建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、藤原惠洋(ふじはらけいよう)教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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 2013.10.31(木)九州大学大学院芸術工学府「国際文化遺産保護法」の授業の一環として、長崎県の端島、通称“軍艦島”の特別調査を実施しました。(通常の観光ルート利用ではありません。)

 毎年後期、集中講義形式で筑波大学大学院教授稲葉信子先生による「国際文化遺産保護法」は、昨年から動機付けを高めるためにも現地踏査を実施。昨年は平成21年1月にユネスコ世界遺産国内暫定リストに記載された「宗像・沖ノ島の関連遺産群」を参観して廻ることができ有益でした。

 そして今年、いよいよ2015年国内推薦となった「明治日本の産業革命遺産」構成資産群の中から長崎市の端島坑(通称軍艦島)と三菱重工長崎造船所敷地内のハンマーヘッドクレーン、三菱史料館(1898年(明治31年)三菱合資会社三菱造船所に併設の「木型場」)旧第3号船渠等の遺産群を現地調査したいと企画を進めた結果、長崎市より特別のご許可をいただく中、軍艦島特別調査が成立したものです。

 今回はふ印ボス藤原恵洋先生をはじめ稲葉信子先生、さらには九州国際大学教授・元学長の清水憲一先生という「文化審議会世界文化遺産・無形文化遺産部会世界文化遺産特別委員会委員」の先生たち3名が集われることとなりました。
 さらには現在、軍艦島研究家で独特の成果を発信し続けるふ印ラボ社会人博士後期課程院生で建築家の中村享一先生、冷徹な視線を通して世界遺産のあり方や文化立国日本の動向を見守る毎日新聞論説委員の重里徹也さん、そして「宗像・沖ノ島の関連遺産群」を日々はぐくみつつある担当の福岡県企画・地域振興部総合政策課世界遺産登録推進室宗像沖ノ島担当の行政職5名のみなさま、下関市の文化財担当官といったスペシャルな面々が参画、建築家・専門家等から九大の学生等初学者まで総勢39名での踏査となりました。おかげさまで現地では長崎市役所の担当職員のかたがたも同行してくださることとなり、みんなでヘルメットをかぶり慎重な面持ちで現地入りすることができました。
  
 午前8時、九州大学大橋キャンパスに稲葉先生、清水先生をお迎えして、九州大学バスで長崎へ向かいました。
 午前10時半。長崎市着。
 現地ヘはチャーター船を確保。常磐埠頭から出航しました。
 高島を西側へ回り込んで、幕末期の鍋島藩時代の高島坑開削黎明期にトーマス・グラバーが挑んだ北渓井坑の痕跡を遠望します。
 40分程の航海、波も穏やかで天候に恵まれました。
 観光客とは異なるコースとなるため、上陸後、安全注意を喚起しあいます。

 ヘルメット姿のふ印ボスより、まず始めに今回の踏査がきわめて危険な場所を対象としたリスクの大きな性格のものであること、しかしそれを超え、近づく国史跡化への議論を考えるため、現在の状況をきちんと把握しておきたい、そのためには観光や物見遊山ではなく、専門的な観点から風化や劣化の様子の目視調査、今後の保存監理や取り扱いに向けての検討を包含した調査に及ぶ、と挨拶がありました。
 
 実際に、その後、東側の産業地から西側の居住地へ向け時計と反対周りに歩き出すと、早速、崩壊一歩手前の建物、深く穴の開いた通り道など、長崎市職員や地元の専門家のアドバイスがなければ危険きわまりない場所や箇所が次々と現れてきました。
 軍艦島に関する事前準備や調査準備がなければ事故や怪我を招く可能性が高かったとも言えます。
(このブログを読んだ方なら、観光ルートで軍艦島に行かれる場合にも、ぜひとも安全のために現地担当者の指示に従っていただきたいとあらためて思いました。)
 
 軍艦島は単なる“廃墟”なのか、それとも、何らかの意味ある“遺産”なのか、現場踏査の他に、事前・事後の学習をすることで初めて軍艦島というものの片鱗が理解できてくるのではないか、そのためには巷間に溢れるさまざまな資料を通じ学習することも必要であると思われます。

