建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、藤原惠洋(ふじはらけいよう)教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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公開講座も3回目となりました。今回は日本における鉄筋コンクリート造の夜明けを
当時の世界の状況と共にお伝えします。


鉄筋コンクリート造のはじまり
明治30年代に日本に最初に入ってきた鉄筋コンクリート造技術は、フランス・
ベルギーなどのアンネビック式、アメリカ由来のカーンバーン式の2つに
分けられます。 鉄筋コンクリート技術が日本に入るまで ・ある技術を導入・受容
する際には、2つの経路があると考えます。 直接的に模倣する形で受容するのもの/
少しずつ消化し、独自の技術として持ち合わせるもの の2つとなるでしょう。
鉄筋コンクリートには以下の2つの方法で取り入れられてゆきました。


・直輸入型  アンネビック式 カーンバー式
・在来の技術に引き寄せる形で緩やかに受け入れて行く→
 木造技術から鉄筋技術を編み出す
・土木技術者の対応に見られる、在来木造技術に引き寄せた受容
 
鉄筋コンクリート造とは?
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・Reinforced Concrete 増強されたコンクリート
・植木職人モニエが1867年、セメントで植木鉢を考案
・鉄が持つ粘り強さ・引張強度・セメント・骨材(砂砂利)
 を混ぜたコンクリートが持つ高い圧縮強度を併用
・座屈や撓みも、コンクリートが鉄筋周辺を拘束することで
 曲がらないようにおさえる。
・コンクリートが曲げや引張強度の面では脆い部分を補うように鉄筋を
 バランス良く入れる。
・鉄とコンクリートの熱膨張率がほぼ等しい。
・鉄の酸化・錆をアルカリ性のセメントが防ぐ ・コンクリートの中性化が問題。
 爆裂が生じる。 かつては丸鋼・現在は異形鉄筋を用いている。

日本にはドイツ・フランス・アメリカ経由でやってくることとなりました。
(コンクリ−トそのものは、ポルトランドセメントとして発見されました)


明治期鉄筋コンクリート造による建築成立の経路

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・アンネビック式(1843年〜1921年) 1892年フランスにて開発。
オランダ、ベルギー、スイスへ普及。 大倉土木組(大成建設)が1909年技師招聘。
・明治44年竣工————築地海軍造材料倉庫・国府津機関車庫建造
・カーン・バー式(1906 年サンフランシスコ地震以後に導入) 1903年アメリカ特許。
カーン・バー提唱。関東大震災で多大な被害を受け衰退。

1890年代に起こったムーブメントに、世紀末芸術運動というものがヨーロッパで
起こりました。 代表するのがフランスでは「アール・ヌーヴォー」(新しい芸術)
イギリスでは「モダン・スタイル」(近代様式)、ドイツでは「ユーゲント・
シュティール」(青春様式)セセッション・スタイル、グラスゴー(技術・土木・
エンジニアが秀逸)から発祥したデザインなどです。
デザインの普及ーとりわけ建築、土木の分野のアールヌーヴォーは必ずしも哲学的
な引率によるものではなく、 鉄を自由自在に扱えるということが大きな後押しと
なるのです。 1910年〜20、30年代の終わりになると、そこにコンクリートの技術が
入ります。

ル・コルビジェ建築の特徴となる、 「自由な平面」(鉄筋コンクリート技術が
より自由な設計)や 「水平に続く連続する窓」(採光量の増加、開放的な空間)
「自由な立面(ファサード)」(支柱が壁から独立、建物の外観を構成する主要な
立面を自由に設計することが可能)といったデザイン・技術を可能なものとして
ゆきます。

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鉄筋最前線: 鉄筋工事の「なぜ?」を解きほぐす  著者: 豊島光夫




国会議事堂の建設まで
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ヘルマン・エンデ&ヴィルヘルム・ベックマン(国会議事堂 洋風案第一案《正面図》
『建築家たち』より) 1887-91 フォトリトグラフ 34.4×46.4cm 所蔵:ベルリン工科大学 


明治23年、当時日本は西洋列強に並びたいと切に願っていた
アジア諸国の1つでした。それらを誇示するためには、己の力で作った憲法、
国会議事堂、銀行およびシステムを成立させることです。しかしながら当時
日本にはそのような力がありませんでした。
 明治14年(1881年)
10月12日、明治天皇から「明治23年を期し議員を召し国会を開く」旨の
国会開設の勅諭が発せられ、明治19年(1886年)議事堂建築にあたること
となりました。ドイツから建築家エンデとベックマンが12名の技術者共に井上馨
から招聘されます。2案提案されたものの、伊藤博文らの賛成を得ることができず、
エンデたちの案は潰え、結局複数のデザイナー・工芸家たちなど当時の技術の粋を
パッチワーク的に集めることで現在の国会議事堂は完成したのでした。



