建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、藤原惠洋(ふじはらけいよう)教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!

江上賢一郎さんが、ふ印ラボの中枢とも言える『芸術文化環境論』へ初出演されました。
その投げ込みとはいったいどのようなものになってにでしょうか!


MAMMO TVより
講師紹介

Kenichiro Egami
江上 賢一郎

1980年福岡県生まれ。早稲田大学、ロンドン大学ゴールドスミス校、文化人類学修士課程修了。イギリス留学中より、アートとアクティヴィズム、贈与経済、オルタナティヴな自律空間について調査、研究を始める。2011年より、東アジアのアート、社会運動のネットワーク作りを始める。2012年4月には、香港で東アジアのアート・アクティヴィスムの国際会議「East Asia Multitude Meeting」を企画。


新しい社会運動と経済のかたちから見えてくる可能性

江上 賢一郎さん(インディペンデント・リサーチャー)

貧富の格差に抗議し、ウォール街を占拠したニューヨークオキュパイ運動、チュニジアで起きた政治改革など、ソーシャルネットワークサービスを利用した新たな運動が世界中で沸き起こっている。世界では、新たな社会を望む動きが見られるのだが、その根底にあるのは何か。またどういう可能性があるのか。福岡を拠点にヨーロッパやアジアを独自に調査している江上賢一郎さんにうかがった。

江上さんはヨーロッパやアジア各地の社会活動に関するリサーチを独自に行なっていますが、そういう現象に興味を抱いたのは何がきっかけなのですか?

空間や建築というものに興味をもったことがきっかけでした。母の実家が北九州の門司にあり、幼い頃に訪ねていました。門司は昭和の初めまでは九州の玄関口で非常に栄えていた港湾都市です。親戚がそこで商売をし、みんなが近くに住んでいたので、親戚一同のコミュニティがありました。おもしろい空間の使い方が街で見られて、たとえば魚屋の叔父さんが二階の窓から身を乗り出して、こちらの家に乗り込んで刺身を渡してくれるとか。

あるいは移動式ラーメン屋の車が家の玄関前に停まってくれて、玄関をくぐるとラーメン屋のカウンターが出現したり、そういう家の内と外がくるりと反転するような経験が楽しかった。こういう振る舞いが街のあちこちに見受けられ、それで人々は自分たち固有の空間をつくっていました。幼い頃の経験から、どうも僕は空間というのを人と人との関係のあり方として捉えるようになったようです。

ところがその後の門司は再開発の対象となり、地上げにあい、コミュニティがバラバラになってしまい、玄関ではなく窓でものを渡すような関係は、マンションに移り住んだことで消え去ってしまったのです。

江上賢一郎さん

1990年代以降、日本全土を再開発の波が洗った時期にあたりますね。

そういう経験の後、大学進学のため上京しました。2000年頃は、まだ学内には、学生が勝手につくった場所がいろいろあって、そこでライブを催したり、鍋を食べたりと、自律的な空間の楽しさがありました。

またしても、そういう空間が整備の名目で潰されていき、挙句の果てには壁に立て看板やビラを貼ってはいけないとか座ってご飯を食べていても何か言われるといったふうに空気がガラっと変わっていきました。

それは大学内だけでなく、社会全体を見ても同じ動きがあって、たとえば路上で何かすることを萎縮させるような力が働いているように感じました。

街頭の監視カメラの問題が取りざたされるようになった頃ですね。

そうですね。とにかく街を見渡せば管理だけでなく、何をするにしてもお金がかかる仕組みに変わっていった。街でくつろごうとしても、公園のベンチは寝そべれない。だからカフェに入るなどして、お金を払わないといけない。

街が資本のロジックに絡め取られてしまっている。そこに違和感を覚えていましたが、だからといって、目撃している現象から何を見出し、アクションすればいいのかわからなかった。

その後、イギリスに留学し、ヨーロッパの社会運動に出会いました。これが転機となりました。

1999年にシアトルでWTO(世界貿易機関)の会議が開かれる予定でしたが、この内容が経済的な不平等を世界にもたらすということで、異議を申し立てる7万人の抗議デモが行われ、会議は中止に追い込まれました。

こうした社会運動をグローバル・ジャスティス・ムーブメントと呼ぶのですが、僕がイギリスに渡ったのは、ちょうどそのムーブメントがヨーロッパにも波及し出した頃で、新しい社会運動の風を感じることができました。

江上賢一郎さん

その運動の何が新しいのでしょうか?