 (↓端島へ向かう船の中の様子。これまでの観光ルートとは異なりそこはかとない緊張感が漂います)
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  ↓こちら東側は石炭生産に供した炭鉱施設がある側。
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 ↓ぐるっと回ると西側。防波堤の上に高密度の高層住宅群が林立している、こんなに沢山あるのか、と驚くほど。それらが風化、劣化している様子もよくわかる。今回はこちらまで果敢に入っていく。
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↓上陸後、冒頭に注意喚起。ヘルメットの着用は必ず。ふ印ボスの緊張に満ちた調査開始への第一声、そして長崎市役所の担当のかたがたや中村享一先生から、今回の特別調査の目的とそのために歩く範囲と諸注意を伝えていただきます。
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 ↓獣道もないような足元にはこんな大きな穴もありました。
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 ↓体育館の足元。
 この裾が広がっている部分は独立基礎のフーチング。フーチングとは、建物の基礎にかかる荷重を分散するために、基部を幅広くしたもの。フーチングの下の杭は「構造物直下の地盤が,構造物を支えるに足りる強度・支持性能を保有してなく,深い地盤に十分な強度・支持性能を有している場合に,構造物の荷重を深い地盤に伝達させるため」とするのです。
 端島は本来、草木のない水成岩の瀬にすぎなかったのですが、幕末明治の頃から瀬の周りを大きく6回にわたって埋め立てることで拡張してきたと言えます。
 私たちのふ印ラボ研究室の同人とも言える東京電機大学名誉教授阿久井喜孝先生や滋賀秀實先生による『軍艦島実測調査資料集』(以下、阿久井)によると、「軍艦島は岩山部分を除いてほとんどズリによる埋立地で成り立っており、島周囲の浅瀬も輩出したズリの堆積になっているため海水によって裏ごめや基礎の土砂を流された護岸は不安定なキャンチレバー状に海水中に孤立し、水圧で容易にひび割れ、転倒、崩壊する結果となるし、平場にある道路や建物の基礎に対しては不同沈下による破壊を誘発する。その破砕片が増幅された破壊力となって再び島に襲いかかるのである。」(p600)とあります。
 下の写真では、杭は鉄筋コンクリート杭であり表面は凹凸がありません。鉄筋の部分が錆びてコンクリートの部分が落ちています。この建物の直下の地盤がどんどん生じるズリによる埋立であったのです、地下岩盤までに杭を入れたと思われますが、この杭はこの下にあと何メートルほど入っているのでしょうか。
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 ↓端島小中学校。1階~4階が小学校。5階、7階が中学校。6階が講堂、図書館、音楽室。唯一のエレベーターとも言える給食用ダムウエイターがあった。
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 (↓の写真)左・65号(報国寮)と正面のクロスした階段は67号(単身寮)。
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 ↓は65号。65号の5~6階のベランダテラスはキャンチバレー(片持ち梁)で突出している。
1~4階ベランダは柱の内側に設けられている。阿久井「ベランダに増築された住戸がかなりある。」
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 (下の写真)浜通りから65号棟をみる。65号棟は昭和19年~33年までの間に4段階の工事で端島最大の集合住宅となった。この戦中戦後も建てられ続けたのは、戦時中の優遇措置。工事期と規模(閉山時313戸)という特殊性は炭鉱に対する優遇措置である。
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 65号棟前の児童公園を見るのは、九大公開講座おなじみの建築家鈴木さん。↓
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  この児童公園の以前の様子。比較してみます。↓(日本経済新聞 夕刊 2008年9月11日(木) )
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 この浜通りは「潮降り街」ともよばれていたようです。
資料では、台風の時は、島の外洋側(西側)に押し寄せた8mもの高波。海面から12mも立ちはだかっている防波堤を乗り越えて島内に至り、その水しぶきが島の嶺線を越えて反対側の海に落ちるというものであった。ただしこの場合、潮といっても、水だけでなく、護岸の岩石や杭木を伴った、という。

