建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、藤原惠洋(ふじはらけいよう)教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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   暑かった。↑オランダ坂にて。
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 2日目は天草市高浜から始まります。藤原研究室は一昨年まで高浜地区で「高浜フィールドワーク+リデザインワークショップ」を3年連続でしておりました。この高浜は「五足の靴」のメンバーが宿泊しようとしたところです。知り合いのみなさんに会うことができるでしょうか。 以下はレジュメに使った引用です。

【葡萄の高浜】
「高浜は西天草海岸では集落としては最も大きく、陶石の産地。五足の靴の一行の目に止ったものは、家ごとに葡萄が茂っていることであった。「高浜の町は葡萄で掩はれて居る。家毎に棚がある。棚なき家は屋根に匐はす。それを見て南の海の島らしい感じがした。…寛と杢太郎は高浜の庄屋上田家を尋ね天草の乱の考証をしている。上田家は江戸時代ずっと庄屋だった家柄で、文化年間上田宜珍(よしうず)という、博学の庄屋があり多くの古文書が残されている。」高浜で宿泊しようという白秋に対して、一行はその日のうちに大江まで行くという。(参考)濱名志松(1983)『五足の靴と熊本・天草』国書刊行会

 ↓高浜の宿泊先・茶碗屋からの眺め
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 朝食前に高浜地区朝市に行きました。朝7時にから始まるということでしたが、6時過ぎくらいから出店者が徐々にきて、自らの場所を自らでみつけ、各々が持ってきたものを売っているようで、7時からいっせいにスタートするのではありません。7時には商品はほぼ売り切れになってました。
 個人的にはそれでいいのではないかと思います。ここでは売上を上げるのが目的ではなく、人と人との交流が目的だろうと思うのです。
  
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 ↓高浜地区の振興に努めている 夏虎男さん。
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 そんな朝市で↓このような運動をしている人を発見しました。
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       森山先生 おはようございます。今日もお元気ですね。
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 朝5時から白鶴浜で泳いでいたという藤原先生も朝市に。
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 高浜の葡萄は再生の最中でした。
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 茶碗屋での朝食は、健康的でおいしいものでした。
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 出発前に上田家を見ようと思ったのですが、鍵がかけられていてみることができませんでした。
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 これから富岡港に移動します。細い道を進みます。
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鈴木重成公は、年貢を下げるよう直訴した。
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 船に乗って富岡(天草市)から茂木港(長崎市)に移動します。
 五足の靴が旅をした当時は2時間の行程で、当時は100t足らずの汽船が通っていました。
船酔いに悩まされ詩作どころではなかったといいます。

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 次はバスで浜の町まで移動です。
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 銅座を通り
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 オランダ坂に向かいます。天草の小山秀之進の紹介。
 

【小山秀之進】

天草出身の棟梁、ディベロッパー(開発業者)、国民社小山商会、小山家八代目、出資者、経理担当支配人、鉱区請負人。

1828827日小山清四郎時雍の八男四女の末子として天草五和町御領で生まれる。

小山家は元々大地主、1778年から褒美銀10枚と永代苗字を許され、この時から「小山」を名乗り、その後小山家は商業活動や廻船業も盛んに展開していく。

.国宝長崎大浦天主堂の造営→元治元年(186412月完成。当時の年齢36歳。

.国指定重要文化財グラバー邸(木造)→文久3年(1863)完成。

.国指定重要文化財オルト邸(石造)→慶応元年(1865)完成。

.国指定重要文化財リンガー邸(石造)→明治初期の完成。

.三角西港→明治20年(1887年)815日開港。設計者はオランダ人水利工師ローエン・ホルスト・ムルドルで、施工には小山秀が率いる天草の石工集団があたったと言われている。

(参考)北野典夫(1985)『天草海外発展史』上巻、御領まちづくり振興会HP


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 ↓小山秀之進の仕事。
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                    ↓下浦石。
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 オランダ坂。
 

【オランダ坂】

フランス寺と呼ばれるカトリックの大浦天主堂が出来上がった後、その取り付け道路の石畳や石段も小山秀之進が付帯工事として施行した。オランダ坂とよばれる東山手、南山手の石垣は幕末と同時に長崎に乗り込んできた外国人居留民(イギリス領事とミシュシパルカウンシル)の要求が契機である。これは当時の日本人と外国人の道路への考え方の違いで、人が通れるだけの肩幅道、駕籠道さえあれば事足りるとした日本と交通機関として早くから馬車利用があった西洋の差がある。長崎人請負による大浦街路や、オランダ坂の石畳舗装工事には、天草の石工が動員され、膨大な量にのぼる天草砥石の平材が用いられたと伝わる。慶応元年(1865年)大浦海岸通りや川筋通りの敷石しき直しを請け負い、慶応2年(1866年)には、大浦外国人居留場の地上げおき土と新規下水仕立てを施工するに際しそれに伴う石畳補修や往来筋大補修を天草石工、天草人夫をもってした。小山秀の兄・北野織部が(長崎)大浦御築き方になったのは安政6年(1859915日。天草全島で増え続ける人口対策として天草の人々の労働力を居留地造成にむけた。(参考)北野典夫(1985)『天草海外発展史』上巻


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 中村享一先生が設計しました。↓
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こうしてふんだんな東山手・南山手界隈での踏査プログラムを遂行していきます。

しかし当初予定していた13:40〜16:30 軍艦島(旧高島炭鉱端島坑跡)への上陸踏査は、70年前の痛ましい原爆投下追悼日とも言えるこの日の長崎市内において複数のアクシデントに見舞われ、今回はやむなく断念することとなりました。

 そこで、あらためて公開講座の補足調査を行うため、グラバー園の中の小山秀之進関連物件を把握することを目的に、あのグラバー邸の建物を見に行くこととなりました。しかし予想以上に、すでに世界文化遺産に登録されたグラバー邸を初めとする園内の遺産・遺構には各地からの観光客が群がっていました。
 
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 ↓キーストーンとみられるものが装飾アイテムにつかわれています。
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 几帳面とり
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 グラバー園内のどこかにこのような石があります。↓
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 みなさま 当日はご苦労様でした。2日目は、私たちの想像力を喚起してやまない幻の天草人小山秀之進の足跡を辿る旅になりました。

 私の感想ですが、この公開講座の学外演習を通して初日の天草市下浦地区で聞かせて戴いた千葉平五郎石材店の千葉順二さんのお話や富岡~茂木の高速船移動を体験してみて、天草と長崎の近さが身に滲みてわかりました。
 天草御領出身の小山秀之進やその兄・北野織部たちは、移動や輸送の手段としてこの海を上手に使えたから、当時の事業にも大成功したのではないかと、思えました。

崎津教会堂も大江教会堂も同じくキーワードは海だと思います。
はじめに来た人々は海から近づいてきたと思えます。海からいろいろなことを考え直して行くには良い達見をしたと思えます。たとえば海と地域づくりや都市計画と視点で捉え直すことではじめて見えてくる者もあるのではないか、と興味が涌きました。
個人史を重ねて恐縮ですが、私は北海道の海に面さない炭鉱町でなおかつ豪雪地帯の美唄出身なので、天草や長崎といった地域の風通しの良さに感動するばかりです。
そのうえで、文化遺産を象徴する幕末明治以降の建造物の相違点や、厳しい日照や湿気を旨として建てられて行ったベランダ形式の様式が根付いた歴史的背景に驚かされます。厳しい暑さと湿気を緩和する工夫に満ちたこの様式がインドや東南アジアを経て幕末明治の頃の日本に辿り着いたという大きな物語に心躍らされるものがありました。
 
                                岩   井
 
 


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