建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、藤原惠洋(ふじはらけいよう)教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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 九州大学芸術工学部「芸術文化企画演習」では、日常的な地域社会の中に潜んだ芸術文化資源に着目し、それらを生かした地域再生デザインをめざしています。
 そこで今年後期は、身近な資源としての炭鉱遺産に着目しています。
 北部九州はわが国の近代化を支えたかっての大産炭地です。しかしエネルギー転換や産業構造の大きな変化を余儀なくされる中、石炭産業は瞬く間に消え去ってしまいました。
 しかしそうした旧産炭地に遺されたさまざまな石炭遺産にふたたび社会的な注目が集まっています。

 さる2013年11月8日(金)全日を用いて、芸術文化企画演習の学外演習が行われました。この日は、大牟田市石炭産業科学館、宮原坑、県境を越えて熊本県荒尾市の万田坑、そしてふたたび大牟田市に戻り、三井港倶楽部、三池港を順次巡ってきました。
 宮原坑、万田坑、三池港は「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」 の構成資産として、本年9月に政府からユネスコの世界文化遺産に国内候補として推薦されることとなりました。これは来る2015年に開催されるユネスコ世界遺産委員会に付議されるもので、そこで世界文化遺産への登録の可否が審査されることになります。 
 同遺産群は、九州・山口を中心とする28もの資産から構成されており、ある意味でネットワーク型とも言えます。世界遺産では、こうした連携構成群をシリアルノミネーションと称します。その結果、関係自治体は8県11市にもあがることなりました。
現在の構成資産は以下のとおりです。 
 1.
萩城下町 (山口県萩市) 
 2. 萩反射炉 (山口県萩市)
 3. 恵美須ヶ鼻造船所跡 (山口県萩市)
 4. 大板山たたら製鉄遺跡 (山口県萩市)
 5. 松下村塾 (山口県萩市)
 6. 旧集成館 (鹿児島県鹿児島市) 
 7. 寺山炭窯跡 (鹿児島県鹿児島市) 
 8. 関吉の疎水溝 (鹿児島県鹿児島市)
 9. 三重津海軍所跡 (佐賀県佐賀市)
10. 韮山反射炉 (静岡県伊豆の国市) 
11. 橋野高炉跡及び関連遺跡 (岩手県釜石市)
12. 小菅修船場跡 (長崎県長崎市)
13. 長崎造船所向島第三船渠 (長崎県長崎市)
14. 長崎造船所旧木型場 (長崎県長崎市)
15. 長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン (長崎県長崎市)
16. 長崎造船所占勝閣 (長崎県長崎市)
17. 高島炭坑 (長崎県長崎市) 
18. 端島炭坑 (長崎県長崎市)
19. 旧グラバー住宅 (長崎県長崎市)
20. 三池炭鉱宮原坑 (福岡県大牟田市)
21. 三池炭鉱万田坑 (熊本県荒尾市/福岡県大牟田市)
22. 三池炭鉱専用鉄道敷跡 (福岡県大牟田市/熊本県荒尾市)
23. 三池港 (福岡県大牟田市)
24. 三角西港 (熊本県宇城市)  
5. 八幡製鐵所旧本事務所 (福岡県北九州市)  
26. 八幡製鐵所修繕工場 (福岡県北九州市)
27. 八幡製鐵所旧鍛冶工場 (福岡県北九州市)
28. 八幡製鐵所遠賀川水源地ポンプ室 (福岡県中間市)

 さてふ印ラボは、最近、この話題で盛り上がっています。
 2013年10月31日(木)には、特別調査を長崎市より許可される中、端島炭坑(軍艦島)を特別調査することができました。その際にはさらに長崎造船所見学を行いました。
 そしてさる11月7日(木)には筑波大学大学院世界遺産専攻の稲葉信子先生による「国際文化遺産保護法」の集中講義が開講されました。
 そして11月8日(金)に、学部演習の「芸術文化企画演習」学外演習で三池炭鉱関係施設見学を果たしました。こうみていくときわめて短期間のうちに、ユネスコ世界文化遺産に政府から推薦されている「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」に関わる場所を相当数踏査したことになります。
 一方、文化庁文化審議会世界文化遺産・無形文化遺産部会世界文化遺産特別委員会副委員長の稲葉先生の授業を受けることができました。なかなかこれだけの濃密な機会は得られないと思います。
 私は北海道出身です。そのため北海道にあった同じ旧産炭地の今後の行く末が気になっていましたが、学びに馳せ参じた九州の地で産炭地再生への観点を学ぶことができるのは、とても不思議な縁を感じます。おおいに良い勉強をしていきたいと思っています。

