建築史家でまちづくりオルガナイザーこと、九州大学藤原惠洋(ふじはらけいよう)名誉教授の活動と、通称ふ印ラボ(ここで「ふ」の文字は意味深長なのでちょっと解説を。ひらがなの「ふ」は「不」の草体。カタカナの「フ」は「不」の初画を指しています。そのまま解釈すれば「つたない」かもしれませぬ。しかし一歩踏み込んで「不二」とも捉え「二つとないもの」を目指そう、と呼びかけています。ゆえに理想に向けて邁進する意識や志を表わすマークなのです。泰然・悠然・自然・真摯・真面目・愚直を生きる九州大学大学院芸術工学研究院芸術文化環境論藤原惠洋研究室というわけ、です!)の活動の様子をブログを介して多くの同人・お仲間・みなさまにお伝えしています。 コミュニケーションや対話のきっかけとなるようなコメントもお待ちしております!
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高浜フィールドワークにご参加いただいた皆さまへ
 
お世話になります、三浦です。
7月16日~18日の高浜フィールドワークから早10日余りが過ぎました。
7月28日にはスギダラ北部九州JR分会の皆さんのお計らいで、高浜報告会 in 博多を
開催いただき、高浜での感動の3日間がよみがえりました。ありがとうございました。
ご参加いただいた方々から続々と感想文をお寄せいただき、既にメーリングリストで
共有いただいているものもありますが、私あてに直接お送りいただいたものもありま
すので、ここで一挙にご紹介したいと思います。
今回添付にてご紹介するのは次の方々の感想文です。(添付が重くなりスイマセン!)
 ・梅田さん ・溝口さん ・崎田さん ・荒川さん
 ・山本さん ・本田さん
同じような体験をしても、感じるところは人それぞれだなということを改めて感じ
させてくれる内容です。
 
これから感想をお送りいただく方は、是非参加者で共有できるような形で発信を
お願いいたします。
 
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三浦 浩子
 

日常の価値とデザイン


所属 株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンター
氏名 若杉浩一

 


僕は、天草河浦出身です。
そして、天草の地や両親を捨てて、遠く東京でデザインをしてもう、28年にもなります。
最初は何も無い、時間が止まった古里が嫌でした。自分の可能性をかけて、この地を去ろうと決めたのです。
そして、僕は、企業でひたすらデザインをやり、沢山の工業製品を生み出し、経済に身を置いてきました。
しかし、どこかで、ずっと気になっていました、古里の事が。
経済や豊かさを求めて、都会に出ることと、地域の暮らしの間にある、あまりにも距離がある、すっぽり空いた空間の事が。
やがて、南雲さんと「スギダラ」を始める事になり、経済にも何もならない活動、そしてデザイン、相反する企業という立場のあまりにも距離がある、空間に僕はすっぽり身を埋める事になりました。

 

何があるか、まるで確証も何もないまま、このままでは何かがおかしい、割り切ろうとも割り切れない自分に従い、企業の正義と反目し、押さえきれない何かを求めて来ました。

沢山の地域に出向き、沢山の人と出会い、次第に、外から見る、中央、企業という者が浮き彫りになり、経済と逆さまな姿を沢山、見る事が出来ました。何かが足りない、そして何かが出来る、そう思えるようになり、不安や憤りが、確信に変わり始めました。

そして、藤原先生との出会い。「あ〜〜。ここと繋がっていたのか。」そして、喜びと、不安。
果たして天草で、本当に何が出来るのだろうか?

 

天草、高浜に着いて、見慣れた光景、焼き焦がれるような太陽、鮮明な緑と海の色、しかし明らかに人の気配や、力が少ない。
毎年帰っていたはずの、古里の気配の違いに驚きました。
「何が出来るのか、何が出来るのか?」

 

ワークショップを始めて、そして、古里の皆さんと話して、まちを歩いて、飲んで、踊って、そして飲んで、何も無いと思っていたまちに沢山の財産があった、人の数や、力や、経済ではない、絶え間なく受け継がれる、オープンで、明るくて、垣根を越える力強さ、そして豊かさ、まぎれも無い、同じ血が流れている、そう感じました。

 

天草は、何も無かったのではない、外と繋がる力、受け入れる力、繋がる事、この地を愛すし、未来に思いを馳せる力があったのです、たまげました。

まったく、ぼんくらは時間がかかって、しょうがない。

 

なつかしい、音、香り、色、そして地元の皆さんの瞳、力が抜けました。

「あ〜〜、嬉し、恥ずかし、天草。何がでくっとか、わからん。じゃばってん、また来っでな」

 

来て良かった、そして、高浜の皆さん、何より藤原先生ありがとうございました。





巻き込む力の協演


所属 パワープレイス株式会社福岡デザイン部・日本全国スギダラケ倶楽部
氏名 千代田健一



九州人でありながら、天草には殆ど足を踏み入れたことがなく、とても新鮮でしたが、一方、子供の頃、夏休み中を過ごした母親の郷里である対馬の小さなまちを思い起こすようなとても懐かしいところでもありました。
しかも天草の最西端とも言える高浜は想像していた以上に海がきれいで、大人気なくも海に飛び込んでしまいましたが、やはり一番印象的だったのは海の素晴らしさです。
まちを散策している時から飛び込みたい衝動に駆られ続けていました。

道路事情が変わっているとは言え、福岡市内からバスで4時間半。意外と近いんです。
福岡や熊本の市街地からでも充分日帰り行楽ができる場所であると思いました。
まちの中も昔の懐かしい佇まいがいくつも残っており、景観的にも美しい。まちを歩いているとまちの人々はよそ者を見る目ではなく、警戒心が感じられないし、子供たちも朗らかに挨拶してくれる。
そんな穏やかで心地よい雰囲気がまち全体から、そこに住む人々から感じることができました。
そんな心地よさとダイナミックな自然がとても魅力的で、このまちを愛して止まない人々が住み続けているのだろうと思います。天草陶石のような日本全国に高品質な磁器素材として供給している地域の財産もあり、あの素晴らしい水平線に沈む美しい夕陽、極めて透明度の高い海、気候も温暖で果物もおいしく実り、海の幸もうまさのレベルが違う。そんないいとこばかりのような高浜でも、若い人たちが居つかず、高齢化は進む一方。
藤原先生が肩入れしたくなる気持ちがわかるような気がしました。

 