2007年にドイツで開催されたG8(主要国首脳会議)を引き合いに話しますと、世界の動向が8カ国の首脳によって決められることに異議を唱える人たち2万くらいが集まり、会場のまわりにキャンプをつくって滞在し、一週間ほど生活しながら抗議のアクションを起こしていました。

中でも僕がショックを受けたのは、会議に向けて2万もの人々が会談の行われる場を目指して野原を突っ切っていく光景を見た時でした。人がある意志をもって共に歩く行為に立ち会ったのは初めてだったのです。

集まった人は一見するとデートに来たような格好のカップルや学生、企業で働く会社員、農家だとか特定の傾向はなく、ただG8のやり方に対し、「おかしいんじゃないか」と思う人が集まっていました。

新しい社会運動という点で、とりわけ印象に残ったのは、世界中から集まった人のキャンプ地にアクティビストの組織によって食堂やトイレ、ミーティングルーム、シャワーといった場がつくられたことで、ただの野原が小さな街みたいになっていたことです。

食事を何千人分も準備する専門のグループがいて、100人単位の食事をつくれるキッチンセットをもちこんで対応していた。寄付を募ってはいたものの、食事は無料でした。

これだけのものをロジスティクスとして用意できるドイツの社会運動の層の厚さにびっくりしましたが、しかも参加した人は客じゃなく、自主的に活動を手伝っていた。

大学の空間がなくなっていくことへの喪失感だとか貨幣がないと暮らせないといったこととは違うロジックがそこに働いていたわけです。僕が日本で慣れ親しんでいた社会とは違うかたちで生きられることにショックを受けました。

いままでは、たとえば「資本の論理に絡め取られないためにはどうすればいいだろう」と考えて、お金のない社会を想像しても、いったい何から手をつけていいかわからなかった。

でも、ドイツで見た光景は、人々が現状とは異なる社会を望むならそれは可能だと見せられたようでした。

ドイツ反G8

留学先のイギリスではどういう動きがありました?

社会問題への関心を共有するアクティビストが集まって生活する空間があることを知りました。そのひとつがスコットランドのエディンバラにあるブリストン・アンチバイパス・プロテストキャンプです。

ブリストンという古い森を切り開いて高速道路をつくる計画があって、それに抗議する人たちの集まったキャンプ地が設営され、スコットランド有数の古い森を守るために集まった人たちが伐採を防ぐため樹上に家を建てたりしていました。

ヨーロッパではこうしたスクワット(占拠)はシンプルな行動ゆえ、政治的なアクションにつながることが少なからずあります。

話をうかがっていますと、日本とヨーロッパでは公共に対する概念が相当違うと感じます。たとえば森林という国有地の占拠は、日本の昨今の論調からすれば、目的以前に非合法性を非難する声が沸くのではないかと考えられます。対して、ヨーロッパではその行動を支援する人がいれば、行政との交渉が行われる。周囲はどのように問題を捉えているのでしょう?

