先日5月20日(金)に芸術・文化環境論の授業が行われました。
今回の授業では、まず熊本地震の被災地に見られるように、自然の脅威に対して余儀なく生み出された「ブラウンフィールド」の見方を学びました。そのためにも現在の熊本地震に関する情報を出し合って共有しあうことがたいせつです。
まず熊本地震により大きな被害を受けてしまった伝統的な建造物やまちなみの復興のため基本的な文化財マネジメントに関する基本仕組みを理解することがたいせつです。
文化財をみる観点は、指定文化財、国登録有形文化財、未指定だけれど文化財的な価値を有するものや文化資源として評価されるもの、の三段階で分けて考えることができます。
指定文化財に関しては、1950年にできた「文化財保護法」により、手厚く厳格に保護することができました。
また2006年度からは「国登録有形文化財」という概念を生み出し、指定文化財ではないものの、重要な文化財として国の台帳に登録することで大切にしていくということができるようになりました。 しかしながら、未指定物件も少なくないのです。一方、近年はこうした指定物件以外のものを文化資源という概念で包含しながらたいせつにしていくことも始められています。
しかし、今回熊本で被害された建物に対して、指定文化財の場合、国のサポートが期待できますが、それ以外の国登録有形文化財や未指定物件に対しては、被災からの復旧に関わる経済的な支援は無い状況です。それで、今回の熊本で被災をしてしまった多くの指定文化財や未指定物件の復興が大きな社会問題になっています。
その一つが1928年にできた阿蘇にある京都大学の阿蘇火山研究センターです。
京都大学阿蘇火山研究センターは1928年竣工、翌年から阿蘇火山の観測研究を長らく続けてきた研究施設です。建物の外観や内部空間がきわめてユニークなつくりとなっており、1910年代20年代の東ヨーロッパのキュービズムとフランスのアールデコの様式を兼ね備えたモダニズム建築の一つとなります。通称「日本のアインシュタイン塔」とも呼ばれてきました。
藤原先生は、この20年間にわたり、この建物に関する調査を続けてきました。また藤森照信先生の見立て等を活かして京都大学が「国登録有形文化財」に登録して行く下地を生み出してきたと言えます。
しかし、このたびの熊本地震により大きな被害を受けてしまい、現在も敷地の状況が非常に危険な状態だと伝えられています。
藤原先生によれば、同建物はわが国の1920年代を代表する建築のひとつであり、当時の世界のデザイン潮流を反映させた特徴を持っているとのこと。また、熊本県内における昭和初期の鉄筋コンクリート造建築としても重要な建築遺産と言えます。
さらに熊本地震の被害状況を見渡す中で、産業遺産や、文化財には指定されていないものの熊本の新町・古町といった重要な歴史的景観をどのように維持存続させていくことができるのか、建物の所有者のみならず、そのまちに暮らし住民や応援団とも言える多くのみなさんと一緒に考えて行かなければなりません。
一方、熊本地震のような自然の脅威から、ではなく、近代産業の推移に基づく大きな構造転換や経済の衰退によりブラウンフィールドになってしまった所を復興させてきた世界の事例を紹介しながら、ブラウンフィールドの再生に関する先駆事例を学んでいきました。
今回は、フランスの「La machine」劇団の活動を媒介として、独特の創造都市事業に関する紹介がありました。
ナント市はかつて織物や造船産業で有名なところでしたが、そうした産業が国際競争力を失ってしまった後、都市の中心部に大きな未利用空間を生み出してしまっていました。約30年前に若い市長が着任されたことを契機に都市の中心に残された工業地帯を文化の力でよみがえらせようとしました。
歴史建造物を保存することにより地域のアイデンティティを守ると同時に付加価値を高めることでした。1985年には壊していた市内電車を復活し、パーク・アンド・ライドというとても歩き安いまちづくりを行ったり、リュー(LU)という大きなチョコレート、ビスケット工場をリノベーションし芸術・創造拠点として活用したりしました。
さらに残された空間を積極的に活用していくため、国際的な影響力を発揮する創造事業を推進していきました。その一つが「La machine」という劇団による巨体な人形による都市の路上でのパフォーマンスでした。衰退してしまった地元の造船の技術者と彫刻家、建築家、クリエイターが一緒になって行ったこのパフォーマンスは感動的な表現活動を生み出していきました。上演の舞台とも言える都市は、現在、ナント市のみならず世界中に広がってきており、2009年には日本の横浜にも巨体なクモを登場させました。
わが国を代表する火山観測研究所として重要な役割を果たすばかりではなく、日本のアインシュタイン塔とも呼ばれながら、長らく地元の目印としても愛されて来た京都大学阿蘇火山研究センターの建物が熊本地震により大きな被災を受けてしまいましたが、今後、同建物をめぐって、どのように被害状況が精査され、どのように保存、復旧、修復、再生、活用がなされていくか、見守っていく必要があります。
いまも熊本には全国各地から沢山のボランティアや専門家、行政の支援などが続いています。その際に行われる活動は、なにより人命の尊重と安全の確保をたいせつにしながら、熊本にとって意義ある創造的な復興がなされていく必要があると考えられます。
頑張れ熊本!
