建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、藤原惠洋(ふじはらけいよう)教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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九州大学芸術工学部公開講座『建築探偵シリーズ12  世界遺産のあるきかた(その1)』第6回「祈りと即興詩人」(講師 ふ印ラボのボスこと藤原惠洋先生)が開講されました。

この講座は「日本の特に九州が有する豊かな世界遺産の構成資産郡を対象としながら、顕著な普遍的価値への理解を深めると同時に遺産価値と相互に影響しあった思想・文学・技術・映像・演劇・絵画を通して、より魅力的な遺産の歩き方を習得していく」というものです。

今回はその最終回でした。
冒頭に初回からの振りかえりが行われました。
サブタイトルを見ていきますと、世界遺産のサイト名と、思想・文学・技術・映像・演劇・絵画が入っていて大変わかりやすい構成だったと思われます。
 
第1回は、「大牟田・荒尾の三井三池炭鉱遺産と宮崎滔天・孫文の革命思想」

第2回は、「軍艦島を対象とした映像作品をふりかえる」

第3回は、「グラバー邸・大浦天主堂・オランダ坂を築いた天草棟梁と下浦石工」

第4回は、「世界記憶遺産山本作兵衛炭坑画と香春岳アート」

第5回は、「八幡製鉄所の鉄都が生んだオールターナティブ演劇」(メインタイトル)

第6回は、「天草の崎津天主堂・大江天主堂と『五足の靴』文学紀行」

藤原惠洋先生曰く
「世界遺産のサイトに行くと、日頃とは違う感性や感動が私たちの中に生み出されてくるのではないでしょうか。そこで、こうした非日常的な力に喚起されながら、いろいろな仕掛けを考えてみました。世界遺産×思想、世界遺産×文学、世界遺産×技術…と弁証法でやってみるのもおもしろいのではないか、と考えたのです。ところで私は元来の専門は建築ですが、かねてより文学で共感を得た仲間たちとじつにいろんなことをしてきました。
 たとえば福岡市内の天神に遺された国指定重要文化財の建物「旧日本生命保険株式会社九州支店」は、建築家・辰野金吾と片岡安の設計により 明治42年(1909)に竣工されたものです。それを保存し再生し、活用しようと考えたのです。そうして出来た現在の福岡市赤煉瓦文化館は、1Fを改装して福岡市文学館を生み出しました。その際に、私が家具・什器・照明・なぞのふくろう等を空間デザインとしてしつらえることとなりました。それは文学の仲間達からの要請だったのです。
 さてこうした力は文学だけではありません。私たちを取り巻く日々の社会や世界には、旧態依然とした世界をかろがろと飛翔して超えて行く想像力や、社会の矛盾や課題に立ち向かう際に大きな勇気を与えてくれる力がまだまだたくさん隠されています。私たちは、そうしたもうひとつの力をどのように獲得していったら良いのでしょうか。
 今回の公開講座の大テーマにも、世界遺産に触発されて生み出されるもうひとつの潜在的な力の喚起という期待が組み合わされています。

 さて公開講座を進めてきたこの間に新国立競技場計画がゼロベースとなっていますが、かねてよりあの出来事に対して異論を投げかけていた魅力的な女性たちがいます。(以下、神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会 HPより http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/pg96.html)

共同代表からのメッセージ

共同代表 森まゆみ(作家・谷根千工房)

わたしたちは「いちばん」をのぞまない

「世界最高のキャパシティ」
「世界最高のホスピタリティ」
(以下、かっこ内はJSCのコンクールのメッセージより)

そんなものが何になるのか、この放射能汚染にふるえる日本で。
いまもふるさとを追われさまよう15万人を置き去りにして。
仮設住宅で冬の訪れを待つ無口な人びとの前で。

「この国に世界の中心を作ろう」
「スポーツと文化の力で」
「世界で「いちばん」のものをつくろう」

私達が東京に欲しいのは「いちばん」の競技場ではない
神宮外苑の銀杏をすかして降り注ぐ柔らかな光だ。
その向こうの伸びやかな空だ。
休みの日に子どもと一緒にあそべる自転車練習場だ。

