭神とのことです。青島神社のHPによると、『彦火火出見命は「海幸彦・山幸彦」のお話の山幸彦でございます。兄の海幸彦から借りた釣り針をなくしてしまい、海辺で困っているところに塩筒大神が現れ、わけを聞くと船を造り海の中に探しに行くように言われた。山幸彦はその船で海の中になくした釣り針を探しにいかれ、塩筒大神の言われた通り井戸のそばの木の上にいたところ、海神の侍女が井戸に水を汲みに来て山幸彦に気付き、海神の娘豊玉姫に知らせます。豊玉姫が父の海神に報告しましたところ、山幸彦は海神の宮でおもてなしを受けます。するとあっという間に三年が経ち、ある日ため息をつかれます。いったいどうしたのかと尋ねられると海の中に来たわけを話します。話を聞いた海神は魚たちを集めて鯛の喉から釣り針を見つけられたのです。その釣り針を持って陸にお帰りになる山幸彦は海神から「塩満瓊(しおみつたま)と塩涸瓊(しおひるたま)」の二つの瓊をいただきます。山幸彦は海神から言われた通り意地悪をしてきた兄の海幸彦を塩満瓊を取り出して溺らせ、あやまってきたら塩涸瓊を取り出して許してあげました。それから兄弟仲良く暮らしました。』という由来があり、『青島神社は彦火火出見命が海積宮からご還幸された御宮居の跡といたしまして「彦火火出見命・豊玉姫命・塩筒大神」の三神をおまつりいたしております。
奉祀の年代は、明らかではございませんが平安朝の国司巡視記「日向土産」の中に「嵯峨天皇の御宇奉崇青島大明神」と記されてあって(約千二百年前)、文亀(室町時代・約五百年前)以降は、藩主伊東家の崇敬厚く、社殿の改築、境内の保全に力を尽くし、明治以後は御祭神の御威霊を仰ぎ熱帯植物繁茂する国内絶無の霊域をたずねる人々いよいよ多く、縁結・安産・航海・交通安全の神として、御神威は益々輝き今日に至っている。』1200年前から存在し、500年前からは藩主の伊東家が守ってきたということでした。


毎年、ジャイアンツの監督・選手のみなさんがこちらに参拝にくるようです。高橋由伸監督の絵馬もありました。

この奥には元宮があります。


この植物たちは天然記念物なので、、落ちている葉っぱでさえ持ち帰ってはいけません。

ここに先ほどの真砂を奉納し祈願します。ここの看板には『真砂の貝文 ここ青島は二千四百万年前の隆起海床に貝殻が堆積してできた島である。依って青島の別名を「真砂島」とも云う。古代万葉の人々は、和歌の中で「濱の真砂」と詠み、数多い貝殻の中から自分の心情に合った貝を探し、それに想いと願いを込めたものである。青島では、貝の中でも特に下の「タカラガイ」が 真砂 と呼ばれ大切にされてきた。神社前の浜辺にて真砂を探し、自身の想いと願いを込めてこの波状岩のお供え下さい。悠久の時を刻み続けるこの元宮の地であなたの想いは静かに息づくことでしょう。 綿津見の浜の真砂を数えつつ、君が千年の在り数にせむ 青島神社』

ガイドをしてくれた安部さん。




日本最古のラブレターらしい とよたまひめと山幸彦の間で交わされたラブレターということです。


宮司さんはここに住むのだそうです。↓



阿部さんと島を一周して20分ほどで帰ってきました。天然記念物と神話が融合しているよい雰囲気の神社でした。
その後、移動して、宮崎神宮にも行きました。こちらのご祭神は神武天皇です。


宮崎神宮から近いところにある 宮崎県立美術館、宮崎県立図書館、県立劇場です。博物館もありました。写真の右の建物が美術館。ここでは第2期コレクション展-アートだいかいぼう展が行われており、ピカソ、マティス、瑛九などの作品を見てきました。美術館は午後6時まで開館。

美術館裏側には安田侃作品がありました。

こちらは列柱が印象的な県立図書館です。午後7時まで開館。

劇場です。

翌朝は、宮崎県庁をみてきました。置県130年。県庁観光130万人突破とのこと。この本館は1932年に建設され、九州では唯一の戦前から残る県庁舎で全国で4番目に古いと言われています。建設費は当時の金額で70万円、現在の金額では50億(しかし実際には50億では難しいそうです)かかったとのことです。地下1階、地上3階、国旗県旗掲揚台が5階。知事執務室は2階東側。建築は、外壁にバットレス状の柱型を並べ、その上端をとがらせるのは近世ゴシック様式の特徴があり、門柱から車寄せ、庁舎壁面にいたるまで突起状の装飾で統一されています。平成7年の耐震診断では基準をみたすとのことです。宮崎市は県庁建設に合わせて発達した城下町ではない新しい町です。一時は鹿児島と合併されそうになりましたが、1883年再置されました。その功労者が川越進。正面の門の表札には「宮崎県庁」の庁が 广+聴になっているがこれは広く県民の声を聴くという意味。(以上、県庁でいただいたリーフレットより)



宮崎県ではチョウザメの養殖に取り組んでいるということです。









その後 宮崎市立図書館へ行き、調査を行いました。

ここも列柱が印象的な図書館です。


ここは市立図書館の他に市民文化ホールや社会福祉センターがあります。



初めて宮崎県を訪れました。宮崎市立図書館のみなさんには大変お世話になりました。ありがとうございました。お陰さまで二日間びっちり調査及び研修の時間を持つことができました。
加えて、図書館職員の方から宮崎市独特の地域まちづくりがあるということで、市役所担当の方をご紹介下さいました。宮崎は平成24年度から地域自治区制度を導入しています。市を16にエリア分けして取り組む。地域住民が構成員となる地域協議会を置き(ここは合意形成機関)、地域の課題解決にあたります。これには地域コミュニティ活動交付金を創設し、財源として地域コミュニティ税を導入。この実践・活動には地域まちづくり推進委員会があたります。具体的活動としては、防災訓練や植樹活動、子どもの預かり、梅漬け講習会、野菜の栽培、ビオトープ、古代生活体験、スポーツ交流、料理講習などが行われていました。
宮崎市は住民主体のまちづくりを標榜していることがよくわかりました。
岩 井