 さて11月8日当日の活動内容をふりかえっておきます。
 九州大学バスは一度大牟田市へ。大牟田市や荒尾市に展開した三井三池炭鉱にはボタ山(北海道ではズリ山と称します)がありません。その理由は、ボタを次々と海浜地区に埋め立てて行き、新たな陸地を形成していったからです。大牟田市の海岸際にはそうして生み出された広大な産業地が形成されています。その一角へ。
↓石炭産業科学館から始めます。
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 ↓ NPOの理事をつとめる中野さんの説明からスタートしました。この石炭層の模型、切羽(掘削現場)の実際の様子がよくわかって良いです。
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 ↓これは石炭ストーブ。随分スタイリッシュなストーブに見えます。私はだるまストーブなら使ったことがあります。
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 練炭。
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 ↓石炭による街灯
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 ↓お稲荷さんは産業神とのことです。
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 今回、中野浩志さんの説明は、石炭産業科学館からさらに宮原坑までガイドをしてくださいました。科学館を最初に訪問するのは三井三池炭鉱の全体のシステムを知るには欠かせません。
ミニチュアで炭鉱内部の様子がわかりやすく説明されていきます。石炭を見たことが無い学生もいます。そうした初めての参加者にもわかりやすく説明が展開して行きます。
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 その昔、どこに石炭があるのかを探し出すのはたいへんなことだったと思います。炭層露頭がどのように走っているかを見つけるこが最初の鍵だったとのこと。
 石炭を殖産興業のエネルギー源にするには大量の石炭が掘り出せることが大前提。山の露頭なら見ることができると思われますが、海の中では、どのようにして見つけるのでしょう。
 地質に関してかなりの知識と入念な調査がなければ、海底炭層を見つけるのは難しいのではないかと思います。夕張の炭鉱を指導したお雇い外国人のライマンの弟子がこの大牟田に入ったと聞きました。

 実際の炭坑の坑道は↓のようにグニャグニャになって巡らされており、切羽にたどり着くまで1時間半くらいかかったとか。下の写真は海の岩盤の下に石炭があるということを表しております。(黒のアミアミが石炭の意味)。初めは山の方を掘っておりましたが、だんだん海に向かっていったとのことです。有明海は遠浅とのことで海の下に岩盤がありその下に石炭があるそうです。切羽の厚さ3m。
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 三井三池炭鉱が官営から払い下げられていった際に最も活躍したキーパーソンは団琢磨でした。留学先のアメリカで鉱山学を学び、その力をいかんなく三井三池炭鉱で発揮していきました。
 三池港、鉄道の建設にも大きな世界観を見せて指導しました。
 当日どんなに高額だったとしても先見の明を持ち英国製のデーヴィポンプを採用、水没した勝立坑の排水問題を解決していったのです。
 展示の中にある英語で書かれた手紙を見ましたが、非常に上手な字でした。
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 大牟田は、日本で初めて石炭化学コンビナートができたところとのことでした。石炭をコークスにして、その副産物であるガス・タールを染料がつくられ化学工場ができたとのこと。炭鉱のみならず、その周りに複合的なコンビナートを構築していったことが現在の大牟田市の存続に大きな効果をもたらしていきました。団琢磨の指導による先駆的取組みです。北海道の旧産炭地出身の私にとって、このような産業地としての展開があったことを知り驚くばかりです。地元では聞いたことはありません。
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 さて石炭産業科学館で石炭や炭鉱都市全般について学習した後、いよいよ実際の遺産宮原坑へ向かって行きます。
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 皆がわたっている橋の下は炭鉱鉄道の旧敷地です。
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 ↓複数の坑口と積出港としての三池港を結んだ鉄道です。採炭した石炭を港に運ぶ交通網でありロジスティックスは重要でした。この鉄道があったからこそ成り立った石炭産業だと考えられます。
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 ↓閉山後に埋められた竪穴。ここは炭坑労働者の昇降に使いました。
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 ↓戦後に建てられた近代的な炭鉱住宅も1棟残されていました。
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 その後、学生諸君は大牟田・荒尾で知る人ぞ知る有名な「高専ダゴ」で昼食をとりました。
 高専ダゴとは、大きさ縦30cm×横50cmくらいの巨大お好み焼きのことです。名前の由来は有明高専にもとづきます。産炭地に欠かせない技術者、技能者育成を目的に創立された国立高等専門学校とのこと。昭和40年代に有明高専の学生に安く色々なものが入ったお好み焼きを食べさせようとしたら、大きくなっていたとのこと。
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 大きい!こんな大きなの食べられるかなあ。
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 完食。
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 昼食後は、荒尾市へ移動して万田坑へ向かいました。
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 万田坑ステーションにはボランティアの方々が詰められていて、観光客の案内を中心にビジターセンターの役割を果たしています。そこで最初に三井三池炭鉱全体の解説に耳を向けます。精密に制作されたジオラマが役に立ちます。現場を俯瞰しながら三井三池における万田坑の特徴を把握しておきます。
そこから次に遺構の現場へ行きます。
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 頭につけるライトのフレームの色で、職階が判別できたそうです。
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 1トロッコ単位で売上の計算をしていました。
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 ↓これに乗って、↑ここから入坑。
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 緑の場所は鉱員のチェックするところ。
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 ↓木の部分がブレーキでした。
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 三井三池炭鉱の中で万田坑の役割は排水と採炭にあったようです。そのため第一竪坑は生産量が期待された分、鉄鋼製の竪坑櫓や二つの竪坑も巨大に構築されたとのこと。
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 ↓ 選炭場の高台にあがると奥に見宮原坑の竪坑櫓が見えます。宮原坑と万田坑は直線距離で1.6キロほど。
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 さて炭坑遺産を見た後、鉄道敷地を追うように港湾部へ移動。
 三井港倶楽部を見学しました。↓明治41年8月15日、三池港の開港と同時に開館。三井関係の社交場、外国高級船員の宿泊、後続の迎賓館の役割を果たしたとのこと。現在は結婚式場、レストランとして用いられています。
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 特徴的な中央ホール形式。西洋館の間取りの特徴のひとつです。長い航海後の外国人を非日常的な空間しつらいでお迎えするのが好まれたのでしょう。さらに洋風の庭園が設けられ、ベランダから建物の内外に出入りができました。

