建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!

2014.11.23 田川まち歩きガイド養成講座+田川市フィールドトリップに参加しました!

 

今回は、午前中まち歩きガイド養成講座を受講。そして午後は、田川後藤寺駅周辺を歩きます。

 

講義その1「田川の歴史」

石炭・歴史博物館の安蘇館長による田川の歴史を振り返り講座です。

田川市は、昭和18年 伊田町と後藤寺町が合併してできました。もちろん、炭坑の歴史はそれよりさらに古く田川採炭組合は明治22年に設立しています。

明治時代以降、石炭の需要が急激に高まり、それに伴い、筑豊全体も変化してきます。

もともとは農村だった地域が、石炭の発見により、他の地域からの流入もあり、住民同士の複雑な関係ができていきます。

いわゆる荒くれ者の炭坑夫達やその家族を仏教の教えや学校などで教育していきます。前回、フィールドトリップで訪れた三井寺は、冠婚葬祭の為だけではなく、人間教育的な側面もありました。

田中直樹.先生(炭鉱史・日大教授)のとびうめ国文祭時の「炭坑の文化」シンポジウムの基調講演では、「筑豊地域社会と石炭」と題し「筑豊を理解する視点・論点」などについて講演されたとのこと。

産業化に伴う様々な諸問題がある中、一時は日本を支える産業として栄えましたが、昭和30年代に始まるエネルギー革命の波には抗えず、三井田川鉱業所は昭和39年に閉山、そして昭和45年には、市内からヤマの灯が消えいきました。

閉山後の現在の田川の課題は、これまでの田川の歴史をより知ることが重要なようです。

 

講義その2「建物の見方」

石炭・歴史博物館の清水副館長による建物の見方講座。

まち歩きを楽しむには、地域の面白い建物をどのように発見したり、見たりするにはどうしたらよいかというものでした。

いつもの風景をいつものように何も考えずに通り過ぎるのではなく、少し屋根の形に目をむけたり、壁の煉瓦の積み方に目を向けたりしてみると、実は様々なルールがあったり、時代の流行があったりすることに気がつきます。

様式を覚えるには、多くの知識が必要になりますが、一つ知るとまた新たに次の知識につながります。

特別な観光地ではなくても、田川のささやかな建物や橋や山にも、いつもと違う視線でみると、よりまち歩きが楽しくなります。

午後のフィールドトリップが楽しみになりました。

今回、第4回目の田川市フィールドトリップは、田川後藤寺駅から旧三井田川鉱業所一坑周辺を巡るものでした。

 

後藤寺線ガード下の煉瓦積を見るや否や、「イギリス式かフランス式 どちらだろう?」という会話が繰り広げられ、午前の建物の見方はすぐに実践されているようです。
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さらに住宅地を歩いて行くと、ひろーい空地にでました。ここは、三井鉱山タイル田川工場跡だそう。この空地のさらに奥は、現在、宅地として開発されていますが、実は三井田川鉱業所一坑本部事務所があった場所とのこと。

現在では、ただの広い空地にしか見えませんが、今から50年前には、ここで多くの方が働いていたのでしょう。
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これより歩いて、小さな山を登って行くと、そこにはサッカー場が何面にも広がる運動公園がありました。なんとここは、ボタ山跡。自然の山ではなく人工的な山の跡に、整地され運動公園ができているのです。何とも不思議な風景です。

ここからは、町が一望出来ます。三井が作った小学校や、二坑があった大藪方面、その他のボタ山などぐるりと眺める事ができました。

※ボタ山(ボタやま)とは石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場。
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 田川には炭住(たんじゅう)と呼ばれる炭鉱住宅(たんこうじゅうたく)が残っています。主に炭鉱周辺に形成された、炭鉱労働者用の住宅のことです。木造の長屋風なものが多いですが、現在、世界遺産で賑わっている軍艦島の高層アパートも炭住のひとつです。
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田川では、現在も改良されるなどしながら、住宅として残っています。石炭・歴史博物館に行くと、当時の暮らしの様子が展示されています。

Comments

    • 宗良父's comment
    • 2014年12月25日 18:04
    • 5 いやあ、これも感動の記事です。後藤寺駅から平松に向かう鉄道をくぐるトンネルは、幼年期の私には恐怖以外の何物でもありませんでした。母に手を引かれて駅前商店街に買い物に行くとき、平松の社宅に帰るとき、2回通らなくてはならないのです。千と千尋の最初と最後に通るトンネルのイメージ。決して振り返らない、明かりの見える前に進むのみ。

      一坑は駅から見えたボタ山のことでしょうか。当時はヤマがまだ生きていたのでしょう、ボタを捨てるガラガラガラという音が今でも記憶に残っています。

      あのボタ山跡の上から二抗の方を見ると、二坑のボタ山があったあたりが消防の施設になっているのが見えます。二抗のボタ山は二つあって、低い方がとてもきれいな形をしていてよく父と登りました。

      VR,ARというのが流行っていますが、ウエアラブル眼鏡でかつてあった風景がよみがえるツアーもこれからできるといいです。

      三井鉱山タイル田川工場は、夕日丘の社宅に住む友達のお父さんが勤めていて、タイルのサンプルをもらって、おはじきにしたのを思い出します。

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