謹賀新年、ことしは穏やかないい年でありますように!
3月11日以降、みょうにハッスルしていろんな方にご迷惑をかけました。
わが第二の故郷、祖先のふるさと、5年を畑とともに過ごした宮城県丸森には放射性物質が蓄積していきます。あんなに美しい里山が、とおもうだけでこみ上げるものがあります。
石巻北上町、河北町ではたくさんの立ち上がろうという人々にお会いすることができました。震災前からのご縁のありがたさを思いました。
2011年も被災地と津波で亡くなられた方、原発事故のためこころならずも故郷から離れている方たちのことを忘れずに、できることをしたいと思います。10年ぶりくらいに紅白歌合戦を見てしまいました。歌手が被災地でチャリティをしたとかなんとか、どうでもいいのですが、わが同学年の松任谷由実さんが『春よ、来い』を歌った時は泣けました。3・11以来、ずっと寒い東北のことを思い、心の中で鳴っていた歌です。「迷い立ち止まるとき」というフレーズが今の自分にぴったり来ます。揺れながら、揺れる自分を見詰めながら、でも思ったことは正直に書いていきます。森まゆみ
12月12日に谷中カフェコパンで石巻尾の崎復興支援牡蛎まつりをしました。(東京新聞の記事から(抄録))
東日本大震災による津波で、全国2位を誇る宮城県のカキ出荷量は前年比6%にまで落ち込んだ。奇跡的に無事だった同県石巻市尾ノ崎地区のカキが、都内に出荷される。このカキを育てた養殖業の坂下健さん(72)清子さん(67)夫妻は「津波に耐えた『強運のカキ』です」
坂下さんによると、津波はカキの稚貝を仕込んだ直後に襲った。尾ノ崎地区も壊滅したが、坂下さんのカキ棚は五台(一台にカキ二千百六十個)のうち三台が残った。
同地区は汽水域で、通常は水揚げまでに三年かかるカキが一年で育つ。
坂下さんは「のんびり村」という民宿を営み、カキ料理を出していた。しかし、自宅兼民宿は津波で全壊。近くの市立大川小学校では児童七十四人が死亡・行方不明となったが、夫妻と高齢の母は高台へ逃げるなどして無事だった。
奇跡的に育ったカキだが、殻むき小屋が全壊して加工できず、市場に出すのが困難だった。そんな中、交流があった作家の森まゆみさん=文京区=らが協力を申し出た。十二日夜には同区谷中で、会費制でカキを味わう集いを開催。趣旨に賛同した約七十人が、坂下夫妻が持参した約七百個のカキをフライやグラタンなどにして味わった。「どんなになっても故郷。俺には海しかない」と坂下さん。森さんは「最後に頼れるのは人とのつながり。交流と支援の輪が広がれば」と話す。
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