聞いたところによれば、その反応は土地の状況によるということです。エディンバラの場合は、周りの住民も建設に反対でした。だからアクティビストのやることは好意的に見ていた。

ただし、時折パーティを開いてうるさいとかはあるけれど、森を守っていることは評価していたから目をつぶっていたようです。

それから2009年から2010年にロンドン南西部のキュー・エコビレッジという村が一年だけありました。キュー・ガーデンという王立の植物園のそばに、不動産会社が30年塩漬けした広大な土地があって、ショッピングモールの開発計画がもちあがった。そこでロンドンのアクティビストが集い、新しいショッピングモールをつくるなら地域コミュニティのための庭をつくろうと試みた。

彼らは閉じられたゲートを倒し、スクワットし、掘っ立て小屋を建て、住みながら庭をつくり始めた。

スクワットから3週目くらいで僕も参加したのですが、窯をつくり植栽しと自分たちの生活をつくっていました。

自活のための食料はどうやって調達していたのですか?

スキッピングといって地域のゴミ箱から見つけてくるのです。いわば手付かずの土地の幸を手に入れる行為で、彼らは新鮮な果物を手に入るにはどこへ行けばいいかとか知っていました。

食のポイントで街を読み込んでいて、しかも店のほうも日本みたいに捨てたものまで回収禁止ということはしない。僕もメロンを手に入れることができました。ともかく彼らは独自の地図をもって街を見ていました。

どこに行けば何が買えるといった消費とは異なる地図の広げ方ですね。

はい。手に入れた食材を料理のうまい人がつくって、みんなで食べました。夜は電気がないから火の周りでご飯を食べます。その後は、中央のソファで議論したり、ギターをもった人が歌を歌ったりして過ごしました。

あるとき思わず空を見上げたら星がたくさん瞬いているのが目に入って、ふと横を見たらアパートがあり、そこの窓から漏れるテレビの光が見えました。

その光を見た時、たった一本の道路を隔てて生活のあり方がまったく違うことに驚き、と同時に怖さを感じました。

僕はいまたまたまこちらで星空の下、ご飯を食べているけれど、普段はあっち側にいた。空間が道路ひとつで違うことに不思議さを覚え、さらに労働ってなんだろう?と思いました。

というのも彼らが最初に始めたのは土を取り返す作業だったからです。その土地はもとは工場の敷地だったのでアスファルトのような人工物でカバーされていたのですが、それをツルハシで叩き割り始めた。大地を空気に触れさせる。世界に戻していく行為です。 

それを見たとき、いわば懸命にコンクリートで地面を埋めるようなことが「働くことだ」と思っていたけれど、これからの仕事はアスファルトを剥がすことかもしれない。そう思いました。

アスファルトを流し込んで平らにした社会は商品の流通には都合がいい。商品をよりよくまわすには効率がいい。しかし、それは生き物よりも商品のための空間で、人間がそこにいて疎外を感じるのは当然のことです。

ロンドンで土を取り戻そうとしているこの試みは、未来を先取りしているかもしれないと思いました。

彼らの場所づくりは、建物ありきではない。きれいな建物や庭をつくりたいというよりも、社会的な問題を引受け、新しい社会をつくろう。貨幣には乗っからない、商品にはならない人間の生きていく上で必要だと感じているものを実現していく。そういう行為をやっていた。とても創造的な行為だと思いました。

ロンドンエコビレッジ

日本よりもグローバリゼーションを早く経験しているがゆえの空間を取り戻そうという試みでしょうか。日本は21世紀に入って再開発ラッシュで商業施設がどんどんつくられています。

どこに行っても、「あなたはそこにいていい」という場がありませんよね。学校にしても学生だからといって必ずしも居心地はよくないし、校則というコードや学校の中の成績という序列において与えられた場があるだけ。

僕も居場所がなくなりつつあるという思いを抱え、ヨーロッパに来てみたら実は豊かな空間をつくれることを知ったので、そこで今度はアジアはどうかと思い、ベトナムに行きました。ヨーロッパでは空間を考えること、空間を取り戻すことは政治的な意識に結びつきます。

でも、ベトナムの路上の光景を見たとき、政治意識とかなんとかではなく、むき出しの暮らしの姿があり、すでに空間は誰のものでもなかった。路上は誰かの、あるいは誰にとっても庭であり台所であり店であったりしました。

たとえば、路上に椅子ひとつを置くだけで、たちまちそこは店になります。何かを始められる空間になる。

日本の路上は完全にコントロールされています。ところがベトナムでは、政治体制としては一党独裁ですが、路上の在り方は多種多様でした。

具体的に路上ではどういう光景が展開されていたのですか?