今回、ワークショップを通して交流を持てた人々の多くは朗らかで生き生きとしている。
でも、話を聞いていると悲愴感も垣間見える。どうにかして栄えていた頃の元気を取り戻したい。
そういう願い、想いにも触れることができました。
ワークショップでは、このまちの「ソーシャルビジネスを考える」チームに入って様々なアイデアの交換、議論を交わしましたが、最終的にビジネス、つまり仕事を作って行かないとまちは本当の意味で活性化しないのではないか?と、ごく当たり前のことに気づき、ついつい具体的なアクションプランなどあれこれ考えてしまいました。そんなことは外から言われるまでも無く、高浜ぶどうの栽培を始め、独自の具体的活動が進んでいるものもありましたが、地元の人たちの中だけでやってると地道過ぎて、なかなか加速度がつかないのだろうとも感じました。
もちろん、地道にしつこくやり続けることが最も大切だとは思いますが、いいアイデアやいいアクションをさらに加速させるエネルギー、もっと端的に言うと「悪ノリ」が必要なのではないか!と、思った次第です。

地元には森商事の森さんや小野さんのように素晴らしいアイデアと行動力を持ち、地元や子供たちにとても深い愛情を注いでいる実力者もいらっしゃる。近場には高木富士川計画事務所の宮野さんのように地域を繋ぐとても未来的なデザインをしている仲間もいる。そして何より地域社会を元気にしてゆくコーディネーターとして名声を欲しいままにしている藤原惠洋先生に目をつけられたことは高浜にとっての幸せだと思います。

藤原先生の人を巻き込む力は素晴らしいです。天草の偉人をここぞとばかりに投入したキャスティングは天才的です! スギダラ倶楽部も南雲さん、若杉さんを始め、キャスティングが大変上手です。
その汚染力、巻き込み力はすさまじいものがあります。そんな同じような匂いのする人々の出会いは強烈で、圧倒された参加者も多かったのではないかと思いますが、関わりを持てた全ての人にとって、これからの地域社会を、また日本をもっと豊かで魅力的にして行くために必然とも言える出会いの場であったと思いました。

スギダラ倶楽部の天草支部もできて、このワークショップを通じて地元の人も会員になってくれたりで、これからも末永いお付き合いになりそうです。

振興会のホームページでも高浜フィールドワーク2011のレポートがアップされていますね。
新商品「SUMMER TIGER」の素晴らしい笑顔がとても印象的で、高浜の人々の本質的な持ち味を代表しているような、そんな感じがしました。来るたびにぶどうの棚が増えていることを願って、また何度となく訪れたいと思います。





濃いヒト来い、恋をしに高浜へ。

所属 日田ラボ・藤原惠洋研究室

氏名 タカクラタカコ

 

 2011年の2月、初めて天草の高浜に行った。藤原惠洋先生と藤田洋三さんと帆足耕一郎さんのパネルディスカッションおよび高浜地区振興会の事例発表。

 あのとき、藤原先生が「7月には学生を連れて、まちを歩きたいと思います。そして、みなさんと高浜のことを語りたいと思います。」といった言葉が現実となった。しかも、先生は気軽に、日本全国スギダラケ倶楽部のスギダラ3兄弟(南雲さん・若杉さん・千代田さん)に声をかけていた。その中に、天草出身のデザイナー 若杉浩一さんがいるからという理由で。なんと本当に天草に参加してくれることになった。さらにスギダラのフットワークは軽い。スギダラの面々が次々と参加表明。

 準備は、着々と・・・?進んでいった。実は、私はこれまでしっかりとした市民参加型のWSに参加したことがない。公開講座の学外演習やふ印研で参加する牛深ハイヤやすこーしだけ市民参加のワーキングには参加したことはあるけれど、どっぷりと藤原惠洋流市民参加型のワークショップへの参加は、縁が無かったのか参加したことが無かった。

 少しの不安と大きな期待で、当日を迎えた。

 

 天草への道は遠い。車で延々4時間。それを思うと、簡単に行こうと思う場所ではない。私が住んでいるトコロは、大分県日田市。売りは「福岡から車で1時間。日帰りも簡単にできる手軽な観光地。」さらに天領だった時代も各地方への交通が便利だったから栄えた。そんな便利が良い日田でも、過疎化は進んでいるのだから、福岡から高速を利用しても4時間かかる高浜の過疎化が進むのは、無理はない。

 みんな、都会に行って、便利な暮らしをして、たま~に田舎に帰るくらいがちょうどいい。しかも、住民ほとんどが知り合いって、濃密すぎる。

 

 まてよ・・・?

藤原惠洋研究室は、濃い。藤原先生自身が濃いのだけど、ここに集まるあらゆる人たちの濃いことといったら・・・・簡単には言い表せない。そういえば、スギダラケの集まりにも何度か顔を出したことがあるけれど、ここも濃い人たちの集まりだったなぁ・・・。

 そっか、高浜の人たちとも何とかなるかも知れない。

 参加者のグルグル回る自己紹介を聞きながら、そんなコトを考えていたら、着いた。意外と近い。(笑)

 高浜地区振興会の方々が待っていてくれた。「早かったですね。遠かったでしょう?」ニコニコしながら、おじさん達が声をかけてくれる。まだ、少し緊張したまま、藤原先生の号令一家、早速会場づくりを始めた。書家 藤原惠洋氏による書を会場に張り出していく。集まり始めた地元の方も「おお~~~っ。」と声をあげていた。

 「九大のえらか先生達がなんやらはじめたばい」「なんかおもしろそうばい」といった雰囲気が会場を包んでいく。「何かがはじまる」そんな期待が高まる。

 

 早速、天草高浜支所の中原さんが司会・進行をして、開会式がスタートした。藤原先生のこの天草高浜に来た経緯が説明され、さらに高浜地区の方へ、どんな人たちが来たのかを知ってもらうために、今回の参加者の自己紹介へ。(福岡組、この日4回目の自己紹介。)そこへ、やってきましたスギダラケご一行様。(あ、千代田さんは福岡から参加でしたね。)

 会場があたたまってきたところで、まちへ出て、トランセクトウォークへ。中原さんが用意してくれた麦わら帽子をかぶる。麦わら帽子いいねぇ~。いちいち感動。

 高浜公民館を出て、まちを歩く。総勢60名ほど。きっと観光ツアーでも、こんな人数で高浜を歩くことはないだろうというくらい、ぞろぞろと歩く。それでも、高浜のまちは、静か。上田家や寿芳窯、トロッコ軌道、もちより市場の会場、旅館白磯、高浜小学校、白鶴浜、森商事などなど、炎天下の中、少し気が遠くになりながら、3時間ほど町中を歩いた。

 参加者興奮気味。「高浜は、スゴイところかも」

 たった、数時間歩いただけで魅了される。そんなにすごいのか高浜?大丈夫か?高浜の暑さにやられてるのか?私たち。

 

