建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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  2016年7月10日(日)上海国際図書館フォーラムが終わったので、外灘を見てきました。昨年の学会で上海に行った時、初めてこの外灘を見たのですが、西洋建築がずらりと立ち並ぶ姿にうっとりし、更にサンピエトロのようなドームを持つこの建物がいいなと思いました。
 この手前の建物は1923年建造の上海浦東発展銀行、奥は1927年建造の上海税関です。

 外灘はガーデンブリッジから延安東路まで黄浦江沿いに約1.1㎞の中山東一路の一帯です。アヘン戦争後の租界時代に各国がたてた重厚な西洋建築が並び、万国建築博覧群ともよばれます。

 外灘は英語ではThe Bandといい、藤原先生の『上海~疾走する近代都市』p18によりますと、
「バンドとは元来、<築堤>を指す言葉であったが、一方でイギリスによって築かれた港湾居留地特有のウォーターフロント空間をいうようになった。」「建物の連なりは上海を象徴する景観のシルエットを生み出し、世界で最も有名な通りのひとつに数えられた。その一方でこのバンドは<偽りの正面>といわれ、上海に宿命的な近代の歴史へ、大きな導入を与えてくれる。すべてはこのバンドに始まりバンドに帰る。近代都市上海の創業の地、外灘とはそんな場所なのだ」

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 宿泊先から外灘までも面白い建物や露地がありました。

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 ↓広東路から出てきたところ。あちこちの建物に気をとられながら歩いてきました。
 手前から旧日清汽船会社1925年建造、旧中国通商銀行1897年、旧中国通商銀行1907年、旧招商汽船総局1901年、そして、上海浦東発展銀行1923年です。
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 ↓手前の建物から奥に、旧有利銀行1916年、旧英国上海総会1910年、旧アジアビル1916年
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 ↓の建物に関しては、藤原先生の『上海~疾走する近代都市』p24~26を引用するとわかりやすい。
 「様式的には西洋古典建築に範をとった壮大で華麗な新古典主義建築である。とりわけ、この建築の設計を担当した公和洋行(パーマー&ターナー設計事務所、本社は香港)上海支店の建築家であったウィルソンは自らこの様式を解説して<ネオ・グレコ・スタイル>と呼んだ。新ギリシア様式というわけだ。
 信用や格式を重んじる金融資本の建築に古典様式を用いることは常套手段といってよい。わが国の日本銀行本店や明治生命館を見ればよい。ウィルソンはファサードの中央に数階分の高さをもったジャイアントオーダーを六本おき、うち四本を二本ずつ並べるカップリングとし、独特の列柱意匠を与えた。幅の広い外観をもち、威風堂々とした様子を表す一方、垂直方向へはルネサンス建築で見られる<三層構成>を用い、下層から幹部に向け、表面石張りのルスティケーション(削り仕上げの方法)の程度を順次、低減させていく。これは視覚的に高さへの効果を増す手法として名高い。高い中央ドームの存在も加え、上昇感への期待のみならず、立面中央への求心的な意匠が意図されたと観られよう。二十世紀の古典理解にのっとった新古典主義建築の象徴性はここにきわまった。
 同時にこの建築は、当時の上海がイギリスやアメリカなどの本国に劣らない都市の力をもっていた象徴であった。十九世紀の植民地主義が世紀を超えていよいよ帝国主義段階に入っていく。資本そのものが現地で形成されるようになり、金融資本はその中心となった。イギリス外商たちの資本をバックにした香港上海銀行は、上海の金融資本の筆頭として経済界に君臨していく。その時、植民地の宗主国がひしめく欧米と時差をもたない建築が登場した。この建築とはそういう時代の性格を象徴したものであった。
 しかしだからこそ、偽りであったといえよう。外国人建築家の手になるすぐれた建築がもたらされたとしても、ここが極東の地である限り、西洋建築の登場はあくまで疑似ヨーロッパの表現にしかすぎない。日本でいう<洋風>や<洋式>という言葉の意味はここにある。半植民地となった租界を代表する景観が担い手の母国の建築表現を連ねたところで、ここはあくまで中国にすぎない。<偽りの正面>とは、そうした上海の疑似欧米的空間を示す表現であった。建築の様式がすぐれて欧米に近づけば近づくほど、疑似性は際立ち、上海の<偽りの正面>は強く宣伝されたのだった。」
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 19世紀後半から20世紀前半に建てられた美しい建物群を見てる人はほとんどいませんでした。奇抜な形の建物には目が行くようでしたが。
 
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 ↓左から旧字林洋行1921年、旧アメリカ銀行1923年、和平飯店南館1923年
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 ↓左の建物から旧キャセイホテル1929年、旧中国銀行本部
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 ↓右が旧忄台和洋行1920年、左が旧揚子公司1916年。
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 ↓ロシア領事館

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 ガーデンブリッジ↓(外白渡橋)

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開業1846年、旧リチャードホテル、浦江飯店
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 ↓1924年竣工、上海郵政博物館。
 
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 4時間程 外灘を歩いて、その後、南京東路で地下鉄とリニアにのり空港へ行きました。

 中国東方航空の最終便に乗って座席に座り待っていましたが飛び立たず、「滑走路が混んでいて飛び立つ順番待ちをしている」とアナウンスがあって、機内食を食べてもまだ飛び立たず、そのうち「これから飛んでも到着の福岡空港が夜間で閉鎖される」というアナウンスが入り、本日欠航ということになりました。飛行機を降りて出国ゲートを逆戻りし、航空会社が用意してくれたホテルにバスで向かいました。私が乗った飛行機の他に名古屋行のも欠航になったようです。
 この時、飛行機を降ろされ、搭乗カウンターのところに連れてこられたものの、中国語での案内しかなく、これからどうなるのか不安なままでいましたが、そこに1人の若い女性(乗客・日本語がわかる中国人)がいて、日本人ビジネスマンに、「これから航空会社が用意したホテルにバスで向かいます。」と通訳してくれて、これから先のことがわかりました。このことがわかっているかいないかで随分違います。
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  不安な乗客たち。
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  バスに乗せられ、ホテルへ向かう。
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 夜12時頃のチェックイン。
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 朝5時出発ですが、乗客のみなさん早くて、4時半くらいにはロビーにいました。そこで朝食が配られ、バスで空港に向かいました。
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 朝7時に無事飛行機は飛び、福岡にはお昼頃到着しました。
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  1人で外灘を見て歩いて感激してリニアと飛行機に乗ったら、滑走路混雑で飛行機飛ばず、上海にもう一泊して帰福ということを経験しました。
  結局、初日7月6日は武漢が水害で途中の上海まで辿りつくのにかなり遅れ、帰り7月10日は、滑走路混雑で一日延長して上海に滞在し、7月11日に帰ってきました。大変でしたが今までにないことも体験しました。

 南京東路は商業施設とその通りであまり興味がありません。外灘では観光客は対岸の浦東の奇抜な建物とビル群ばかりを見ているのが気になりました。外灘の本来の魅力は「偽りの正面」とされた建物群だと思います。短い期間で建造された、外向けの美しい顔であるファサードとその個々の建物がもつ重厚さは東洋人ではできない発想と設計と工事手法だったと思うのです。東洋が目覚めるためには西洋化という名の近代化を経ずしてはできなかったように思うのです。
  また上海に行き、色々な建物をひとつひとつ調査したいと思いました。

                                   岩 井
 

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