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 ↓この柱の形式はオーダーの中でも簡素なタスカンオーダーの形式を有するもの。
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 焼き物の形態も特徴的です。蹲る(うづくまる)かたちの容器は波に揺れる船の中で利用するために安定感のある底部を工夫したものです。
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 明かり取りも船の丸い窓のような意匠を見せています。
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 ↓ふ印ボス先生のお話では、この板のはり方は二種類の下見板が混在しているとのこと。中国渡来の南京下見、さらにはドイツ下見。
 札幌時計台を思い出しました。下見板はコロニアル建築様式と呼ばれる開拓期の合衆国中西部で広まった建築技術と聞きました。日本の棟梁たちが西洋の学習をしたような感じです。
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 さらに団琢磨は三池港の築港を行いました。ドックを築造し、巨大な船舶が直接入港できるように深さを確保しました。
 有明海は遠浅です。高さが6メートルにもなる干満差を解消し、1万トン級の大型船の停泊、石炭積み込みを可能にするため、開閉式の閘門(水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置。閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えられること)を設けました。
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 一日のフィールドワークが終わりました。
 大牟田・荒尾を巡りながら、参加学生諸君は日頃見慣れない風景をまのあたりにしました。そこには、日本の石炭産業の始まりから衰退までの変化が凝縮されていました。そして石炭があったからこそできたコンビナートや港、そして資本家たちの社交場としての倶楽部が残されていました。そこにもたらされる印象を参加者はいったいをどのように受けとめたでしょうか?
 明治以降、きわめて短期間で日本を近代国家に押し上げる原動力となったエネルギーとしての石炭。富国強兵・殖産興業という施策から発展した石炭を巡るシステムからできた各施設は、現在では、廃墟や残滓のようにも見えます。
 各施設は、時代時代が築いてきた石炭産業の中の部分として残されています。しかし石炭産業が潰えてしまった今、全体像がなかなか見えにくくなっています。断片的な部分が遺されていても、そこから全体像をイメージすることがいよいよ難しくなっています。こうした断片や部分の残滓を「廃墟」や「廃墟趣味の対象」として扱い、時にもてはやすことも増えてきました。
 ↓の写真は北海道の私の実家近くにある旧三井美唄第2坑選炭場です。これも石炭産業が置き残して行った残滓です。さていったい私はどのようにこうした残滓を評価していったらいいのでしょうか。

 この間、わずかな期間に集中して長崎の軍艦島や大牟田・荒尾に遺る数多くの炭鉱遺産を実際に歩いてみて良かったと思います。廃墟ではなく、遺産としてきちんと見て行く姿勢を学ぶことができたように思えます。
 そのうえで私の出身地の北海道の炭鉱も九州の炭鉱と同じく共通する歴史的意義や遺産として守り残していくための課題を持っていると思うようになりました。こうした理解の前提として、炭鉱というシステムや働く人々に大きな差はないと思えました。
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次回の授業では全体のシステムの中での炭鉱遺産を考え、情報化してみましょう。
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  (三池港にて、本日の活動の振り返りと数々の課題抽出を行いました。さらに来週の授業ですべきことの確認を行うことができました)
                                         
                                     報 告:岩 井


 

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