 ようやく高浜公民館にたどり着いた。ここで一日目のメニューが終了。明日からのグループ活動の説明、そして、学生達の民泊先を発表。可愛らしい学生達は、それぞれ地元のおじさん・おばさん達の家に連れられていった。「頑張ってこいよー。」

 社会人達は、茶碗屋さんと白磯さんにチェックインして、汗を流した後、19時に茶碗屋さんに再集合。(長い一日は、まだ終わらなかった。)

茶碗屋さんに着いた時には、宴会がフライングスタートしていた。

 再度、皆さんで乾杯!隣同士、どうぞ、宜しくお願いしますと挨拶をしながら、目の前の料理に手をのばす。ほっとする・・・間もなく、本日、実に5回目の自己紹介が始まる。

 程良い疲れと、みなさんの自己紹介トークを楽しみながら、高浜の夜は更けていった。

 

 二日目も晴天に恵まれた。朝7時30分から始まる朝市にちょっと早いけど、ま、いっかと思いながら7時ちょっとスギに出かけた。すでに始まっていた(笑)。じゃがいも・たまねぎ・マンゴーを購入。生もの買いたいけど、、、、明日もあるし、、、泣く泣く諦めた。7時30分にやってきた先生達には、残念ながら、ほとんどの商品が完売状態だった。白磯さんの美味しい朝食に元気をもらい、高浜公民館へ散歩がてら歩いていく。途中、高浜小学校の児童によるイカダくだりを地元の人たちと応援。先生達が必死で竿を操っていた。ガンバレ先生!

さて、学生達も集まり、二日目のプログラムスタート。藤原先生から昨日のトランセクトウォークをふまえ、高浜の歴史と背景などのレクチャーで、より高浜を理解していく。さらに、今回用意された5つのプログラムにグループ分け。参加者にはどのプログラムに参加したいのか自由に選んでもらった。やはり、プログラムCとDが人気。私もそれが良かったな~と思いつつ、全く畑違いのプロダクトデザインと公共サイン プログラムEを選んだ。

 何を考えたらいいんだろう?公共サインって、看板のこと??看板のデザイン??森商事さんが作っているスプーンをはじめ、椅子とか机のデザイン?何をやったらいいんだろう・・・・。すでに、選んだことに後悔をしつつ、高浜FW恒例の自己紹介タイム。10人弱の自己紹介はあっさり終わった。で、私たち何をすれば・・・・全員南雲さんを頼りながら、それぞれ公共サインのイメージや高浜のイメージについて、少しずつ話をしはじめた。

 「高浜に大きな看板って似合わないような気がする」「看板で案内されるというより、誰かが教えてくれるといいよね。」「○○さんは、釣りに詳しいから、あの人に穴場を尋ねてみてねというお知らせをするっていうのは?」「人が人を案内するためのサインを家の前につけるのがいいかも。」「どんなサインがいいかな。家の前だから、小さなものがいい。」「高浜ならではで、揃っているほうがいいよ。」「せっかく陶石のまちなんだから、それがわかるほうがいいよ」「森さんのスプーンとかもイイ。食に詳しい人はスプーンで、釣りは魚。」「じゃあ、トイレは?高浜に公共トイレってどのくらいあるのかな?地元に人に借りるって無理かな?」

 それぞれ高浜へのイメージを考えながら、自分の中のサインを形にし始めた。私も、へたくそだけど、模造紙に絵を描いてみた。「これなに?」なんて言われながら。

午後は、登り窯跡地などいくつかを見て回ることにした。森さん・松原さんが車を出してくれて、分乗。口数少ない松原さんが「登り窯は、こっちからがいい写真がとれる。少し写真なんかもやってるもんで、たまに撮りにくる。」と言って、川の対岸を案内してくれた。さらに、採石場や荒尾岳公園など、ガイドマップに載っているけれど、そこまでは載っていないというところまで連れて行ってくれた。さすが地元。松原さんは「友達が船を持ってるから、それに乗るともっといい。」と言ってくださった。80%行く気になったけれど、さすがに諦めた。次回は、是非、海から眺める高浜を体験したい。勝手に松原さんのことを「天草高浜の高倉健さん」だと盛り上がりながら、午後のドライブが終わった。

 さて、公民館にもどり、まとめ。え?まとめ?高浜楽しかったじゃダメですか?何とか、まとめだしたところで、南雲さんが「で、キャッチコピーは?」え?キャッチコピー???たしかに、スギダラのイベントって、「杉がいいやinシーガイヤ」「西都でエキサイト」というコピーがついていたなぁ・・・・。松本会長たちに「高浜弁で、おもしろいとか、楽しいって何て言うんですか?」「○○は?」「××は?」まとめどころじゃない、キャッチコピーが決まらないと先に進まないらしい。

 よし!続きは、今夜のバーべキューで!

 ということで、あっさり解散。いいのか?グループE!間に合うのか?

 

海に沈む太陽を見ながら、感動。道路に横たわって、記念撮影。夕陽に向かって疾走。まるで、青春ドラマ。いつもの夕陽と何が違うのだろう。みんなで、夕陽をみながらはしゃいでしまう。アルコールは少し入っているけれど、それだけではない、わくわくした気持ちがここにあった。

港にもどって、再び、自己紹介と二日間の感想を言い合う。(明日の発表、大丈夫だろうか?)

 

 最終日三日目。バーベキューの片づけが朝の6時30分から。先に行ってしまった三浦さんに遅ればせながら、到着。ほぼ終了。ええ~~片づけもフライング?早いよ、高浜。

 9時からのまとめ作業に、グループEのメンバーは焦っていた。キャッチコピーも決まっていない、まとめ作業もまだまだだ。発表できるかな?森さんが、「オレがほんとに発表するの?」心配している。そこへ、南雲氏登場。「キャッチコピーできた。ちゃんと昨日の夜、考えた。・・・・・・サイン・小サイン・タンジュンダ!」「ん?ん??うんうん、いいと思う。」高浜のおじさん達は、よくわからないまま、「サイン・小サイン・タンジュンダ!」に決定。

 あっという間に、発表の時間。早速、グループAの発表。テーマは、歴史的建築・文化財まちづくり。で、田中さんの上田家七代目上田宣珍にスポットを当てたい!という熱い思いで「上田よしうず紙芝居」が完成。「えらいぞ!よしうず!」「それいけ!よしうず!」「すごいぞ!よしうず!」「面白いよ!田中さん!」だった。最初の発表から、このテンション。緊張する。そのテンションは、ZIKIZIKIプロジェクトでも、高浜マップづくりでも、高浜暦づくりのサマータイガーでも、さがることなく続いた。私たちの「サイン・小サイン・タンジュンダ!」の発表は、われらが森さんと南雲さんの淡々とだけど私たちの高浜への優しい思いがギュッと詰まった発表だった。(その後、発表に貢献しなかった私は、再度意見を求められることになったのだけれど)