アイスクリーム屋がありましたが、店には椅子とテーブルがあるものと思いきや、それらがない。ベトナムの移動手段はバイクが主で、そこでバイクで直接店まで入ってきて、客はシートを椅子代わりにアイスクリームを食べていたのです。その領域はパブリックなのかプライベートなのかわかりません。思い思いのバイクに座って食べているからお客さん然とはしていない。どこかの庭先の感じがして、その態度がおもしろい。

また、お店がしまった後、シャッターの前に露店が開かれ、もうひとつの店の営業が始まる光景も目にしました。つまり、僕らが思っているよりも都市という空間は固定的なものではなく、人がそれをどう捉えるかで現れ方、使い方は無数にある。僕らのアクションによって実現するものが異なるわけです。

ベトナムの空間のつくり方に特徴はありますか?

彼らの路上の空間実践の上で空間のつくり方にふたつあって、ひとつはバイクです。移動してそれを椅子にように扱う。あとは低い椅子です。これは一度座るとお尻に根が生えた感じを周囲に与えますね。「当分動かんぞ」という感じがします。

彼らはどうも「路上は誰に所属するか」といった日本でよく聞く言い方はしない。路上はみんなのものなのです。

だからといって、彼らの都市空間の寛容さがユートピアというわけではありません。貧しいがゆえに路上でしか商売できない現実があるからです。

また、警察による取り締まり、賄賂、近隣とのもめ事は日常茶飯事だと聞きます。しかし、それでもなお人々は自分達の空間を路上に生み出す行為を続けている、日常生活の中に政治的なものが見え隠れする。

つまり、ヨーロッパとは異なる異相で、日常生活や路上において、権力に対する空間の政治的・経済的な係争と人々の実践が起こっているのだと理解しました。

それにしてもベトナムと比べて日本の路上における振る舞いの取り締まられ方は異様だと言わざるをえません。いま僕らが目にしている不寛容さは、意外と新しい事態で、少なくとも戦後20年くらいまではそうではなかったはずです。

僕のリサーチの出発点は、「人間の行為そのものが空間である」という視座です。いまの日本の都市空間には居場所がないし、「あなたの場所をつくっていい」とも言われないし、様々な行為の可能性はむしろ禁止されている。「そこにいていいよ」という了解が共有できない。そういう社会は窮屈だし、不健全というか暴力的な空間だと思います。

とにかく従順でないといけない。そういう暴力的な論理を持ちだしたのは誰なのか。それは本当に人間に対し要求できることなのか。そのことを考えないといけない。特に震災と原発の事故が起きた後であればなおさらです。

ベトナム

アスファルトを引き剥がすような、これまでの労働とは異なる行為をこれからの日本のどこに見出していますか?

震災以降、九州に移住してきた若い女性や子どもを連れた女性と接する機会がありましたが、彼女たちと話すと、専門的な知識に基づき行動したというより直感で動いた。これは危ない。そう感じて、九州へ来た。それは理屈じゃない。ただ感じたままを行動に移した。

正直、放射性物質に関する汚染の状況は延々と議論が続けられていくような事態になるだろうと思います。「必要以上に怖れることはない」という一方、「いや、実際はもっとひどい状況である」だとか。

個人的には、政府やマスメディアの言説を無批判に受け入れない立場でもあり、放射能汚染のリスクは最大限に見積もるべきだと思っています。ただ、いろんな議論はこれからもあるでしょう。

