梵魚寺は、釜山の北のはずれ、金井山(キムジョンサン)の麓に位置しています。
梵魚寺の歴史
新羅時代の文武(ムンム)王18年、西暦678年に唐(中国)から帰国した義湘(ウィサンン)大師によって、国民の思想を強化するために建てられたと言われています。古くから釜山の護国寺として敬われてきた梵魚寺は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)の時にそのほとんどが焼失したため、現在の建物は1614年に再建されたものになっています。また、創建当時のもので残っているのは、三層石塔という石塔のみにです。1614年に再建された寺院も繊細で華麗な朝鮮王朝の造りになっていて、十分に見て楽しみました。
梵魚寺の由来
梵魚寺というお寺のなまえの由来は<東国輿地勝覧>に「金井山は山頂に3尋ほどの高い石があり、そのうえに井戸がある。その周りが約10尺で深さは7燭ほどである。水はいつもたっぷり入っていて、日照りにも乾くことなく、その光は黄金色である。」
世間に知られているものによれば、一匹の金色を帯びた魚が五色雲に乗って空から降りてきて、その井戸で遊んだことから、空の国の魚という意味を込めて、梵魚寺という寺名になったと書かれています。
四本の柱で出来た門が寺院の入り口
一柱門と呼ばれている門が、梵魚寺の入り口を表している門です。
4本の柱が横一列に並んでおり、横から見ると一本の柱に見えることからこう呼ばれます。扁額にも書かれている通り、正しくは曹渓門です。韓国の寺社には共通してみられる山門で、俗世界と聖域とを隔てる意味を持ちます。
1614年に再建されたときに造られ、1781年に修復され現在に至ります。門をくぐったところには、門と木がお互いに支えているようになっているのが見えて、こんなとこからも歴史を感じることができます。
鐘楼
大雄殿に向かって右後ろにある韓国の寺院に共通する鐘楼です。
梵鐘、法鼓、魚を模した文字通りの木魚、雲版に4つの法物がセットで、毎日早朝4時と夕方6時にこれらを鳴らし、衆生救済の法式を執り行います。
三層石塔
その三層石塔は、新羅時代下期の典型的な造りとされていて、梵魚寺が建てられた時期と重なるため、創建当時から残っているという根拠となっているそうです。また、石塔の中の2箇所に顔像が彫られています。梵魚寺の本堂の下辺りにあります。
階段を上ると、大雄殿に続きます。
梵魚寺の大雄殿
ここに祀られた本尊仏は、釈迦牟尼で2体の菩薩が両脇に立っているように祀られています。正面3間、側面3間の多包様式で、軒は軒下の垂れ木の上に更に短い垂れ木を重ね合わせたもので、この建物はその装飾が美しく構造が繊細であるとされ、釜山、釜山近郊に残っている最高の木造建物と評価されるほどのものです。
弥勒殿
大雄殿前庭の右には毘盧殿・弥勒殿・清風堂の山堂が並びます。
羅漢殿
梵魚寺の伽藍群の中で異彩を放つのが、左奥の3堂宇。細かく刻まれた花の文様や、アーチ型の門が連なります。
聖宝博物館
三国時代の仏教説話集である三国遺事、金蔵要集経などの仏教教本といった宝物、有形文化遺産が保管されています。
梵魚寺は山の中にあり、たくさんの木に囲まれとても静かな場所にあるので、散歩したりするのにも最適です!寺院の風景と自然が調和し、美しい景観を演出しているので、最高の雰囲気の中で散歩して、心が静かになりました。
梵魚寺岩海
梵魚寺の藤の群生地から梵魚川に沿って登ると金剛庵が見えます。この金剛庵から金井山城北門までの間には、数え切れないほどの岩が流れるように積まれています。
岩塊流の下には水が流れており、大聖庵・覚海禅林のオンドルの下からもかすかに聞こえてきます。
寺名の由来からなのか、寺院内にはゴロゴロとした大きい石が目立ちます。
一日目は釜山の歴史的建造物「梵魚寺」を見学しながら、釜山の自然を満喫して、山間にひそむ静かな美に仏教芸術の粋を見ました。
翌日は、夕方までの釜山街歩きを楽しみました!
釜山の市場の風景とか、美味な料理とかたっぷり体験しました。楽しかったです〜。
三日間は本当に短いですが、とても楽しかったです。
2012年も勉強や学生生活を頑張ります。
(M1 鄧 瓊)