建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!

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藤原先生が教鞭を取られている社会人対象の九州大学公開講座も後半に
さしかかってきました。今回はゲスト講師として、これまでにもたびたび
入らしてくださった九州大学大学文書館テクニカルスタッフで、九州国際大学
客員研究員・非常勤講師、NPO法人北九州COSMOSクラブ理事の
市原猛志にお越しいただき、「炭鉱遺産から近代の産業都市をみる」をテーマに
講義をしていただきました。

昨今注目が高まる炭鉱遺産をどのような普遍的価値のある物語としてくくって
いけばよいのでしょう。また炭鉱遺産のある都市としての存続も、危ぶまれている
ことが指摘されました。
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産業都市—そもそも、都市とは
なぜ人々は集団で生活をし、そこに集落ができるのでしょうか。集団で人が
住み暮らすことは弥生時代から始まりました。農耕の効率がよく他の集落との
争いに勝つためなど、集団である方が生存に適していたためです。

日本の名城100選には吉野ヶ里遺跡が選ばれています。理由としては堀があり、
物見櫓があるためです。人々は集団で住み暮らすことで利便性を高めていきます。
中世のアムステルダム、リエージュなどの都市計画も明確な例です。信仰で
地域をまとめたり、築城によってまとめたりと、集団を保つ手段はさまざまです。
都市化は文明の始まりと言えるでしょう。都市の形成が人々の役割と身分を生み
中近世までは基本的に、その都市(圏)内で自給自足が出来たと考えられます。


近代に入ると、資源の開発によってその資源を他地域に移出するためだけに
生まれた都市が出現することになります。石炭の産出地は、たとえ作物が
生まれなくても物資などのライフラインを他地域に依存した都市が形成される
ようになります。交通・輸送手段の発達に伴って、近郊の都市と組み合わさって
水や物資を日用品をまかなっていた場所も都市として成立するようになります。
資源が枯渇するまでの間存在する都市が石炭産業都市と言えるかもしれません。

北海道の炭鉱町と九州の炭鉱町
北海道の炭鉱町は近代に入り、人口密度の低い場所に石炭が産出することによって
形成された土地です。ですので、かつての文脈が希薄で産業都市としての役割を
終えると自然に戻っていくのもまた早い場所と言えます。

例:三笠市に残る炭鉱住宅、幌内炭鉱の竪坑など現存していますが、閉山交付金で
取り壊されてしまった遺構も多々あります。三笠の奥地は遺構が野ざらし
となり廃墟と化している状態です。
羽幌町の橋脚、竪坑(志免竪坑と同じ
タイプのワインディングタワー)も残っています。
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一方筑豊炭田は、飯塚など名前からも分かるように米が産出された場所でした。
従来は農耕地区として発展し、後に炭鉱都市としての機能を果たしてきます。

佐賀の唐津炭田跡の地蔵堂、筑豊貝島大野浦炭鉱の露天掘り跡地の池など
遺産の近隣には市街地があります。宮田の貝島第5坑、三菱佐賀の炭鉱遺産
志免の竪坑などなど、民家の近隣に近いがゆえに残ったり、また取り壊し
運動にさらされたものもあると言えるでしょう。

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中近世と近代、近世との違い
例として飯塚を挙げますと、穂波川と遠賀川に面する飯塚は長崎街道が通っており
江戸時代は水運や人馬との乗り換え点として栄えました。伊藤伝衛門邸は
かつての交通の要所に建てられていたのです。
近代に入ると筑豊工業鉄道が開通します。街道とそれ、川に隣接した場所に
作られます。川で運んでいた物資や石炭の運送力増強のため、鉄道が引かれたのです。
鉄道が開通したため、旧来の市街地から鉄道付近への変わっていきます。


江戸時代から近代の都市の移行は、インフラによって急激に左右された場所も
多かったのです。これまで遺されてきた中世から近代の街並みは、発展する
中心地区が異なるが故に、それぞれの建物が取り壊されることがなかったと
言えます。現代では、市街地の拡大と再開発が同じ場所で行われ、取り
壊されるものも多いと言えるでしょう。地域の個性を知る上では、中世から
近代の歴史を知ることが大切です。


 
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炭鉱都市の遺産群の例 日本炭鉱北 九州市水巻町

事務所、坑夫の像、ぼた山以外残っておらず、炭鉱の遺構は解体されてしまって
いました。市街地であったため、住宅地になっているのです。炭鉱の遺構が
なくなってしまった理由として、

地理的要因・・・北九州市の郊外住宅地・工業用地として跡地開発が進み
易い状況にあった。

設備的要因・・・設備更新が頻繁であったため、産業遺産の価値が関係者
内でも容易に見いだせなかった。

規模的要因・・・大規模な炭鉱であったため、広範囲な開発・土地利用ができた。

人的要因・・・産業遺産を保存しようという考え方を住民があまり持たなかった。
ということが市原氏によって挙げられました。

 

長崎県池島炭鉱の事例へと続きます



D3 國盛 

 

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