1964年、アジアで初めてのオリンピックが東京で開かれた。
それは戦争に負け320万人が死んだ日本、その復興を示すイベントだった。
植民地支配を脱したアジア・アフリカの参加国、その民族衣装の誇らしさ。
「世界史にその名を刻む」のなら、この競技場を残すべきだ。
灯火台をつくった日本の誇る職人技とともに。アベベや円谷の記憶とともに。

ベルリンでは1936年のナチス政権下のオリンピックスタジアムを今も使う。
それは同じ過ちを繰り返さないことを己が記憶に問うモニュメントでもある。
22年後、1958年築の国立競技場を残す道がないわけはない。
いまこそ「もったいない」の日本を世界につたえよう。

人口減、資源の枯渇、非正規雇用、食料自給率、そこから目をそらして
「世界一楽しい場所」なんてできるのか?
”パンとサーカス”に浮かれたローマ帝国末期のようではないか。

わたしたちは「いちばん」をのぞまない。
子どもの時代に、健やかな地球が存続していることを願う。
「世界一楽しい場所」は私たちの近所につくりたい。

風と木と匂いのある町を。路地や居酒屋のある町を。
赤ちゃん、子ども、お年寄りを見守る町を。
若者が自由に仕事を作り、みんなで応援できる町を。
お金がなくても、助け合って暮らせる町を。
あたたかく、風通しのいい、つつましい町を。


2020年、縮小時代に舵を切るオリンピックに。

共同代表 森 桜(アートコーディネーター・森オフィス代表)

大阪中央郵便局や京都会館など、建物の保存運動にかかわるなかで、
つくづく、「建物がなくなると記憶も一緒に消えてしまうんだなぁ…」と痛感しています。
国立競技場でも、新しい建物をつくるのではなく、
いまあるものを手直しして使い続けられたら、どんなにいいだろうと思います。
1964年、東京五輪の開会式、この場所に70,000人を超える人たちが集まりました。
そして、その後も、多くのアスリートたちがこの場所を聖地と呼び、
ここに立つことを夢見てきました。
そうした場所とそこに宿る大切な記憶を失いたくないのです。
私たちが歩んできた半世紀にわたる時代にどんな光と影があったのか、
東京で2度めの五輪だからこそ、いまある競技場をうまく改修してその記憶を受け継ぐさまを、
世界に見せて伝えたい。
そして、記憶のバトンを次の世代へ手わたしたいのです。

共同代表 多児貞子(たてもの応援団)

1964年の東京オリンピックは高校を卒業した年で、
アベベの力走や東洋の魔女の活躍に歓喜したものです。
2020年も招致が決まった以上は成功して欲しいと願っています。
ただ、原発事故も収束していないし、東日本大震災の復興も遅々としている状況では、
辛い日々を過ごしている方々に寄り添う気持ちを忘れてはいけないと思う。
ある国ではオリンピック後、経済が破たんし、若者は職がないため海外に出稼ぎに・・・
ということを報道で知りました。
他の国では巨大施設も使われずに荒れ放題ということもききます。
未来を担う若者にツケを残さない、
コンパクトなオリンピック2020を成功させるためには、
今ある国立競技場を改修していただきたい。日本が誇る高い技術力での改修を夢見ています。

共同代表 大橋智子(大橋智子建築事務所)

改めて、国立競技場をじっくり眺めて見ました。
55年経っていますが、決して古めかしくもないし、
時代遅れでもありません。
むしろ力強くて、繊細なデザインに新しさすら感じました。
物心ついた頃からずっとあの場所にあって、
いつも外から見ていましたが、機会があって中に入った時、
グラウンドは眩しく輝いていて、観客席は空に広がってゆくようで感動したことを覚えています。
私たちが、未来のこどもたちに手わたすのは、この美しい景観を手放して作る巨大な競技場ではなく、
今ある施設を生かして生まれ変わった国立競技場と
これまで守ってきた神宮外苑の森でありたいと思います。