でも、とりあえず明らかなのは、すでに行動を起こした人は、そういう状況への解釈を巡る論争から一歩抜けだしているということです。情報の分析ではなく、直感的に状況を把握し、移動して生活をつくり始めている。単純にいってそちらのほうが生きているし、自分の空間をつくり出す行為になっている。つまり、別の「現実」を作りつつある。

そもそも人は解釈するために活動するマシーンではないので、生きようとする意志をもつ人の流れは生き生きとする方角に向かいます。

そういう意味で、3.11以降、生きることを始めた人たちが増えたのではないかと思います。

ここで言う生きるとは、大学名やキャリア、就職等ではなく、命果てるまで死なないで生き抜くことを意味します。

いまは目と脳で解釈してしまえるようなことが増えていて、それは建築でもアートでもそうですが、どこかで思考と体が切り離されている。それだけに、そういう態度で生き始めた人のつくり出すものは興味深いですね。

頭では辻褄はあっても現実は理屈通りではありませんね。

だからこそ頭と体をつなげる作業を始めたいですね。東京から九州に戻ってみて思うのは、自分自身の関心が東から西へ向かっていることで、幸い博多は釜山まで船で3時間、飛行機で50分程度。ほかにも中国、韓国、台湾、東南アジアにも近い。

去年から韓国へ行き、アートと場所づくりをしている人を訪ねています。アジアの場所と場所をつないで、交易路をつくりたいと思っています。

いまアジアでは土地の再開発で奪われた生活を取り戻す動きが盛んになっていて、そういう場所と場所、人と人をつなげたい。

日本は学校や企業といった組織の括り同士のつながりはあっても、個人が個人に手を差し伸べない。けれども、これからは組織ではなく個人と個人のつながりが重要になるはず。

人と出会うことがこれからは以前より重要になってくるし、それは日本だけではない。それができるかどうかで生き方が暮らしのかたちが変わっていく。だから、できるだけそういうルートをつくっていけたらと思っています。

個人と個人の交易とは、どういうことをイメージしているのですか?

ひとつには資本主義のロジックとは異なる経済です。たとえば贈与経済。資本主義は「して欲しいこと」をお金に換算して、釣り合ったらサービスを受ける。

比べて贈与経済はどういうものかと言えば、たとえば隣の人にペンを貸してもらったりするようなことです。そこにはお金が介在しない。これは僕たちの生活の中にすでにあるし、無意識で行なっています。

フランスの人類学者、マルセル・モースは贈与経済とは、資本主義以前からあった人間の契約の方法で、計算できないものだと言いました。

計算できないかわりに、贈与のやり取りで別のつながりが生じる。プレゼントをあげたらお返しをする。そこでは人と人との交易で生まれるエネルギーがお金ではなく贈与を通じて駆動する。資本主義の生まれる前からあった経済です。

僕が留学中に大きな影響を受けたアメリカ人の文化人類学者D・グレーバーは、この贈与経済こそが人類のいかなる場所でも見られる広く普遍性を持つ経済の在り方であり、また元々共産主義とは、この贈与を原理とした個々人の関係性のことであると言っています。

つまり、「私が自分のできる範囲で、あなたを手伝い、助けること」をお互いに約束することが贈与経済であり、そうすることで私たちはすでに共産主義的に生きているのです。むしろ資本主義とはこの人々の贈与経済•共産主義に依存し、そこから人々の力を管理・搾取する寄生的なシステムだと彼は述べています。

このように、僕らは資本主義の社会の中だけで生きていると思っていますが、こうしたいま・ここにある贈与経済の世界をあまり見ていない。

しかし、自分達の生活の中ですら、何か賃金や利益、そして自己の損得とは別のロジックや情動で動いている行動や振る舞いが確かに存在している。そこをきちんと見て、拡張していけば、別の経済が、生き方の可能性が生まれるのではないでしょうか。そんなふうに思っています。

[文責・尹雄大]

江上賢一郎さん

 

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