福岡県の中央、内陸部に位置する筑豊地域は、幕末明治以降から1950年代頃にかけて
石炭産業によって著しく成長しました。しかし、後にエネルギー革命等の影響を受け
閉山、現在は衰退と疲弊が深刻化した地域の一つでもあります。
その一方で、置き土産のように残る近代化の足跡やまちの面影は魅力的で大変価値が
あるものであり、それらをまちの宝として磨き上げていく可能性や必要があります。
田川市は2014年秋から、文化庁文化芸術振興基費補助金(文化遺産を活かした地域
活性化事業)の助成を受けて、清水憲一先生(石炭歴史博物館副館長・九州国際大学
元学長)を中心に市民参加型の「まちあるきガイド養成講座」と「田川市フィールド
トリップ」を開始しました。藤原研究室では、メンバーがスタッフ参加すると
同時に、学部生授業「芸術文化企画演習」のカリキュラムとしてタイアップし
神戸芸術工科大学の谷口文保先生による参加型アートプロジェクト展開、
日田時報印刷のタカクラタカコさんを中心としたまちあるきルートマップの作成等
盛りだくさんの展開を見せる予定です。
11月9日(日)は午前中に第一回まちあるきガイド養成講座、午後より第三回
フィールドトリップが開催されました。
10:00〜田川市石炭歴史博物館の模擬炭住が会場でした。そこで養成講座が開催されたのです!
思いこもごもの25名程の市民の方々が集っていらっしゃいました。
冒頭、清水先生によるガイダンスでは、世界記憶遺産に認定された山本作兵衛の「炭坑記録画」のみではない、地域に残る炭鉱遺産を資源として活用し、まちの誇りにする大切さが語られました。
そこからいったいどんなかたが参加されているのかぜひ知りたい、との清水先生の声かけで、まず最初に参加者の自己紹介が自由に楽しく行われて行きました。
続く後半はふ印ボスの藤原先生の出番です。
テーマは「まち歩きの方法」。
参加型まちづくりを先導してきた先生らしく、ゆっくりとした雰囲気づくりの中で会場の参加者に呼びかけながら、意外な観点から話が進んでいきます。
今回の参加者のみなさんがまち歩きガイドになったと考えて、よそから来た私たちに対して、どうぞ田川の「目印」「得意技」「苦手なこと」を教えてください、とそれぞれの思いつく情報をひとり最大で3つづつ付箋に書き出し、いったい田川とはどういう場所であるのだろうか、と今一度捉え直していくことにしました。
続いてまちを歩く際、文化財のみならず日常のそこかしこに溢れる人々の生活から生まれる面白みを捉える目線の大切さを、亡き赤瀬川原平氏、藤森照信東大名誉教授らと共に1986年結成の路上観察学会メンバーとして活動していた頃の藤原先生の写真作品を見ながらふりかえっていきました。
午後はいよいよ田川フィールドトリップです。
この日は田川市図書館を起点・終点に、三井田川鉱業所二坑周辺跡を歩きました。
案内人は、原田巌さん、お母様の原田ハル子さん。ハル子さんはなんと
御年98歳!! 活き活きとしたガイドと健脚に一同驚嘆。
巌さんは炭鉱節保存会の活動を積極的に行っていらっしゃると共に、石炭・歴史
博物館のガイド役も担っていらっしゃいます。原炭坑住宅、廃線跡、共同浴場が
あった場所やかつての繁華街の跡などを歩きました。
松原炭坑住宅跡。一帯は全棟解体され、跡形もなくなってしまい現在は公園として
整備されています。
炭坑電車の跡。当時は石炭を積んだ列車が通り、地域を行き交う人々の交通
としても親しまれていました。
ボタ(石炭を選炭する際、岩石として廃棄されたもの)を積んで作った石垣。
炭坑が操業していた頃の話を聞き、当時の姿を想像しながらながらじっくり
歩いて見て回ると、これまでとは違ったまちの姿が残された遺構からじんわりと
浮き上がってきました。この成果を大切に、多くの人々と共有できるきっかけ
づくりが出来ればと思いました。
次回のまちあるきガイド養成講座・およびフィールドトリップは
11月23日(日)10:00〜田川市石炭・歴史博物館を拠点に開催予定です。
D3 國盛
二坑は今消防署になっているところにボタ山が2つあった所?
子供のころ、夕日丘の崖からよく眺めていました。