共同代表 多田君枝(『コンフォルト』編集長)

未来の私たちは、道路が縦横無尽に空中を走る人工的な都市で、機械やロボットに取り囲まれて暮らすようになる。高度経済成長期、雑誌にもお正月の新聞にも、そんな絵が描かれていました。子どもだった自分にとって、それはわくわくするような夢でした。
でも大人になるにつれて気付いたのです。開発の一方で失われてしまう尊いものがあるのだと。新しいものだらけの未来図が叶うことが必ずしも幸せな道ではないのだと。

なのに、まだその夢を捨てきれずにいるような今回の計画には驚きました。リアルな人間の気持ちや現場の感覚よりも、抽象的なイメージやコンセプトが優先されていることに違和感を抱きました。

日本には世界に誇る建築文化があります。それはそれぞれの土地で長い時間をかけて改良され、洗練され、極められてきた先人たちの知恵や情熱の結晶です。それは大切にするべきものだと思います。ですが、この数十年、スクラップ&ビルドを繰り返すことで、私たちはそんな財産をたくさん失ってきました。お金に換えられない宝物を経済性の名の下に葬っていきました。

そろそろ方向転換する時期です。オリンピックはそのよい機会です。現在の競技場を改修し、過去を残しつつも新たに蘇らせる。21世紀、そんなやり方にこそ、私は未来を感じます。

共同代表 上村千寿子(景観と住環境を考える全国ネットワーク)

イギリスには一定規模以上の開発計画、建築などについて、住民から意見がでればそれを協議調整する制度がある。計画が出たら、住民は専門家のアドバイスを受け意見書を提出すればよい。必要なら公聴会も開かれるし、この手続きが終わらなければ建設許可は出ないと聞く。これは公的な計画でも民間の計画でも変わらない。
日本ではどうだろう。
計画が出た段階で意見を言ったとしてもそれを受けて手続きの中で協議する仕組みはないから「市民運動」という手続き外の方法で世論やマスコミ、政治にアピールするしかない。また、裁判では、原告の範囲が狭いこと、行政訴訟の対象が狭いこと、行政の広範な裁量が認められていることなどの問題があり、
違法な行政の行為があったとしても、ほとんど裁判所による救済が期待できない。
新国立競技場の異様なまでの大きさと、市民が慣れ親しんだ風景を無視した姿を見ると、日本では住民が街づくりに参加する仕組みはまだまだ限られていることを改めて感じる。
オリンピックとはいったいなんなのか。終わったときにどんな日本がそこにあるのか。
私たちの世代の責任がとても重いものに思える。

共同代表 日置圭子(地域文化企画コーディネーター・粋まち代表)

二度目の東京オリンピックは、私たち日本人の歴史にまた一つ誇らしい記憶を刻むことが出来るはずです。その歴史の記憶は、決して「取り返しのつかない後悔の記憶」となるものであってはなりません。
ここまでの経済成長を達成した国が人口減少社会を迎える中、後世に負担をかけることなく、敬意をもって後々まで評価される、真の意味での先駆的なオリンピックを成し遂げる。
それは決して、神宮外苑の広い空と美しい銀杏並木、重要文化財の聖徳絵画館の左後ろに、贅を尽くした巨大な競技場を建てることではないはずです。

私は、人が暮らし、営み、集い、支え合って生きていくのに心地よいヒューマンスケールの街を守り育て続けたいと、東京・神楽坂のまちづくりに10年関わってきました。
しかし、その神楽坂も、近年、街を見下ろすように超高層ビルが建ち並んでいます。路地空間を城壁のようにビルが囲み、青空を切り取り、風の道を塞ぎ、路地に陰を落としています。でも、そのビルを宣伝するパンフレットには、立地の魅力をアピールする路地の写真が載せられ、神楽坂がすてき!と放映されるテレビ番組には、すぐ横にそびえる超高層ビルは決して映りません。
巨大な建築物の内部だけの快適性、収益性で完結し、周囲の環境への影響に心が至らないことの罪深さ。
ほんとうに大事なことは何なのか。東京を、日本を、これからの社会をどうしていきたいのか、それが試される重要なターニングポイントとなるであろう新国立競技場の問題を、専門家だけでなく広く市民も含めて考えたいと思います。

