ふ印ラボ修士課程1年生の吉峰拡です。夏季活動報告第2弾として私が友人と共に8月に実施した講演会について報告いたします。
会場となった金沢学生のまち市民交流館 外観①
金沢学生のまち市民交流館 外観②
さる8月10日、金沢学生の街市民交流館にて“金沢の「気骨」を学ぶ”という講演会を企画立案・実施してきました。というのも、私は福岡に越して来る前は石川県金沢市に5年ほど住んでおりまして、金沢美術工芸大学在籍時から学生団体を立ち上げ、商店街活性化や庭に注目した街歩きなどの活動を行なって来ました。こうした活動によるつながりから、今回の企画を実施することになったのです。
金沢市は学生に対して独自の文化政策を行なっています。その根拠となるのが「金沢市における学生のまち推進に関する条例」です。2010年に全国に先駆けて施行されたこの条例では、地域社会が学生を育むと同時に、学生が自発的にまちに出掛け活動することを奨励し、民官学・市民が相互に連携しつつ学生を支えていくことが掲げられています。
また全国的に有名な金沢21世紀美術館や金沢城、兼六園、金沢市民芸術村など文化資源や創造拠点が旧市街地に点在しており、地方中規模都市の中でも注目を集めている街の一つです。
ご講演頂いたのは元金沢市長・山出保氏。2冊の著作『金沢の気骨』および『金沢を歩く』の内容をもとに、20年に亘る金沢市政のまちづくりについて、学生や若手社会人向けにお話しいただきました。
先ほど触れた金沢21世紀美術館と金沢市民芸術村は山出氏の政権下に設置されたものです。また「金沢市における学生のまち推進に関する条例」も同様です。
この他金沢市内を流れる用水をコミュニティの交流促進の場であり重要な景観要素であるという観点から用水を保全する条例を制定したり、旧町名を復活させたり、東山茶屋街の重伝建地区指定に尽力するなど、金沢の古くからの町並みや景観を保全してきました。さらに伝統工芸の振興はもちろん、現代文化の振興策として「オーケストラ・アンサンブル金沢」や「eAT KANAZAWA」などの文化事業も推進してきたこと、そしてなにより創造都市認定を受けるに至らしめたことは言うまでもありません。ではこうした一連の取り組みはどのような考えのもとに行われてきたのでしょうか。
会場の様子
今回の講演会への参加者は29名、うち6名は協賛者様でした。16〜19時の3時間という短い時間でしたが、多岐にわたる内容の基本講演と活発な意見が飛び交う意見交換会など非常に有意義な会になりました。
基調となる講演は著書『金沢の気骨』および『金沢を歩く』の内容を紹介するような、著書を読んでいない人にもわかりやすい内容でした。順を追って紹介していきたいと思います。
はじめに、山出氏がご自身を「まちの攪拌機」でありたいと称されつつ、八百屋、酒屋などの「屋」号の商店が街なかから減少してきたことの危惧から、その対応策としての大規模店舗規制に関する条例などの取り組みを紹介頂きました。
続いて金沢の歴史に触れられ、加賀藩前田家の頃から430年に亘って戦災を受けていなかったことを強調、金沢は「歴史に責任を持つべきまち」とされていました。
また金沢の地形を俯瞰的に捉え、歴史文化的資産が点在する保存推奨地域や新都心として開発していく地域の区分けを行うこと、まちなか区域における高等教育機関の充実度などについて説明頂きました。
特にまちなみの保存に関しては、その取り組みとして重伝建地区や文化的景観の選定を受けたこと、職人大学校の設置による保存修復の技術の伝承などについてお話いただきました。
山出氏がご自身の著作や今回の講演会においてもよくおっしゃっていたのが「歴史に責任をもつべきである」という言葉。加賀藩からの歴史的な文脈を大切にし、奇を衒う事業や政策は行わないことを常に念頭に置いてきたのだということでした。一方で、伝統文化の継承も重要だが、新文化の創造や伝統文化との共演の重要性についても強調されていました。
