直方谷尾美術館と石炭記念館では、初の二館同時企画として、直方谷尾美術館の
学芸員 中込潤氏の企画により「石炭の時代展」が開催されました。
石炭産業の隆盛と衰退は、土地の長い歴史の中では一時代の出来事ではありますが
近代の形成や今生きる私たちが地域を考える上では大切な歴史でありテーマです。
特に筑豊は、最盛期には265の炭鉱があり、筑豊という名称そのものも、筑前国と
豊前国に居た遠賀川で石炭を運ぶ船頭たちによってつくられた同業組合の名称に
由来するものでした。
今回の展覧会では、炭鉱を筑豊を中心とした絵画や写真から見るものでした。
石炭記念館では、八尋館長によるガイドツアーが行われました。ご自身も国鉄の
職員として汽車を運転していた経験をお持ちで、分かりやすく楽しいガイドを
なさっていました。
1912年に作られた救護訓練坑道。1966年には、木造からコンクリート造に変わり
117mの訓練坑道の中には発煙装置など苛酷な現場を想定された作りとなっています。
学芸員の中込潤氏とスタッフさん
谷尾美術館では、炭鉱夫として働く傍ら創作活動を行っていた千田梅二や
膨大な量の「炭坑記録画」を残した山本作兵衛はじめ、油絵、版画、炭鉱絵馬、
地図、鳥瞰図、ポスターなど様々な資料や作品が筑豊を中心に集められました。
2009年は目黒区美術館にて学芸員 正木基氏による「‘文化’資源としての<炭鉱>展」
が開催されました。中込さんは2013年丸木美術館での「坑夫・山本作兵衛の生きた
時代展」から正木さんと交流を持ち、書籍での執筆も手がけられています。
今回の展示は、その中では取り上げられなかったものも沢山見ることができました。
私は「受け継がれる炭鉱の記憶」という章で2点展示していただきました。
2010年に解体した田川市の松原炭坑住宅の部材をキャンパスとして
石炭・石炭灰で炭鉱関係者を描いたポートレートです。
福岡アジア美術館では、第24回アジア美術家連盟日本委員会展に参加しました。
2点の作品は、石炭・石炭灰・赤ズリ(採炭の廃棄物であるズリが30年程で
経年変化した赤褐色の石)を顔料に使い、田川で産出される石灰石を使った漆喰で
かつて産炭地で賑わいを見せた街の商店のアイコン等を集約し、レリーフ状に
配したものです。アジア美術家連盟は1972年の日韓交流美術展から始まり、
現在もアジア各国の美術館や、福岡アジア美術館で毎年展覧会が開催されます。
展示を通して、企画展の構想や設営といったプロセスを垣間見たり、関わったり
することが出来、とても興味深い機会となりました。
國 盛