 どれもこれも夢物語と実現可能なものとが入り交じった濃密な発表だった。たった三日間の成果とは思えないくらい。

 お昼は、私がこの高浜のFWで一番楽しみにしていた「せんだご汁」。これがあるから来たようなものだ。本当に美味しい。しかも、今回はカボチャが練り込まれた黄金のせんだご汁。このだんごひとつで盛り上がる私って変だろうか?いや、きっと変じゃない。そのくらい美味しい。天草では、普通らしいけど、郷土料理としてもっとアピールしてよいと思う。

 

 今回の最後の締めくくりは、日本全国スギダラケ倶楽部スギダラ3兄弟によるトークショー。今年の1月に杉がいいや!inシーガイヤで聞いた、あのトークが再び。ダジャレ満載で、ふざけているのに、じーんとする。そんな南雲さんたちの話。高浜の方達は、うんうんとうなずきなら、メモをとっていた。(だじゃれをメモってたわけじゃないですよね?)

 締めくくりの閉会式。藤原先生の振りに、三浦さんと私はついていくのに必死だった。三日間が濃厚すぎて、一日目からどうでしたか?の先生の言葉に、初日のまちあるきが倒れそうだったこと、三日間ウロウロしていると地元の方と挨拶をするようになったと返すのがやっとだった。少しずつ参加者の方にマイクを渡し、感想や意見を言ってもらう。民泊した先の方へ向けて「お父さん、高浜は第二のふるさとです。必ずまた来ます。」「暑中見舞い必ず出します。」と呼びかける姿に、一同感動。それだけ、高浜の方には、大変良くしていただいた。遠くからやってきた、見知らぬ我々を、快く受け入れてくださった高浜のみなさんに本当に感謝したい。我々がバスに乗り込む姿を見送りながら、「サマータイガー(夏さん)も連れてってよ!」と笑う高浜の方々。本当に、最後まで優しく温かかった。

 

 帰りのバスの中、感想の中に、高浜地区振興会に参加していない方の話やこれからの高浜との関わり方についてもそれぞれ話がでた。

 どの町も、「まちづくり」とか「活性化」という言葉で一生懸命取り組んでいるけれど、持続するというのは、難しい。先週から始まった、菊池市の取り組みや日田でのことも、持続可能(サステナビリティ)なまちづくりをしていくというのが一番重要になってくる。まちの人だけでは心が折れてしまうことも多々あると思う。高浜もすでに取り組んで来た方の本音や振興会そのものを遠巻きで見ている方の気持ち、そういったつぶやきみたいなものを丁寧に聞きながら、いわゆるよそ者が関わるメリットを活かしていきたい。

 

 これからも高浜のまちは、私たちを待ってくれているだろう。次は、船に乗って回りたいし、こどもたちとも交流してみたい。さらに、せんだごを一緒に作ってみたい。あ、サインも作らなくては。ZIKIZIKI商品の開発もだった!スギダラ天草支部もできたし。それを考えただけでも、わくわくする。

 現在、勝手に菊池キャンペーンレディをやっているけれど(日田で地道に活動中。)、高浜キャンペーンもやらなくちゃ。

 そんなことを考えて振り返っていたら、こんなに長い感想文になってしまった。





とても遠くて近いところ

所属 九州大学公開講座受講生

氏名 梅田 和久

 

バスに揺られること5時間、天草の高浜はとても遠いところでした。しかし、地元の方々の話を聞いていると色々な問題、悩み、不安があって意外と近いなーと思いました。

高浜の姿は、現在の日本の集落が持っている姿そのものではないでしょうか。

 

少子高齢化は避けて通ることはできません。少子化・人口減は今後の日本の姿だと思います。だからこそ持続可能な社会の構築と地域間交流による相互扶助が必要だし、そこにしかない地域の魅力、個性がその地域の価値を決めていくのではないかと思います。

 

高浜もまた地域の価値を高めるため、ひいてはそこに住む人々の幸せのためにまちづくり活動と地域間交流が続けられなければならないと感じました。





信頼関係はスタートダッシュ

所属  九州旅客鉄道株式会社

氏名 稲盛 智章


 天草高浜での充実した三日間お疲れさまでした!今年の夏はミンミンという蝉の鳴き声よりも、ZIKIZIKIという言葉の方が耳からはなれそうにありません。

 

 私は天草の「フィールドワーク・ワークショップ」について感想を述べたいと思います。

 

 私は、博多冷泉地区、フィリピンパサイ市、宗像市玄海地区など様々な場所においてワークショップ形式のイベントを開催して参りました。イベントの趣旨は様々なので一概には言えませんが、この手の参加型ワークショップでは、限られた時間で地域に関する多くの情報が得ることが第一目的だと考えていました。しかし、今回のフィールドワーク後には、情報を得ることよりもまず、専門家や地域住民等の立場を超えた信頼関係を築くことが第一目的ではないかと考えるようになりました。もちろん、信頼関係を軽んじていたわけではなく、信頼関係は長い年月をかけて築くものだと悠長な姿勢でいました。そのため、初対面の方が多いイベントでは探り合う感じでぎこちなく展開し、スムーズに行かないこともありました。今回の高浜フィールドワークでは、スギダラ流ダジャレトークやエンドレス自己紹介はもちろん、初日からのトランセクトウォーク、夜の懇親会を通して信頼関係の基礎をがちっと築くことが、二日目のグループワークを楽しく有意義に行えるようにしたと実感しております。グループワークでは、陶石の採掘場や狼煙跡を巡る車中でZIKIZIKI聞こえ始め、自らもいつの間にかZIKIZIKIいい始め、次の日にはZIKIZIKIを発表していました。高浜地区全体でも、このように何かに人々が巻き込まれ、大きな動きになって高浜の宝が注目されることを願っております。藤原先生をはじめ、藤原研究室の方や、スギダラメンバーの方のフィールドワーク及びワークショップスキルを目の当たりにし大変刺激的な三日間でした。ありがとうございました!