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 ↑の写真は浜通りからのもの。左手前は65号棟。右は手前から61・60号棟。正面奥は日給社宅16号棟。(阿久井p87参考)
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 ↑の写真は右が51号棟。左が日給社宅。2つをつなぐ七重の跨線橋。(阿久井p10-11参考)。日給社宅とよばれる鉱員社宅(16,17,18,19,20号棟)は、大廊下でつながれている。炭鉱では以前、日給制をとっていた時代があり、この日給制で働く鉱員さんたちが入っていたことから、この名がついたと。(長崎市のイラストレーター江島達也さんHPより。↓写真も)
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 日給社宅1F の公共施設としては、外勤詰所・囲碁将棋場・本屋・酒屋・質屋・一般食堂・玉突き場・厚生食堂・主婦会堂・個人商店などかあった。
 (↓の図で位置関係把握。)
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 今回の特別調査でも日給住宅の上の階には行かなかった。
 長崎市のイラストレーター江島達也さんが2010年のテレビ取材時に同行してとったという写真とそれを元にしたイラストを利用させていただき「日給住宅」理解の補助に使いたいと思う。(イラストは、当時の日給社宅に住む人々の生活の営みをいきいきとよみがえらせ、かつ、それが現在の私たちと同じであるということを知らせてくれる)。
 写真は19号棟の9階ベランダから、18号棟海側を見た時のもの。向こう側に見える白っぽいアパートは、昭和36年に建てられた51号棟。各階の通路に置いてある四角い箱は、コンクリート製の水桶。日当たりを考えて少しずらしてつくられているという。
 阿久井「日給社宅は30号棟についで日本のRC造建築として最高層の建物であった。屋上に木造の弓道場があるので10階建てといえないこともない。1Fは防潮階としての高床で住居部分は8層である。岩盤の傾斜に対応して下層へ行くほど床面積や戸数が減少する。この一連の複合的建築物は空間の性格や規模内容において端島における高密度住空間の構成をもっとも典型的に具現している重要な存在である。」1918年に16、17号棟が9階建て、18号棟が6階建てで竣功。

 初期RC時代には、なかなか理解されなかったが、この時代にすでに軍艦島で実現されていたものは以下のもの。
①セットバック
②ペデストリアンプロムナードと人工地盤の概念
③メゾネット形式の住宅
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 阿久井「(日給住宅は、)30号棟と同様、日本的長屋の土間空間をラーメン躯体の中に収容する」とある。日給住宅16号~18号がつくられたのが1918年。以前の炭鉱労働従事者は坑夫と呼ばれ、その住居は木造共同住宅で納屋とよばれており、この納屋は炭鉱住宅としては、一般的な形式であり、戦前の端島においても、例外的な鉄筋コンクリート造りの集合住宅を除けば、大半はこのタイプであったという。
 ↓の写真は1925年(大正14年)の台風12号の時の納屋と住宅群。
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 納屋タイプ住居を鉄筋コンクリートの中に収めている。
 阿久井によると、耐力壁や壁柱を除く壁面は全てカーテンウォールであり、各住戸の間仕切りは、割竹の小舞を芯に赤土漆喰で、この為改装が容易だったり、居室の増設も可能だったとのことである。現代のアパートやマンションのような一部屋一部 屋が独立した作りとは違っていたということは確かである。「日給住宅は室内居住部分とトイレを除く全ての空間が公共の道であるといってよい。」
RCの躯体は持っていても、住宅の構造自体が露地空間や井戸端を内包する共同住宅群であり、悪く言えばプライバシーが無いようであるが、結果として、この毛細血管的交通網が有効であったのだろう。
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 ↑1927年完成の昭和館(映画館)鉄骨2階建て。映画劇場兼多目的集会所。固定椅子で400人ほど収容できたという。
 ↓住宅街の中の足元は瓦礫やガラス・釘・木材でいっぱいでした。
 