以上、D3ジャン
今回の授業では、まず熊本地震の被災地に見られるように、自然の脅威に対して余儀なく生み出された「ブラウンフィールド」の見方を学びました。そのためにも現在の熊本地震に関する情報を出し合って共有しあうことがたいせつです。
まず熊本地震により大きな被害を受けてしまった伝統的な建造物やまちなみの復興のため基本的な文化財マネジメントに関する基本仕組みを理解することがたいせつです。
文化財をみる観点は、指定文化財、国登録有形文化財、未指定だけれど文化財的な価値を有するものや文化資源として評価されるもの、の三段階で分けて考えることができます。
指定文化財に関しては、1950年にできた「文化財保護法」により、手厚く厳格に保護することができました。
また2006年度からは「国登録有形文化財」という概念を生み出し、指定文化財ではないものの、重要な文化財として国の台帳に登録することで大切にしていくということができるようになりました。 しかしながら、未指定物件も少なくないのです。一方、近年はこうした指定物件以外のものを文化資源という概念で包含しながらたいせつにしていくことも始められています。
しかし、今回熊本で被害された建物に対して、指定文化財の場合、国のサポートが期待できますが、それ以外の国登録有形文化財や未指定物件に対しては、被災からの復旧に関わる経済的な支援は無い状況です。それで、今回の熊本で被災をしてしまった多くの指定文化財や未指定物件の復興が大きな社会問題になっています。
その一つが1928年にできた阿蘇にある京都大学の阿蘇火山研究センターです。
京都大学阿蘇火山研究センターは1928年竣工、翌年から阿蘇火山の観測研究を長らく続けてきた研究施設です。建物の外観や内部空間がきわめてユニークなつくりとなっており、1910年代20年代の東ヨーロッパのキュービズムとフランスのアールデコの様式を兼ね備えたモダニズム建築の一つとなります。通称「日本のアインシュタイン塔」とも呼ばれてきました。
藤原先生は、この20年間にわたり、この建物に関する調査を続けてきました。また藤森照信先生の見立て等を活かして京都大学が「国登録有形文化財」に登録して行く下地を生み出してきたと言えます。
しかし、このたびの熊本地震により大きな被害を受けてしまい、現在も敷地の状況が非常に危険な状態だと伝えられています。
藤原先生によれば、同建物はわが国の1920年代を代表する建築のひとつであり、当時の世界のデザイン潮流を反映させた特徴を持っているとのこと。また、熊本県内における昭和初期の鉄筋コンクリート造建築としても重要な建築遺産と言えます。
さらに熊本地震の被害状況を見渡す中で、産業遺産や、文化財には指定されていないものの熊本の新町・古町といった重要な歴史的景観をどのように維持存続させていくことができるのか、建物の所有者のみならず、そのまちに暮らし住民や応援団とも言える多くのみなさんと一緒に考えて行かなければなりません。
一方、熊本地震のような自然の脅威から、ではなく、近代産業の推移に基づく大きな構造転換や経済の衰退によりブラウンフィールドになってしまった所を復興させてきた世界の事例を紹介しながら、ブラウンフィールドの再生に関する先駆事例を学んでいきました。
今回は、フランスの「La machine」劇団の活動を媒介として、独特の創造都市事業に関する紹介がありました。
ナント市はかつて織物や造船産業で有名なところでしたが、そうした産業が国際競争力を失ってしまった後、都市の中心部に大きな未利用空間を生み出してしまっていました。約30年前に若い市長が着任されたことを契機に都市の中心に残された工業地帯を文化の力でよみがえらせようとしました。
歴史建造物を保存することにより地域のアイデンティティを守ると同時に付加価値を高めることでした。1985年には壊していた市内電車を復活し、パーク・アンド・ライドというとても歩き安いまちづくりを行ったり、リュー(LU)という大きなチョコレート、ビスケット工場をリノベーションし芸術・創造拠点として活用したりしました。
さらに残された空間を積極的に活用していくため、国際的な影響力を発揮する創造事業を推進していきました。その一つが「La machine」という劇団による巨体な人形による都市の路上でのパフォーマンスでした。衰退してしまった地元の造船の技術者と彫刻家、建築家、クリエイターが一緒になって行ったこのパフォーマンスは感動的な表現活動を生み出していきました。上演の舞台とも言える都市は、現在、ナント市のみならず世界中に広がってきており、2009年には日本の横浜にも巨体なクモを登場させました。
わが国を代表する火山観測研究所として重要な役割を果たすばかりではなく、日本のアインシュタイン塔とも呼ばれながら、長らく地元の目印としても愛されて来た京都大学阿蘇火山研究センターの建物が熊本地震により大きな被災を受けてしまいましたが、今後、同建物をめぐって、どのように被害状況が精査され、どのように保存、復旧、修復、再生、活用がなされていくか、見守っていく必要があります。
いまも熊本には全国各地から沢山のボランティアや専門家、行政の支援などが続いています。その際に行われる活動は、なにより人命の尊重と安全の確保をたいせつにしながら、熊本にとって意義ある創造的な復興がなされていく必要があると考えられます。
頑張れ熊本!
以上、D3ジャン