 

 



高浜フィールドワーク

所属  スギダラ北九

氏名 峯 雅彦SDC01070

 

 天草高浜地区の皆さま、藤原教授をはじめとする九州大学関係の皆さま、そして南雲・若杉・千代田のスギダラ三賢人(偉人)を筆頭とするスギダラケ倶楽部の皆さま、本当に7月のフィールドワークの節はお世話になりました。改めて御礼申し上げます。実は、今回のようなフィールドワークというのは、初めての経験で、申し込みギリギリまで参加をためらっていました。そもそも、何をどうやったらいいのか判らないし、第一このくそ暑い中、体力が持つかどうか不安でした。とは言いつつも、地域の宝探し的な取り組みに興味が沸いているのは自分自身感じているし、少しでもそのような取り組みのお手伝いができるなら楽しそうだし、なんと言っても「バイタリティ溢れる藤原先生はどんなことやってらっしゃるんだろう。一度見てみたい」という思いが強くなり、暑さでぶっ倒れてもプロレス研究会出身のわが社のホープ稲盛がいれば、担いで病院まで運んでくれるだろうということで、参加を決心しました(でも、近くに病院はあったのかなぁ・・・)。

【峯にとってのこれまでの天草】

 私は大牟田にある有明高専の出身ですが、在学当時(昭和49~54年)は熊本出身、特に天草地区出身の学生が多く、都呂々とか牛深とか本渡から来た連中が、恥ずかし気もなく大声で天草弁を話していたのを覚えています。私は「うきは」の百姓の長男坊で、子供ながらに高専に行けば親に経済的に大きな負担をかけずにすむと思い高専に進学したのですが、高専に行く学生は貧乏人が多いと(実態は判りませんが)、勝手に思い込んでいました。ですから、先輩や後輩が多くいる天草は経済的に恵まれていない方たちが多いんだろうなと、これまた勝手に想像していました。勝手な想像ではありますが、大きく外れてもいなかったと思います。そんな貧乏なイメージのある(失礼!)天草へは概ね年に1~2度、同級生たちの実家に泊りがけで行ったと思います。日本国有鉄道への就職など夢にも思わない紅顔の(美)少年だった35年ほど前の話です。

【峯にとっての今回の天草】

 三十数年ぶりの天草ということで、とても懐かしい思いがありました。が、当然のように学生時代の訪問は、海で遊んで、酒飲んで魚食べて、くたくたになって帰るだけで、地域の特色や魅力について考えたことなど少しもありませんでした。そこで、今回の参加に際し、少し天草について調べてみました。すると・・・思いもかけず超怒級のインパクトをもって現れたのが「天草陶石」。いやいやこんな凄いものが天草にあったなんて・・・。と、びっくらこきながら現地に臨みました。たぶん、ふつうに訪れてしまえば「なんもないな~」で通り過ぎてしまったであろう高浜の街。が、しかし、トランセクトウォークのお陰で、だんだん見えてくる高浜のお宝たち。「さすが藤原先生、やることが違うな~」と感動するFW初参加の峯でした。

 テーマは歴史的建造物の活用を選定し、上田家住宅の再生を検討しました。結果的に宜珍くんを有名にすることが上田家再興の近道だと、「ヨシウズくんメジャー化計画」を進めることにしましたが、実に楽しく地域の産業や歴史を学ぶことができたと思います。その時驚いたのは、同じチーム地域の方々(私よりは年配の皆さま)が、地域の歴史に非常に詳しいということでした。上田家の出来事や地域の歴史をきちんと学んでらっしゃる姿勢にとても感動を覚えた峯でした。今回の取り組みで、地域の皆さまと一緒に上田家再興への一つの足掛かりも提案できたと思います。またしても「さすが藤原先生」と痺れた峯でもありました。

 しかし、なんと言っても今回の峯にとっての天草のクライマックスは遠く天草灘に沈む真っ赤な夕日でした・・・藤原先生、ごめんなさい。

 冒頭にも記しましたが、今回のFWに参加に際しての私の隠れテーマは「暑さで倒れないこと」でした。倒れたりして皆さまの足を引っ張ることがあってはならない!と自らを戒め

つつ、家を出る時も○○な嫁(○○には好きな言葉を入れてください)から「馬鹿みたいに飲むんじゃありませんよ!」ときつ~くきつ~く仰せつかっておりましたので、楽しく遅くまでアルコールを媒体に親睦を深めている皆さまには不義理を致しましたが、無事天草から生還できてほっとしている、更年期障害の疑いのある峯でした。

【峯にとってのこれからの天草】

 今回のFWでは、「よそ者」と自覚している私たちが、地域の皆さまと一緒に地域の活性化を目指すためのアイデアを模索しました。あくまで「よそ者」と自覚したうえで、地域にカンフル剤を注射し、空気を乱し、「よそ者」VS「地域住民」という構図を敢えて作り出すことも一つの手段ではあると思いました。よそ者と向かい合うことで、見える見えないに拘わらず地域の「物」や「人」や「歴史」や「絆」と言った魅力を再認識できるのではないでしょうか。その再認識をベースとして、「よそ者」が考えたアイデアをしっかり吟味し、地域の皆さま自信の手で、地域の問題やあるべき姿を模索し、活性化の方策を地域のアイデアとして構築し、じっくりじっくり地域全体のコンセンサスと取りながら進めることが成功の鍵ではないかと思いました。

今回このような形で天草高浜地区に関わりを持つことができたことを大変うれしく思っています。高浜のために私個人でできることは恐らくほとんどないと思いますが、今後のFWのお手伝いに参加したり、旅行に訪れることなどを含め、高浜地区並びにヨシウズ君の1ファンとなって(甚だ傲慢な言い方ではありますが)見守っていけたらいいなと思います。




 

高浜の印象

所属 スギダラケ倶楽部

                                      溝口陽子

 

先日の高浜FWでは大変お世話になりました。

初めての訪問となった天草でしたが、まち歩きをして散策したり歴史を知ったり、高浜のみなさんと交流させていただいたりとほんとに濃密な体験をさせていただいたことに感謝しています。

短い滞在期間ではありましたが、わたくし、高浜のまちにすでに魅了されております。

吸い込まれそうなくらい透明度の高い美しい海、初めて来るのになんとなく懐かしい感じを受ける高浜の町並み、歴史的価値も高い木造建造物の数々、今後の成長が期待される高浜ぶどう、高浜の方々の鷹揚さ、古くから町の基幹産業であった磁器、などなど・・・。

高浜にはそんなお宝がごろごろと転がっている!という印象を受けました。

 

そして何よりも高浜を大切に思い、盛り上げていこうとがんばっておられるみなさんの熱い思いにぐっときました。そんなみなさんの思いに共振するように、なんだかおもしろそうなことが始まりそうだという予兆が高浜ではすでに渦巻いているような気がします。

 

月に2度開催されているという朝市は地域の方々の交流の場ともなっているようで、みなさんが楽しんでおられる様子が印象的でした。「楽しいから続けられる」というのはまちづくりにもきっと共通する要素だと思うので(スギダラでも然り)、まずはその基本に忠実に?盛り上がっていくことが重要かと思います。

 

そうしていくと、人は楽しいことには敏感だと思うので、今はノリがいまいちだという若い世代の方々もきっと黙っていられなくなり、一緒にまちづくりのプロセスも共有したいと思ってくれるのではないかと想像しています。

多くの人を巻き込んで大きなうねりとなっていきたいですね。

 

それから、これまで天草といえば天草四郎にイルカ、塩というイメージを持っていたのですが、ここにzikiが加わるべく、磁器と他素材とのコラボを通してもっともっと浸透させていけるといいなあと個人的には思いました。

 

またぜひお邪魔させていただきたいと思っていますので今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

追伸:旅館でのお料理も2日目お昼のカレーも大変おいしゅうございました!