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 ↓天川漆喰。長崎地方に行われた たたきの一種で、安山岩の風化した土に石灰を混ぜてたたきあげる。セメント代用土の一種で水硬性がある。
 私はイタリア近くのマルタ島(市街地のみ)に行ったことがあります。そこではマルタストーンという石灰岩で町の建物がつくられており、市街地全体がはちみつ色に見えて統一感がありました。軍艦島も天川があちこちに見えて、マルタの人々と同じような考えかたが反映されているのかと思いました。
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 ↓いよいよ30号棟。非常に危険。
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吹き抜け。
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 階段側はさらに危険。
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 ↓30号棟全体。1916年(大正5年)に建てられた30号棟は日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパート。鉱員社宅として建設、内庭には吹き抜けの廊下と階段があり、地下には売店。地階に一般用の共同浴場があり、1階には郵便局や理髪店も設置。
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 1916年は第一次世界大戦の最中です。
 明治維新以来、欧米先進諸国に追いつく為に富国強兵・殖産興業を旗印に挙げて近代化がなされていきます。日清・日露の戦争を経て、ようやく、極東の後進国のイメージから抜け出し、近代資本主義国家の一員として国際社会への仲間入りをしようという時代です。
 阿久井「従来の炭住長屋を新しい手法であるRC造によって立体化しようという当時の発想は、産炭量の増加に伴い、必要な労働人口の増加に応えて狭い島内に住居を確保するための土地の有効利用の為ではあったがその背後には採炭効率の向上をねらいとして家族持ち労働者の確保と納屋制度の全廃に向けた労務対策があったことを見逃すわけにはいかない」。
 建造物としては、コンクリートの防火・防水性能に対する期待があったのです。また初期RC造建築物には異形鉄筋が大量に使用されており、そこには炭坑の廃材利用と思われる鉄材の使用が多かった模様です。中でも、ワイヤーロープの梁主筋が30号棟にはあったとのこと。
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 ↑ここから地獄段をあがります。行き先は極楽?地獄とは反対のところへ行きます。
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 神社に十字架が…。ここは長崎なのでいろいろあっても驚きません。
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 先ほどまで参加者がのっていた場所。足元がボロボロでした。
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 最後に小中学校の内部の教室を見ました。

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 ↓学校の階段でこんな粉々のものを見つけました。
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 前述の江島達也さんのHP。大橋弘「1972青春軍艦島」からの引用です。
 今回の踏査では色つきの建物に出会うことはできませんでした。
 風化・劣化で色がなくなり、加えて、生命の気配がない瓦礫の町を歩きました。
 私の出身地北海道には知床に世界自然遺産があります。生き生きとした命が再生産される場所です。世界文化遺産とは意味合いが違うので単純比較はできませんが、生命のない(現在使われていないもの)を遺産として残していくには多くのステップを踏む必要があると思われました。
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 ↓の写真は北海道夕張にある炭住です。
 北海道美唄市という炭鉱町出身の私の思っていた炭住はこれです。しかし軍艦島は違いました。
 1916年につくられた住宅でさえ鉄筋コンクリート7階建ての高層住宅。阿久井喜孝・滋賀秀實「軍艦島実測調査資料集」には「軍艦島の住空間は地下都市的な構成を持っている。…屋上階を零階と呼んで、G.Lとし、以下、マイナス1階、マイナス2階という呼び方でとらえる方法だと空間の構成や階数がとらえやすい。」とあります。
 神社から見下ろしてみてよくわかりました。近未来都市のような進んだ世界観が軍艦島にあるのかと思っていましたが、資料を見て、元・島民のかたの話をきき、納屋制度改廃後でも島民の住空間は職階制によって職員、坑夫、下請け労働者、商人、公務員、慰安婦、強制労働で連れてこられた人々というように差別があり、ヒエラルヒーの下の方にいる人々は劣悪な環境に詰め込まれていたことを知ると、世界でも早い段階でRC7階建て住宅をつくりはしても、部屋の内部は昔ながらの長屋のようであったり、「鉄筋」といっても炭坑からでた廃材の転用があったりと外観は西洋風ではあっても中身は前近代的なことをしている、実態が外観に追いついていない印象もうけました。
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  以上 阿久井喜孝・滋賀秀實『軍艦島実測調査資料集』を参考にした私個人の感想でした。
  
                        岩井(藤原惠洋研究室)


 
 
 
 

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