建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、藤原惠洋(ふじはらけいよう)教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!

DSC051282011年11月11日
後期集中講義では掘先生が教鞭を取られる遺産考古学が始まりました。

掘賀先生の専門は建築の歴史、特に古代ローマ建築史で、1994年から
2004年にかけてはイタリアのポンペイの発掘調査をされていました。
(1991年〜1993年まで京都古代学研究所の管轄でポンペイの事前調査をし
イタリア政府に発掘の申請を行い許可を得て発掘に至ったそうです。)
今回はポンペイ遺跡と、考古学の経緯について講義をいただきました。

 DSC05130
 ローマに残る石切り場の遺跡


 

考古学とは?

語源:ギリシア語、古代の事柄について議論すること。
certainly some archaeologists are so proud of their ’creations’
that they consider themselves to be godlike in many ways.
考古学者は、
様々な方法を以て自分が神のように過去をクリエイトすることができる行為に
誇りを持っている。John Wyndham/The secret people
past(過去の事柄)からhistory(歴史、ものがたり)へ価値付けることが
醍醐味の学問とのことです。


考古学はかつて特権階級のものでした。過去について考えることが一般市民に
広まったのはルネッサンスが最初です。(日本は明治時代以降) 過去の遺物に
興味を持ち、古代を科学的に発掘し解明した最初の人物はラファエロでした。
発掘の現場監督を行っており、遺物を数値で記録することを始めたのです。
DSC05132
 ラファエロの遺跡発掘の記録


それまではゴシック、ロマネスクといった神について考えるものが芸術文化の
基盤となっていました。しかしルネッサンスは人間について考える啓蒙主義の
時代となります。人間そのものに興味が沸き、解明するために人が作ったものを
収集し考察する、博物学や科学考古学といった学問が生まれます。
「人間とはなにか」聖書に厳格な答えが明記されているため、
150年程ローロッパ人はこの常識を覆すことができませんでした。ですので
彼らは自分たち以外の異文化を収集解明することに注力します。(大英博物館)
 

 

考古学、考古学者の歴史変遷

 科学考古学
トーマス・バーネット(1635?-1715)
Archaeolglae Philosophicae(考古哲学論)(1692)考古を想像で描き出し、
歴史としてまとめるような検証の仕方を行っていた。
・  ウィリアム・スタクレイ(1687-1765)
ノアの箱船以前に作られたストーンヘンジは悪魔の産物とされていた。
しかし彼は人間の産物だと証明。他国でも人間の文明の遺構が残っている。
キリスト教の「アダムとイヴ」「ノアの箱船」説の危機!

チャールズ・ダーウィン(1809-1882)「種の起源」(1859)を発表。
キリスト教の人類創造の歴史が覆される。
・リチャード・コルト・ホア・卿(イギリス:17581838)=聖書の歴史を
信じており、考古学を研究することにより聖書の正しさを証明しようとした。
ストーンヘンジの最初の記録発掘、イギリス南部墳墓の発掘が大きな業績。

 
ほぼ同時期、アメリカでも考古学が盛んとあった。

トーマス・ジェファーソン(アメリカ:17431836)
1784年墳墓のトレンチ(縦穴掘り)発掘を行った、第三代アメリカ大統領

ジェームス・ハットン(スコットランド:1726-1797)地質学者
「地球の理論」(1785) 斉一説:自然において、過去に作用した過程は
現在観察されている過程と類似すると想定⇔天変地異・突発説

 

ジャック・プシェ・ドゥ・ペル(フランス1788-1868)握り斧と絶滅した動物の骨が共伴→聖書以前に人類の生存が証明された。

 

地質学、考古学は相互に発展をしてゆきます。ポンペイの発掘=考古学の
発展そのものと言えます。ポンペイの発掘、保存、価値付けには誰が
どのような方法をとってきたのでしょうか。
DSC05133DSC05134DSC05135ポンペイの遺跡 
 

ポンペイは紀元前79年に火山が噴火し、街は火砕流で覆われ人々の多くは
窒息死します。火砕流が街や人体を覆い、2000年以上街はそのまま残りました。

ジュゼッペ・フィオレッリ(1823-1896 ポンペイ井関監督所長)

漆喰による人体鋳型を抽出[記録が忠実・イメージを伴う点で優れている方法]
発掘の歴史を体系化(Pomperianarum Antiquitatum History)
し、遺物の総合的解釈を図りました。ポンペイの組織的な全体発掘
[街区の番付]や、遺物の発掘された場所での展示[遺物のコンテクストを受け継ぐ]
といった新しくも意義深い方法で発掘調査を行い、彼によってポンペイは
素晴らしい状態で残されています。

・アウグスト・マウ(1840-1909)

ポンペイにある豊富な壁画を分類し、時代編年との関連付けを行った。

①最後に壁面が建設された年代を示す
②石灰岩、凝灰岩、火成岩など壁画の素材を分類し、年代順に体系化する。

 

ポンペイの暮らし

・初代ローマ皇帝アウグストゥス [ユリウス歴も作った]
・ララリウム(神棚:卵などをお供え) カンタロス(銀の杯)などを使って
神々に礼拝を捧げる習慣があった。
・人口12000人?
職業:鍛冶屋、パン屋、居酒屋、調香師、薬師、酒造、建設業など
インフラ:馬車道、横断歩道、水汲み場[50m間隔の井戸]公共浴場、
円形闘技場
食事:一日2回、卵、リコッタチーズ、野菜、鶏肉、パン、くだもの、
海産物、ワイン 仕事:午前中のみ。
娯楽:闘技、宴会、公共浴場、壁画などなど

 

「考古学とはなにか」といった導入から考古学の歴史の変遷、だれもが
興味を持つであろうポンペイ発掘の現場情報まで、貴重な講義となりました。

[D2 國盛] 

 

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