共同代表 山本玲子(全国町並み保存連盟)

新国立競技場案の形・スケールにずっと違和感を感じていました。
人々の憩の場である神宮外苑にはたしてふさわしいのかと。
公開座談会で、1940年の幻のオリンピック、1964年のオリンピックのそれぞれの時代、
建築家が悩みぬき、神宮外苑の環境と折り合いをつけてきたことを知りました。
今回は、はたしてその努力が払われてきているでしょうか?

また、過去に関わってきた保存運動と同じように、今回も粛々と手続きが進められ、
つくづく日本では市民参加のシステムが、成熟していないと感じます。
国立競技場は”みんなのもの”です。
大事に思っている人の声を聞いてください。

共同代表 清水伸子(一般社団法人グローバルコーディネーター)

64年のオリンピック開会式、抜けるような秋空に浮かぶ五輪のマークを庭先から見た記憶があります。
オリンピックという4年に1度開かれる祭典があることを知り、スポーツ競技に目を丸くしたのを覚えています。しかし大人になるにつれ、オリンピックに併せて建設された新幹線や高速道路といったインフラ建設資金の返済に1990年までかかったこと、1998年に冬季オリンピックを開催した長野市も建設費の返済が終わるのは2017年と完済に20年を要することを知りました。

新国立競技場設計コンクールの規定では1300億円であったはずの建設費が3000億円と見積もられ、その後日本スポーツ振興協会は規模を縮小し1750億円と発表しています。
それでも500億円近く超過しています。さらに今後50年利用するとして、その維持管理費や大規模補修費の合計は建設費と同等とも言われています。

欧米では私たちの税金で賄われるスタジアムや劇場といった大型公共施設建設、さらにはオリンピック開催地として立候補するかを住民が決める、「住民投票制度」があります。
このとき人々は、なぜ施設が必要なのか、どのような設備があるべきか、建設費・維持管理費を含めた資金問題、景観や環境アセスメントなどいろいろな角度から議論を行い、一人一人が考えて投票を行います。

私たちは50年後の日本に何を手渡したいのか、景観・神宮外苑という歴史的背景さらに未来への負担も含め、いま一度、立ち止まって考えることが必要ではないでしょうか?

共同代表 吉見千晶(住宅遺産トラスト)

2020年のオリンピック東京開催が決まった時、多くの日本人が嬉しい気持ちになりました。スポーツは沢山の希望や力を与えてくれるものですから、その感動を身近で共有したいという思いは誰しも同じ、東京都も日本政府、JSCも、日本を元気にしようと、何がなんでもオリンピックを東京へ持ってきたかったのでしょう。そのために目を引く何ものかが必要だったかもしれません。
しかし2度目、今の東京で開催されるオリンピックにおいて、この器は、本当に求められていることでしょうか。極めて厳しい現実に目を背けることなく真摯に検討されたものでしょうか。未来へ向けて私達が残すもの、この巨大な塊が、子供達を本当に幸せにするのだろうか、東京という都市を豊かにするだろうか、取り返しのつかないことにならないだろうかと、よく考えたいものです。そのために私達自身が考え、発言する機会を提供できたらと思い参加しています。
1964年の東京オリンピックへのノスタルジーと共に、あのときから美しい東京の川を高速道路が覆い、江戸の起点である日本橋が陰に沈んだことも忘れてはならないと思っています。


























































































ここに登場してくる多児貞子さんや森まゆみさんら。彼女らの真摯な活動こそは、遠くは離れた九州の私たちにも、さまざまな生きていくことの勇気や創造的な生き方へのインスピレーションを数多く与えてくださる旁なのです。