    作ってくださったみなさま、本当にありがとうございました。

    おいしいものがあるというのもまたぜひ訪れたいと思うリーピート要因としてかなり重要ですよね!

     

 



高浜でZIKIぅ走

所属 JR九州 兼 スギQ

氏名 荒川 堅太郎 兼 走り杉

 

天草高浜地区のみなさま、藤原先生をはじめ関係者のみなさま本当にお疲れ様でした。本当にアット言う間の2泊3日でした。

心残りは、連日の激しい夜に負けてしまい、荒尾岳までZIKIぅ走ができなかったことです・・・

これについては、必ずリベンジを果たしたいと思っております。

 

私は今年4月に博多に戻ってくるまで、2年間宮崎で勤務していました。

運良く1年目の10月に日南線観光特急「海幸山幸」が運行開始するということで、7駅のリニューアル工事に携わることができました。

しかし、九州の中でもローカル線である日南線に、いくらリニューアルといっても多くの予算は付きません。

そうした少ない予算の中で、何か面白いことはできないか?という発想から、スギダラメンバーや地元の方々と一緒にベンチや掲示板といった家具等の整備を行いました。

この取り組みは、私というか、JR九州の建築として初であり、本当にできるのか?といった大きな不安はありましたが、みなさんの協力のおかげで、何とか成功することができました。

ここで、本気でやろう!という意識があれば物事はうまく進むし、かならず形にすることができるということだけではなく、今まで社会人となって忘れていた、地元の人と一緒に形あるものを作り上げる楽しさ・面白さを思い出すことができました。

この経験が、ただサラリーマンとして仕事をするだけではなく、地域と繋がりながらそれを仕事に結びつけることができればこんなにも面白いのか!と考え始めたきっかけでもあります(もちろんスギダラに入った理由でもあります)。

そのような考えを持ちながら、地域密着の活動をしてきた宮崎から、博多に戻ってきました。博多の仕事は規模も大きく、簡単には地域密着で活動することはできません。何か良い方法はないのだろうか?と考えていた頃に、今回の天草高浜フィールドワークが開催されると聞き、喜んで立候補させていただきました。

私自身、このような取り組みに参加したことがないので、自分に何ができるかわからないが、とりあえず高浜を見て・聞いて・感じようと思いました。

もちろん、参加が決定して高浜のことについて少し勉強しました。驚いたことが陶石。なんと全国の陶石生産量の8割を占めており、有田等にも運ばれているではありませんか!知っている人の中では常識かもしれませんが、このことは多くの人は知らないと思います。

 

そんな状況で高浜に到着しましたが、トランセクトウォークのおかげで、高浜に来ないと分からない、様々な情報が分かりました。温かい地元の方々、素晴らしい上田家、昔の面影を想像させる古びたトロッコ、一度だけ上がったのろし、見てみたい帰帆船、食べてみたい天然うなぎ、松のなかった砂浜、少ない小学生、昔は5件あった飲み屋etc…

その中で一番印象に残ったのが、一度だけのろしを上げた荒尾岳からの夕日です。みんな最高なんだ!と何度も聞き、知らず知らずにいろいろな方からそこまでのルートを聞き出し、ある程度の道を理解してトランセクトウォークが終了しました。

夕食まで時間があるということなので、そしたら荒尾岳方面に走ってみよう!てなノリで走り出しました。

漁港横のわき道から上っていきましたが、いきなり心臓破りの坂が出迎えてくれます。しかし、少し頑張れば視界が開け、右側に海と太陽がサンサンと輝いています。体はきついけど、景色が綺麗なので走るのが楽しくなってきます。もう少し上まで、あの景色のよさそうなカーブまで・・・どんどん走ります。ふと気づくと夕食の宴会時間までの時間が・・・

Uターンして、どんどん下ります。しかし、左手には壮大な景色が続いてます。下りなのでスピードを出そうと思えば出せるのですが、あえて景色を楽しむためセーブします。そんなかんじで、高浜の自然に一気に魅了されました。

 

次の日は朝から荒尾岳トライのはずでした。しかし、深酒の影響で青空市まで行くのがやっとでした。辿り着いたときは時既に遅しで、皆さん片付けて帰宅する前でしたが・・・

そして、プログラムチームに別れ、高浜のいろいろな魅力ある場所にどんどん連れて行ってもらいました。個人的には、やはり陶石がいい!

採掘場まではいけませんでしたが、粉砕している工場?では、晴天下に無造作に放置された白い陶石の山はあまりにも眩しく、何か忘れかけた宝物のように見えました。やはり、高浜は陶石であり、この名をもっと売り出す必要があるのではと感じた瞬間でもあります。

高浜はやはり現地に来てもらい、地元の方々と触れ合いながら散策するのが一番だと思いますが、どうやって、人に来てもらえば良いのか・・・

 

スギダランナー(走り杉)としては、サンセットマラソン!

参加賞(もしくは完走賞)はもちろん陶石でできた素焼き状態の陶磁器。

マラソンの競技概要としては、十三仏像をスタートし、夕日と競争しながら荒尾岳までひたすら走る(多分21kmくらいのコースになる?)。そして、ゴールしたらのろしを上げる!

