7月11日は藤原先生と藤原研究室の博士課程の馬さん、柯さん一緒に中国で行いました国際文化管理学会に参加しました。
その学会に参加した後、私(張)と柯さんはさらに足を延ばして21日までには中国の南京と上海の創造都市の発展状況について現地調査を行いました。
今回の中国国際文化管理学会では藤原研究室の中国からの留学生馬麗那さんが創造産業においてのNPOの役割としてについて日中事例の比較研究発表を行いました。面白かったです。
北京に着くと中国人民大学の鄭暁紅先生がお迎えに来てくださいました。
鄭先生との出会いの後は鄭先生と一緒に世界で活躍をしている建築家迫慶一郎氏の事務教を尋ねました。
迫慶氏はそもそも福岡出身として、日本にとどまらず、日本を体表する世界的に有名な建築家です。
今回の話ではただ建築だけではなく、昔の建築を活かした文化空間の利用まで話が続きました。
迫慶氏も中国の創意園区のようなことが福岡でもでき、アジアの文化中心都市として発展させる構想も持っていまして今後の活躍がもっとも期待されました。
次の日は学会の発表が続きました。
中国から始めアメリカ、カナダ、豪州、日本など世界のだくさんの学者たちが参加し、世界の文化政策を交流する場でした。
中国の中央主導的な文化経済活性化政策に関する話とともに、文脈やコミュニティなどの文化の社会的な影響に関する世界の事例も紹介されました。国際学会を通じて世界の視点から自国の文化政策を映してみることとともに自国の文化産業政策に関する世界への紹介など。今回の学会は文化創造産業を通じてもっとも成長する中国の未来の様子が見えました。
次は本当の現場へ。
中国の文化創意産業の拠点として昔の軍需工場を生かしている創意園区の調査を行いました。
751にはまだリモデリングをしていないとこるではこのような撮影場としても利用していました。
藤原先生によると、人間という有機物は工場の無機物の前でもっと目に立つだそうです。
そして、工場の奇妙な無機的な風景も有機的な人間の前で新しい生命力を得ていました。
もしかして、アートという人間の感情的な部門は工場のような機械的な建物のなかでもっと展示効果や観覧効果があるかもしれませんですね。
中国は工場ではなくて四合院という伝統的な住居地を生かした創意園区も試していました。
町では喫茶店およびアクセサリーショップや伝統服などの販売店が集まって観光客を呼び寄せていました。
もっと中に入ると蓬蒿劇場という小劇場がありまた。
蓬蒿劇場は喫茶店運営と共に実験的な演劇を通じて地域の創造拠点としての役割を担っていました。
これからは台湾留学生の柯さんとの北京の日常風景や歴史の中に。
天安門広場は毎日6時ぐらいに国旗を掲げる様子を見るためにたくさんの人が集まっています。
中国人は一生に一度天安門広場で国旗を掲げることを見るのが夢だそうです。
次は万里の長城を見に行きました。
2000年も超える歴史を持っている万里の長城ですが、私たちが訪問したのは17世紀に建てられたそうです。
中国の伝統技芸団の公演
2008年行った北京オリンピックのメインスタジアム
その学会に参加した後、私(張)と柯さんはさらに足を延ばして21日までには中国の南京と上海の創造都市の発展状況について現地調査を行いました。
今回の中国国際文化管理学会では藤原研究室の中国からの留学生馬麗那さんが創造産業においてのNPOの役割としてについて日中事例の比較研究発表を行いました。面白かったです。
北京に着くと中国人民大学の鄭暁紅先生がお迎えに来てくださいました。
鄭先生との出会いの後は鄭先生と一緒に世界で活躍をしている建築家迫慶一郎氏の事務教を尋ねました。
迫慶氏はそもそも福岡出身として、日本にとどまらず、日本を体表する世界的に有名な建築家です。
今回の話ではただ建築だけではなく、昔の建築を活かした文化空間の利用まで話が続きました。
迫慶氏も中国の創意園区のようなことが福岡でもでき、アジアの文化中心都市として発展させる構想も持っていまして今後の活躍がもっとも期待されました。
次の日は学会の発表が続きました。
中国から始めアメリカ、カナダ、豪州、日本など世界のだくさんの学者たちが参加し、世界の文化政策を交流する場でした。
中国の中央主導的な文化経済活性化政策に関する話とともに、文脈やコミュニティなどの文化の社会的な影響に関する世界の事例も紹介されました。国際学会を通じて世界の視点から自国の文化政策を映してみることとともに自国の文化産業政策に関する世界への紹介など。今回の学会は文化創造産業を通じてもっとも成長する中国の未来の様子が見えました。
次は本当の現場へ。
中国の文化創意産業の拠点として昔の軍需工場を生かしている創意園区の調査を行いました。
751にはまだリモデリングをしていないとこるではこのような撮影場としても利用していました。
藤原先生によると、人間という有機物は工場の無機物の前でもっと目に立つだそうです。
そして、工場の奇妙な無機的な風景も有機的な人間の前で新しい生命力を得ていました。
もしかして、アートという人間の感情的な部門は工場のような機械的な建物のなかでもっと展示効果や観覧効果があるかもしれませんですね。
中国は工場ではなくて四合院という伝統的な住居地を生かした創意園区も試していました。
町では喫茶店およびアクセサリーショップや伝統服などの販売店が集まって観光客を呼び寄せていました。
もっと中に入ると蓬蒿劇場という小劇場がありまた。
蓬蒿劇場は喫茶店運営と共に実験的な演劇を通じて地域の創造拠点としての役割を担っていました。
これからは台湾留学生の柯さんとの北京の日常風景や歴史の中に。
天安門広場は毎日6時ぐらいに国旗を掲げる様子を見るためにたくさんの人が集まっています。
中国人は一生に一度天安門広場で国旗を掲げることを見るのが夢だそうです。
次は万里の長城を見に行きました。
2000年も超える歴史を持っている万里の長城ですが、私たちが訪問したのは17世紀に建てられたそうです。
中国の伝統技芸団の公演
2008年行った北京オリンピックのメインスタジアム