藤原惠洋先生が教鞭を取られる大学院授業「芸術・文化環境論」では「ブラウン
フィールドからクリエイティブシティへ」というテーマのもと、実践的な授業が
展開されています。地域社会や、様々な問題孕む場所、環境、コミュニティが
地域住民の創造性によって再生を果たす可能性を追求していきます。
5月30日(土)は、5月にユネスコ世界遺産韓国を受けた「明治日本の産業革命
遺産」の構成資産である、大牟田・荒尾の炭鉱遺産を踏査しました。
スケジュール
日時: 2015年5月30日 (土) 8:40~ 18:30
8:40 九大バス、大橋キャンパス出発
10:20
大牟田市石炭産業科学館
11:50
乗車 昼食 高専ダゴへ
12:30 昼食
13:30
万田坑跡地見学
15:00
バス乗車 宮原坑へ
15:20 宮原坑跡地見学
16:30 三池港見学
17:00
バス乗車 大学へ移動
18:30 大橋キャンパス帰着
解散
当日は日本人学生に加え、中国、韓国、イタリアからの留学生、NPO法人大牟田
・荒尾炭鉱のまちファンクラブ元理事長の永吉守さん、国内外のオルタナティヴ
スペースの可能性を研究されている江上賢一郎さんらも参加してくださいました。
まずは石炭産業科学館にて、石炭とは何か、石炭産業はどのような都市、歴史、
文化を創ったのかを学びます。中野浩志から2時間近くたっぷりとガイドをいただき
様々な角度から解説をいただきました。この春から石炭産業科学館のガイドとして
最年少の大塚沙輝衣さん(中学3年生)も駆けつけてくださいました。
中野さん、大塚さん、大変ありがとうございました。
お昼は高専ダゴ船津店でスペシャルサイズと焼きそばをいただきました。
高専ダゴは、もともと有明高専の側にあった「新みつや」から始まり、炭鉱マンや
学生達が好んで食べていたことが起源です。特大サイズのお好み焼きをお母さん達が
次々とひっくり返して下さいました。
国指定
重要有形文化財 国指定史跡 万田坑
午後は熊本県荒尾市の万田坑を見学。万田坑ステーションで、万田坑ファンクラブ
の坂口さんより解説をいただき、いざ現場へ。現場のガイドは、2年間万田炭鉱館で
お勤めされていた永吉守さんにいただきました。
万田坑は、三井三池炭鉱の主力坑として建てられ、明治35年(1902)年、三井鉱山が
模範炭鉱となるよう総力を挙げて建設し、第一立坑は当時わが国において最大規模
のものでした。現在は人員の昇降を行っていた第二竪坑が残っており、現在、
第一竪坑は基礎と坑口が残っています。第二竪坑、安全灯室、浴室、扇風機室、
ポンプ室、倉庫、職場などが現存することから、採炭の一連の流れを理解する
ことができます。
宮原坑 (国指定 重要有形文化財 国指定史跡)
万田坑の後に、福岡県大牟田市に残る宮原坑に向かいました。宮原坑は、官営時代
に開坑された炭鉱の一つで、明治31年(1898)年に第一立坑開坑、昭和6年 (1931)に
閉坑します。宮原坑は、かつて刑期12年以上の囚人が使役させられた過去が
あります。使役させられた囚人は2000人にものぼると言われており、三井三池炭鉱
が閉山した平成9年(1997)後も、2000年頃まで坑内点検のため稼働していました。
ガイドをしていただいた酒見健次さんは炭鉱が生んだ文化にも大変造詣が深く
「炭鉱は負の遺産と言われているが、炭鉱から生まれた文化にもっと目を向ける
べきだ。当時生きた人たちの誇りや地域への愛着、濃密な人間関係が文化にこそ
現れている。」と述べられ、うたごえ運動を牽引した作曲家
荒木栄やアララギ派の
山口好などのお話もいただきました。
最後は石炭の輸出港として作られた三池港に向かいました。当時、有明海は遠浅で
干満の差が5.5mあり、大型船の停泊は不可能でした。それまで石炭の積載は、
長崎県島原半島の口之津港で人手によって積み替えを行っていました。
そこで三井三池炭鉱初代事務長の團琢磨が1908年に、巨額を投資して築港しました。
現在も現役で使われている港です。永吉さんから詳しくご解説をいただきました。
世界遺産勧告を受けた構成資産を見て回りましたが、観光客は雨天ということもあり
来訪者に変化はあまり見られませんでした。産業遺産を理解するためには、その
システムや全体性以外にも、当時の社会的背景における役割と変遷、役割、そこで
生まれた暮らしや文化など実に多くのことを知らなければなりません。
それらを活かし伝える側になることは、さらに理解と工夫が必要となりますが、
課題を共有し可能性を見つけてゆきたいと感じました。
フィールドワークでお世話になった皆さま、本当にどうもありがとうございました。
國盛