スタートが夕方なので、選手はみんな高浜に宿泊。

次の日は、参加賞の素焼き陶磁器に絵付けと、ゴールタイムを記入して帰宅。

後日、ZIKIに完成した陶磁器を自宅に郵送。

何かとんでもないことを言っていますが、本気でこんなことを考えさせるほど夕日を見ながらの坂道ランは最高でした。

もし開催されることになれば、もちろん参加し、荒尾岳にリベンジを挑みます。

 

JR九州は九州全域に鉄道網を走らせています。この鉄道を活かして、どう地域を活性化させるのか?が重要ですが、天草には鉄道は走っていません。

しかし、入り口の三角までは10月頃に観光特急「A列車」が運行開始する予定です。このお客さまをどのようにして高浜まで呼び込むかは、やはり地元の方の取り組みが大切です。今回のフィールドワークを活かし、「A列車」とタイアップし、高浜に呼び込む企画を立てることができれば最高だと思っています。先ほども記しましたが、これからは本当に地元の方の頑張りが必要です。

私自身、社会人として、JR九州社員として、今後もこのようなフィールドワークに積極的に参加し、本当の意味での地域貢献に取り組んでいくことができればと思います。

フィールドワークは、一度浸かってしまうと抜け出せなくなってしまうほど、魅力的なものでした。フィールドワークは、ただサラリーマンとして淡々と仕事をこなす上では必要ない取り組みかもしれません。

しかし、そんな生活楽しくない!せっかくなら楽しく仕事したいし!

今回、高浜で知り合った方々はみんなパワフルな人たちばかりでした。みんなに負けないためにも、基礎体力をしっかりとつけるべく、今後もZIKIぅ走を続けます。

 

いつものようにダラダラ文章になりましたが、高浜のみなさま、藤原先生、タカクラさん、三浦さん、参加したみなさん、本当にありがとうございました。

 




高浜のなかで

所属 九州大学 21世紀プログラム課程3年

氏名 本田 裕紀

 

 3日間フィールドワークをし、民泊をする、というのは私にとって初めての経験でした。高浜FWはその3日間ともよい天候に恵まれ、暑すぎるといってよいほどでした。

 

 1日目のトランセクトウォークでは、高浜の皆さんにとても親切にまちのことを教えて頂いたおかげで、やや緊張していた私も、楽しくまちを見て回ることができました。上田家のお屋敷は、まわりを庭でかこまれ、また入ってみると中はとても涼しく、思わずこんな家に住みたい!と思ってしまいました。そして初めて見た防空壕。しかも小さいものと、大きいものと、2つもありました。私が高浜の子供なら、絶対に秘密基地にしていると思いますが、高浜のこどもたちはそんなことはしないのだろうか、なんてことを考えながら、歩いていました。

 その日の夜、民泊を受け入れて頂いた宮口さんのお宅に、はじめてお邪魔しました。宮口さんのお宅では、手作りのところてんから、お刺身などの海鮮、サラダなど、とにかくたくさんのお料理で出迎えて頂きました。とてもおいしかったです。宮口さんのお宅では、お味噌や甘酒、アイス、かぼちゃなど、その他様々なものを手作りしていて、最終日には、その手作り味噌をお土産として頂きました。

 

 高浜での朝は、毎日とても早かったです。2日目の朝は、朝市があるということで、早速7時には広場に到着していました。ここでは小さいジャガイモが、つめほうだいで無料!ということだったので、いただきました。小さいといっても、福岡のスーパーでは普通に売られている大きさのものです。高浜の人の懐の広さを感じます。しかし、ここで私が感じたのは、品物を買いに来ている地元の人の姿があまり目立たないな、ということでした。FW参加者の姿がただ目立っていただけなのか、私は他の朝市の日を見ていないので、はっきりとしたことは言えないのですが…。ただ、宮口さんのお宅に民泊した際思ったのは、高浜では、ご近所さん同士のコミュニティが成り立っている、ということでした。というのも、宮口さんのところでは、手作りした品々をご近所の方にあげたりしているそうです。そして、宮口さんも、ご近所の方から食べ物などをもらう。その、ある意味では物々交換(?)とも言えるコミュニティがあるうちは、高浜の人はなかなか朝市で買い物をする、というのに積極的にならないのかもしれないと感じたのでした。かといって、朝市を否定している訳ではありません。極端ではありますが、そのコミュニティにとりこまれていない者、つまりよそ者がもっと増えれば、朝市はいっそう賑やかになるのではないかと思ったのです。

 

 ワークショップでは、プログラムE「プロダクトデザイン・公共サイン」に参加しました。私自身、公共サインにとくに関心があり、プログラムが発表された時点で、絶対これに参加しようと意気込んでいました。最終的にできたデザイン案は、誘導するサインではなく、人と人とのコミュニケーションを促すサイン。例えば海水浴場を教えるサインがあったとして、それが矢印でただ誘導するだけではつまらないし、高浜らしくない。家の軒先に、陶石や白磁でできたサインをつるして、高浜の人が教えてあげることで、よそ者と高浜の人とのコミュニケーションが生まれる。高浜らしい公共サインのあり方として、とてもよいデザイン案ができたのではないかと思います。

 

  2日目の夜は、漁港でバーベキュー。漁港にはネコがたくさんいました。ここでは友人が民泊しているお宅の本多さんとお話しすることができ、バーベキューの後お家にお邪魔させて頂くことになりました。というのも、漢字は違ったのですが私の名前が本多さんの息子さんとまったく一緒だったのです。これも良い縁、本多さんのお宅では、ご主人の修学旅行の思い出を語ってもらいました。これが信じられないような本当の話で、とても面白かったです。奥さんには、手芸のストラップを頂きました。大切にします。

 

 3日間が、あっという間におわりました。この3日間がこれからの高浜のためになったのかどうか、私にはまだわかりません。それは、今後高浜がどう変わっていくのかにかかっていると思うからです。変わらないところがあったとしてもいいと思います。高浜の人たちがなりたい高浜、になれることが一番です。

 

 高浜のなかで過ごした3日間は、高浜を見つめ直し、また自分自身をも見つめ直す3日間でした。高浜の皆さん、参加者の皆さん、藤原先生、ありがとうございました。





優しさと素朴なチカラ

所属 日本全国スギダラケ倶楽部

氏名 崎田真央

 

私が高浜ワークショップに参加して感じたこと。

地域資源やプログラムから離れて、2つ書きたいと思います。

 

1つめ。麦藁帽子の効果、そして、それを準備して下さった地域の優しさ。

 

緊張しがちワークショップ初日、みんなで普段被らない大きな麦藁帽子を被ると、不思議と仲間意識が生まれました。そして、仮装大会みたいなワクワクした気持ちになっていく。大きなツバのお蔭で、お互いの距離が掴めず、すぐぶつかってしまう面白さ。麦藁帽子の意外な効果を知ることができました。

また、案内板に「各自、熱中症対策を!」と書くだけでなく、「てげあちいかい、こっちでも準備しちょくね」的に(宮崎弁ですみません)、さらりと参加者を気遣って下さる優しさを感じ、素敵だなと思いました。

 

2つめ。素朴なチカラ。

 

迷いましたが、個人的な感想を書かせて頂きます。私には海で亡くなった叔父がいます。海好きで独特な口調の人だったのですが、地域の方と話すなかで、その叔父に似た口調の方が居らっしゃることに気付きました。今まで、イベントやワークショップでそのような経験は無く、とても不思議で切ない感覚を覚えました。

そこに生きる人と外から来た人が触れ合うなかで、何かの拍子にそれぞれの人生や時間をふと感じるような空気が生まれることは、土地のチカラだと思います。うまく言えませんが、楽しいという気持ちの裏には、そういった底知れぬ、意図しない、素朴なチカラが隠れているのかもしれません。

 

今回、初めてお伺いした高浜。これから新しいことをする時、私が感じた優しさや素朴なチカラを失うことなく、みんなでワクワクできたら素晴らしいなと思います。 

 

 



高浜での3 日間 is priceless!