その例の最たるものが伝統工芸です。金沢市には国指定伝統工芸が6種類、市指定の希少伝統工芸が17種類あります。伝統工芸に指定するという行為自体がものがたるように、産業構造の転換や生活スタイルの変化に伴って工芸品の需要が少なくなり、後継者不足も手伝って産業として成り立たなくなったことはみなさんの知るところであると思います。こうした伝統工芸を取り巻く環境において、金沢市は1995年の「世界工芸都市宣言」以降、「世界工芸都市会議・金沢」および「世界工芸コンペティション・金沢」を実施し積極的に金沢のものづくりを世界へ発信しており、現在は「金沢・世界工芸トリエンナーレ」として発展しています。また2009年にはユネスコ創造都市の認定を受け「金沢クラフトビジネス創造機構」を設置し、ものづくりの強化とビジネス化、若手作家の新規参入しやすい環境づくりなどを目指しています。中心街にあるクラフトショップでは加賀友禅のネクタイや水引細工のアクセサリー等が購入でき、市民や観光客にとって身近なものとなっています。
また工業分野について、金沢市の産業は工芸品からカラクリ、機械製造へと発展してきたという歴史があります。ニッチトップ企業と呼ばれる企業が石川県内、金沢市には多くあります。ニッチトップ企業とは市場において特定の分野で高いシェア率を誇る企業のことです。石野製作所の回転寿司用ベルトコンベアや渋谷工業のボトリング技術などが例に挙げられます。
このほか、国際物流拠点、国際観光拠点としての金沢港や来年3月に迫った北陸新幹線の金沢開業に伴うツーリズムの振興と問題についてもお話しいただきました。そして金沢の今後のあり方について、人口減少時代に備える・まちなかを凝縮すること、個性と魅力を磨くことを挙げられ、基調講演は終了しました。
コーヒーブレイク(休憩)の際には山出氏への質問や感想が絶えず、学生同士の交流も賑いを見せていました。その後の意見交換会でも学生から積極的に質問や意見が飛び交いました。
学生のまち条例を作る際のイメージや思いはどうだったか?という質問に対しては、
「金沢は観光都市ではなく学術・文化都市にしたかった。高等教育機関が多い。
その知恵を行政が借りる。大学を大切にすることは学生を大切にすること。
昔の学生は下宿などでまちとの関わりが多かった。卒業しても金沢と繋がっていた。今それが無い。もう一度復活させるために拠点や条例が必要ではと思い、学生のまち推進条例や金沢学生のまち市民交流館をつくった。大学と行政のスクラムをより強化すべき。」
また、金沢学生のまち市民交流館などで活動する学生を見て今どう思うか? という質問に対しては、
「率直に良いと思う。学問のために大学に行くわけだが、街中にも来て欲しいと思う。」との返答を頂きました。
その他学生の様々な意見や質問が飛び交い、短時間ながら有意義な会となりました。同時に学生に対してアンケートも行ない、約7割の人が非常に有意義だったと答えたことから、満足度の高い企画となったのではないかと思います。
現代は公共施設や文化政策においても高い費用対効果が求められる時代です。そこには芸術や文化がサービスであるという認識があり、それらを提供する側は効率的なサービス運営が期待され、必要視されます。「アートマネジメント」という言葉が耳慣れたことがその一端を表しているように思います。そんな中である種、時代に逆行するカタチで進められた金沢市の学生のまち推進。学生を行政、大学、市民で支援し合うことがまちの賑いを作り、将来の金沢を担うことに繋がるという理想は理解できますが、本当にいつかリターンがあるのか?という疑問も払拭出来ないかもしれません。確固たる信念がなければこのような取り組みは出来なかったでしょう。
しかし今回の講演会に参加した多くの学生と交流したところ、アンケートでもそうでしたが「金沢で働きたい」、「いつか金沢に戻ってこれるようになりたい」、「金沢のためになることをしてみたい」という感想を引き出せました。わずか30人足らずの意見ではありますが、「金沢の気骨」を学び取った学生が自発的な意志持つためのきっかけを提供出来たのではないかと思います。
この場を借りて改めて山出保氏と関係者の方々に深くお礼を申し上げます。
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(文責:吉峰)