 とくに今回の最も大きなテーマである「即興詩人」ということを考えていきましょう。

 明治30年代の頃の与謝野鉄幹たちは、九州への踏査とも言える「五足の靴」文学紀行の計画にいったい何を求めたのか。森鴎外が翻訳したアンデルセンの「即興詩人」は何を彼らに与えたのか。

 いわば、南へ、なのです。強い日射し。ラテン気質。豊かな実り。ユニークな形状を有する大地や海原の景観。かねてより北緯の高い国々の人々はヨーロッパの発祥の地とも言える地中海への遥かな憧れを持っていたのはないでしょうか。イギリスの貴顕紳士をはじめヨーロッパ大陸の人々は、貴族の子弟等が若い学生の頃の卒業インターンシップや帝王学のいっかんとも言える最終試験としてイタリアへのグランドツアーをすることが慣例となっていました。目的地は地中海北岸のイタリアのナポリやベニスやローマ等で、難儀しながら移動をすることばかりではなく、この旅のために、何を食べるか、どこに泊まるのか、交通機関はどう確保する、その地で何を学んでくるのか、といったツアー・マネジメントをするのもたいへん重要な目的だったのです。
 アンデルセンが著した「即興詩人」という小説もまたこうしたアンデルセンのイタリア紀行が下地となっています。主人公にローマ生まれの若者を設定し、ラテン気質のイタリア人の様子や都市の様子をふんだんに描いています。
 森鴎外は軍医勤務のかたわら、この「即興詩人」の翻訳をしていました。さて明治35年にこの日本語訳「即興詩人」が発行されると、世界の動向に敏感だった若者や知識人たちはイタリアへの憧憬が募って行きます。しかしながら当時、イタリアまで行くことができた人がいったいどれほどいたでしょうか。
 与謝野鉄幹と4人の少壮文学者たちはイタリアの代わりに行けるところがあると考え、九州をめざしたのでしょう。
 そして、この五人づれの紀行文が明治40年夏の東京二六新聞に掲載されると全国各地で九州フィーバーが発生していくのです。

後に吉井勇が述懐した一文にこの動機が明らかにされています。
「明治40年8月7日、五足の靴が五個の人間を運んで東京を出た。五個の人間は皆ふわふわとして落ち着かぬ仲間だ。彼等は面の皮も厚く無い、大胆でもない。而も彼等をして少しく重みあり大量あるが如く見せしむるものは、その厚皮な、形の大きい『五足の靴』の御蔭だ。」『五足の靴』文学紀行は、イタリアへの憧憬の代替地としての南方、南洋、九州、南蛮文化、キリシタンを日本の重要な文化遺産として再発見させる契機となった。」
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 私は北海道から九州に来て初めての冬、武雄市を訪れ、歩道を歩いている時、どこかの家の庭木に黄色いポンカンか、晩柑かどちらかがなっているのを見つけました。すぐ「君よ知るや南の国」という文言が心にやってきました。北海道なら白い雪の中、雪かきや雪はねをしている頃に九州では木に黄色い大きな実がなっていたことは、南国のというもの、自然環境の差の印象を私のこころに深く刻みつけました。明治時代の五足の靴の一行の旅は夏だったので、私と同じ感覚は持たなかったのが残念です。

 五足の靴の参加メンバーは、与謝野鉄幹(寛)、学生の身分だった太田正雄(木下杢太郎)、北原白秋、平野万里、吉井勇。

「福岡に7月31日に入った一行は8月1日は柳川、8月4日は唐津、8月5日は平戸・佐世保、8月7日長崎、8月8日富岡、8月9日下田と大江、8月10日崎津・牛深、8月11日三角、8月12日~18日熊本、阿蘇、三池・柳川の滞在でした。明治40年(1907年)7月28日から27日まで、東京二六新聞に掲載されたのは8月7日から9月10日まで5人が交互に執筆。

