建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、藤原惠洋(ふじはらけいよう)教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!


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2015年12月16日(火)18:30〜21:00 九州大学芸術工学府 5号館531教室
 

 藤原惠洋先生が主宰される「2015年度後期九州大学大学院芸術工学部公開講座

建築探偵シリーズ その13 汎美計画から芸術工学へ」は、2015107日に第一回が
始まり、早くも6回目の最終回を迎えました。戦前・戦後にかけて欧米の20世紀
デザインの潮流をいち早く日本に紹介し、さらに九州芸術工科大学や神戸芸術
工科大学の創設、福岡市美術館や福岡アジア美術館の創設における中心的役割を
果たした小池新二先生の足跡を辿り再評価を試みる講座です。
 

小池新二先生をテーマとした公開講座は2014年度から行われており、九州芸術
工科大学OBOGの方々、千葉大学OBOGの方々や建築、デザイン、美術関係者
小池新二研究者等、実に多くの方々とのネットワークの構築もなされています。

2015年度最後の講座では、ゲスト講師に九州芸術工科大学OBでメディア・
アーティストの森下明彦先生にお越しいただき、「小池新二が夢見たユートピア
としての九州芸術工科大学」をテーマに講義していただきました。

 

森下明彦先生は九州大学芸術工学部画像設計学科に入学し、同大学院へ進学、
さらに研究生を一年半された後、1980年に九州芸術工科大学画像設計学科
初代助手として着任されます。画像設計学科二期生には福岡天神「ギャラリー風」
のオーナー武田芳名氏も在籍していたことから、複数のメンバーで自主的に様々な
学びや活動なさっていたそうです。1986年3月で助手を辞職、4ヶ月ヨーロッパ
放浪の旅に出た後に、神戸芸術工科大学創設事業に携わり、事務を担当されて
いました。その過程で「芸術工学」という概念の普及に苦労したこと、さらに
自らも大学在学時に解き明かすことができなかった「芸術工学」の謎に迫るべく
2002年頃から小池新二研究を始められます。
 

千葉大学に所蔵されている小池文庫をはじめとした文献調査や関係者への
ヒアリングなどから、小池先生の思想や哲学、人物像に迫るご研究を長年継続
されていらっしゃいます。

今回は、森下先生が1993年〜1996年にかけて訪れたバウハウス デッサウ校や
ウルム造形大学の当時の様子、さらにこれまで注目されてこなかった、小池先生
によって執筆された『世界大百科事典』(1955~1966年/平凡社)の「デザイン」
に関する記述から、小池先生が晩年どのような思想や哲学で以て九州芸術工科大学
の創設に邁進していかれたのかを浮彫りにしようというものでした。

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森下先生は、ご自身が九州芸術工科大学OBであることから「九州芸術工科大学=
小池新二、または芸術工学=小池新二といったイメージを思い浮かべがちである。
しかし、芸術と工学、芸術と科学、など双方を捉えることは、当時の近代デザイン
全般が抱えていた問題であった。この時代の世界の流れ、あるいは日本の社会的
背景やなど大きな枠組みを見落としてしまってはいけない。」という問題意識から
この日の講座を深められてゆきました。
戦後、欧米社会ではデザイン・科学・テクノロジーをより統合的に捉えた新しい
工業デザインが、建築家を中心に牽引されていました。
しかし日本においては、デザインが依然として美術の延長線上で捉えられていた
ことに対し、小池先生は危機感を強く抱いていたといいます。

小池先生は、英国のデザイン研究者ジョン・グローグの「ザ・ミッシング・
テクニシャン(欠けている技術者)」や、ドイツのウルム造形大学でデザイン教育
の第一人者として活躍していたトーマス・マルドナードに影響を受け、あるいは
共感しながら、生活環境全体を視野に入れた工業デザイナーを輩出する教育や、
その必要性を日本社会に訴えてゆかれます。
小池先生はすでに戦前期より、欧米の建築やプロダクトデザインの潮流を日本に
紹介する中で、デザインとは生活様式の一つであり、使い手や社会全般が広く
関心を持たなければならないことを訴えられていました。
そのことが、1951年、千葉大学教授就任の翌年には工芸学部を工学部へと改め
さらに工業意匠学科の設置を実現させ、さらに1963年から5年間かけて
九州芸術工科大学の創設に携わり、初代学長に就任するに至ります。

とりわけ九州芸術工科大学では「渾沌」や「技術の人間化」といったキーワード
をもとに、技術の追求によって人々が狭義のエキスパートを目指すのではなく
「デザインとは、ある効果をもつ一つのまとまった全体を生み出すために、
各部分を相互に関連づけることである」(小池新二「デザイン」『世界大百科
事典 15巻』平凡社 1966)といった思想に至ります。
『世界大百科事典』への執筆を手掛けていた1955年〜1965年の期間は、ちょうど
アメリカ、欧米、中国、台湾等への海外視察や九州芸術工科大学創設に携わって
いる時期であり、小池先生のデザインに対する考えが変化していく様子が反映
されている、と森下先生は述べられました。

森下先生の広域かつ緻密な調査は、小池先生の人物像や哲学、思想の変化に
より迫っていくような示唆を多々もたらしてくださいました。

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この日は公開講座最終日。受講生のみなさまには修了証が渡されました。



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講義終了後は赤木へ。この日は公開講座受講生に加え九州芸術工科大学OB
福岡市美術館学芸員の方々もご参加くださり、福岡における戦後芸術や
デザインの土壌について議論が深まりました。
 

小池新二先生の研究を通して、日本における工業デザインの黎明と発展、
そして福岡にもたらされた芸術工学の土壌について考えることができました。
小池先生が遺した貴重な土壌を感じつつ、これからも芸術やデザインの
在り方を考えてゆきたいと改めて思いました。
森下先生、どうもありがとうございました。

小池新二研究は、2018年九州芸術工科大学創立50周年に向けて
今後も継続されてゆきます。

 

 写真:岩井 國盛  文:國盛

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