関東大震災と鉄筋コンクリート造
1923年、関東大震災が日本を襲います。同時代背景では、ワルター・グロピウス
率いるドイツのバウハウスがいよいよ力を付けてくる頃です。 この震災は日本に
建設されはじめられた鉄筋コンクリート造の建築に被害を与え、被害が著しかった
カーン・バー式は徐々に衰退してゆくこととなりました。 このような一連の流れを
学ぶものとして、本日の資料には村松貞二郎先生の「日本近代建築技術史」が
用いられました。


藤原先生は建築・都市・生活の相互作用に注目しながら、明治・大正・昭和の

近代化過程を検証する実証的歴史研究者です。
一方で緩やかな市民参加を促し
ながら展開する地域固有資源・文化資源を
生かしたまちづくり、地域づくりの実践的
指導には定評があります。
かつて先生がスライドで撮影された貴重な資料も公開されました。

長崎 
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小菅
 ペリーが来航し開港を迫ったとき、アメリカは各所にドッグを作りました。
江戸時代の築城技術を用いて作られたドッグの近隣には、長崎独自の方法で作られた

巻き上げ機も映し出されます。明治期の煉瓦は、幅が21cm~24cmだったのですが

この巻き上げ機はじめ、この頃の長崎の煉瓦は厚さ4ー4.5cm、幅18cmー19cm
の
ものでした。村松貞次郎先生はこれを「コンニャク煉瓦」と名付けます。 



北海道 函館
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北海道開拓の村 旧開拓使工業局庁舎 

北海道函館も煉瓦造の建築のよい事例です。茂辺地の煉瓦産出地や、近隣に
立てられた煉瓦造の建築など地域の関係性が明確に分かることが特徴的です。

木造:コリント式の柱、開口部のリンテルなども木造で作っています。 
 

兵庫 神戸 

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英国人のウィリアムハートは上海で設計技師を行っていました。道路下に新しい

下水を設置する際、技師が神戸に初めて呼ばれて設置した煉瓦造の下水道が
残って
いたこともあります。 上・中・下と、側面のどこに使うか刻印された
煉瓦で作られていたそうです。 神戸市の工事担当者にお願いし、この下水の一部を
保存してもらったとのことでした。 卵型の形状は、流水量が少なくても汚物が
流れる仕組みとなっています(フランスで開発)。

兵庫 布引
布引ダム
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明治30年代に建築されたコンクリート造の橋 
戸時代以来の石造と
コンクリートの桟橋
明治期、日本在住の外国人は、伝染病を恐れ海際で生活することを拒みました。
居留地からの要請は 第一に安全な水が飲めることーその強い要望により、
明治期には布引に巨大なダムが建設されることとなりました。

福岡県 大牟田
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福岡県大牟田市、炭鉱町には三井三池製作所がありました。その建築群の調査
依頼
を受けて、学生や東大の後輩を引き連れて調査に至り、夜な夜な図面を起こ
していたそうです。 三池集治監や三井三池製作所の煉瓦は梅のマークが刻印
されており、囚人などが
近辺の煉瓦工場で煉瓦を焼いていた背景があります。
福岡県大牟田市の三池集治監や三井三池製作所の煉瓦は梅のマークが刻印され、
囚人などが近辺の煉瓦工場で煉瓦を焼いていた背景があります。

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質疑応答
履修生:なぜモニエは植木鉢を鉄筋コンクリートで作ろうと思ったのか?

藤原先生:植木鉢で有名なのは、スペイン マジョリカ島は莫大な植木鉢の
生産地です。しかし、 大量生産化、割れない植木鉢が必要であったのでは
ないでしょうか。また植木職人というのは ただ単に作庭を行っているのみでは
ありませんでした。世界初のガラスと鉄筋の建築は、 1868年英国での世界万国
博覧会で建設された「クリスタル・パレス」は植木職人が建築したものです。



11月4日には、門司港、下関における赤煉瓦VS 鉄筋コンクリート造を見学する
現地フィールドワークもあります。 私たちの生活にはもはや欠くことのできない
鉄筋コンクリートの起源と展開を 知る公開講座。今後も展開が楽しみです。


D3 國盛

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