キリシタン信仰に思いをはせクライマックスは、富岡から大江までがるに江神父を訪ね32キロを歩く。

 旅のきっかけとなったアンデルセン「即興詩人」は典雅な犠擬古文訳になっており、ゲーテの「イタリア紀行」と並びイタリア憧憬紀行文学の双璧。」

 即興詩人の文体は、雅俗折衷の流麗な文語体でこの文体が多くの作家に影響を与えたとのことです。・これに魅了され、「即興詩人」を持参しイタリア各地を巡礼遍歴した文学者・学者が明治末から昭和戦前にかけて続出。上田敏、正宗白鳥ら。

「羅馬(ロオマ)に往きしことある人はピアツツア・バルベリイニを知りたるべし。こは貝殻持てるトリイトンの神の像に造り做したる、美しき噴井ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殻よりは水湧き出でてその高さ數尺に及べり。」
 
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 「パアテルさんは未だ遠い遠い
 ・宣教師のことをパーテルさんと言っていた。フランス人、ルドヴィコ・ガルニエ神父に対する親愛をこめた呼称で、paterはラテン語でお父さん、神父さん。現在は天主堂横に銅像がある。ここで五足の靴はクルスを見せてもらう。五足の靴の旅の最大の目的は、ガルニエ神父に会うことだった。大江は隠れキリシタンの里。明治6年キリスト教解禁と同時に布教が行われた地で明治12年教会を建設したがこれは古材を寄せ集めた粗末な建物だった。その後ガルニエ神父が私財を投じ大江天主堂が昭和8年に竣工された。」

 「五足の靴」のメンバーは、はじめロマン主義を底辺にして、異国趣味を求めて九州に来て非現実を味わいに来たのかと思いましたが、ガルニエ神父に会ったということで、ロマン趣味・ロマン主義陶酔だけではないということがわかります。グランドツアーに見立ててロマンの旅をしている五足の靴と、ひどく貧しい地域・キリスト教の地域で近代化のために日々活動しているフランス人のガルニエ神父様とどのような会話がなされたのでしょうか。随分立場が違う2つのサイドの出会いに興味がわきます。
 
 「五足の靴」は、紀行文を数日遅れで新聞に発表しましたが、この旅は単なる紀行文で終わるのではなく、発表後に世の中に影響を与えたということが着目すべき点です。

 「五足の靴」の北原白秋は詩集『邪宗門』を、木下杢太郎は戯曲『南蛮寺門前』を発表、その後の文壇に「南蛮趣味」の流行をもたらしていきます。
南蛮文化やキリシタンを日本の重要な文化遺産として再発見させる契機となったのがこの五足の靴の紀行文で、現在の世界遺産や世界遺産に近いものから着想を得たものが詩や文章を通じて世に出されそれが世の中の人々から迎えられ、南蛮文化やキリシタンが再評価され、それが現代にまでつながり、文章を読んだ人々が世界遺産やこれらに準じたサイトを評価するという循環があるように思えました。
 
北海道で暮らしていた私が初めて南国・九州に来たのは、ドイツ人のマンフレード神父様がしているボーイスカウトの一環で、フェリーの中で炊飯をし、神父様の運転するあんまりよくない教会バスを使って長崎の大浦天主堂を訪れた時です。私の中に異国趣味はありませんでしたが、キリスト教を知るという意味において五足の靴と目的が同じであると言えるかもしれません。

 北海道の建物と違って、ステンドグラスと白い壁とその内部のつくりに歴史と篤い信仰心を感じ、なんて美しいんだろうと思いました。私のキリスト教や教会建築への個人的な思いを大きくしてくれたのが九州という地でした。その時は自らが九州に住むとは考えてもいませんでしたが、現在は福岡市民です。

  公開講座の学外演習が8月8日と9日に行われますが、私は祈りと即興詩人の部分を見ていきたいと思います。
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 この日は最終回なので、みなさんに修了証が渡されました。皆勤賞のかたも10名ほどいらっしゃいました。

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                                 岩   井


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