所属 九州大学芸術工学部環境設計学科3 年

氏名 山本 友紀


 旧上田邸。ずっしりとした瓦屋根が古さを感じさせる。緑の芝が美しいお寺。

 藤原先生もお気に入りの商店。ガラス窓から見えていたちり紙もふくめていい味出しています。

2本の道に挟まれた角地。敷地ぎりぎりまで有効活用しようとした結果。

 私の生まれ育った愛媛県今治市の玉川町というところは山に囲まれた農村地域である。自然がいっぱいで幼いころはつくしをとったり、タケノコを掘ったり、川で泳いだり、山滑りをしたりと遊びには事欠かなかった。しかし高校生ともなると、様々な不便さも感じるようになった。片道10km弱の道のりを自転車で毎朝通うのは面倒だと思う日もしばしば・・・。休日に買い物す

る場所も、カラオケやボーリングで遊べる場所も町内にはない。都会にあこがれることも何度もあった。毎日の買い物やちょっとの移動にも車は欠かせなかった。そんな玉川も市町村合併に伴って開発が行われ始めた。切り売りされる土地、新たに越してくる人々。手入れをする人のいなくなった田んぼや畑は、簡単に住宅地に変わっていった。そして人が増え始めた町に、大きなショッピングモールを建設するという話がもちあがった。確かにそれによって買い物の不便さは解決するかもしれない。過疎化の進む町がもう一度たくさんの人が訪れる場所になるかもしれない。でも私は大きな違和感を覚えた。幼いころのあの風景はもうなくなってしまうのだろうか、細々と頑張ってきた小さな商店はシャッター通りと化し、蛍もいなくなってしまうのではないか。でもこのままこの町で年をとったとき、ちょっとした買い物にも困るようでは実際とても大変である。ベストな答えは一体何なのか。

 そしてその答えを探すために、私は大学に通っている。ちなみにショッピングモールの建設は案の定地元商店街をはじめとする有志達の大反対に遭い、現在土地の造成が終了したところで何年間もストップしたままである。

 前置きが長くなったが、今回の高浜でのフィールドワークも過疎化の進む町で今後どういう展開が考えられるか、という趣旨のものであったので大変興味をもち、参加させていただいた。

 古い木造住宅。背景の青と緑に長い時を越えてきた木の色が美しい。

 美しい曲線美を描く磁器。

 おいしかった夕食。とびきりのごちそう!

 朝市の新鮮なお魚。

 白鶴浜海岸。高浜のもつ立派な宝物。結論としては私の知りたい「答え」はまだよくわからない。でも確実にそのヒントを得ることはできたと思う。そして何よりこの3 日間が楽しくて仕方がなかった。一番自分にとって新しい気付きだったことは、「何もない」なんて町は存在しないということだった。過疎化の進む田舎の地域は、自然以外「何もない」町だと信じて疑っていなかった。それは別にバカにしたり蔑んだりしているわけではないが、ただその言葉通り「何もない」と思っていた。でも実際高浜にはたくさんの宝物があった。それはぶどうとか、天草陶石とか、目に見えるものもあれば、圧倒的な自然を目前にした時の表現しきれない感動とか、素敵な人たちとのたくさんの出会いとか、目には見えないものもあった。

 そしてもうひとつの気づきは、これらの宝物は実はきっとはじめて発見したものではないということだ。先に書いたが、私は田舎で生まれ育つ中で自然や町とふれあい、こういったかけがえのない宝物たちの恩恵を受けながら育ってきたはずだった。でも、成長するにつれてその不便さやデメリットばかりに目がいくようになり、結果「何もない」ところだと平気で言うようになっていたのだと気がついた。美しい自然があるのに。おいしい食べ物もあるのに。素敵な人たちもいるのに。

 高浜ではみんなで一緒に宝物さがしをした他に、民泊というもう一つの貴重な体験をさせていただいた。泊めていただいた本多さんご夫婦には大変よくしていただき、たった2 泊3 日だというのにもかかわらず、帰り際にはさみしくてこっそり少し泣いてしまったくらい(笑)それくらい楽しい3 日間だった。実家を離れて暮らす私にとって、高浜が第二の実家、故郷といえるくらい大切な場所になった。

 高浜は多くの日本人にとって原風景ともいえるような、そんな素敵な要素をもったところだとおもう。訪れた人を温かく包みこみ、日々の疲れをいやしてくれる。この素敵な高浜という場所を維持していくには竹山の問題じゃないが、積極的に人が介入して自然を保護したり、若い人たちが町を活性化していったりすることも不可欠だと思う。そしてそのためにはこの町で暮らせるだけの雇用の機会がどうしても必要なのだということもひしひしと感じた。

 夕暮れの漁港。高浜では見慣れた光景でも、私にはとても新鮮で美しかった。

 水平線に太陽が沈む。ジュー

 みんなでハイヤ踊り。

 海に飛び込んだ有志達。

 3 日間の成果を発表。でも高浜はこんなに魅力がある町だということを、私たち外部者だけでなく地元の人たちも再発見された今、高浜の未来は明るいという気がしている。どういう形で人を呼びこみ高浜をよりよいところにしていくかは、たった3 日間で考えるにはちょっと内容が濃すぎて、具体的には未知数な部分も多いけれど、わたしもこれから本多のお父さん、お母さんと仲良くさせてもらいながら、末永くかかわらせてもらいたいなと思っている。できる限り遊びにも行きたいと思う。

 また今回のフィールドワークでは多くの人々にお世話になり、多くの魅力的な人々に出会うことができた。

 スギダラのみなさんの周りを巻き込む大きな力、人を説得させるパワー、エネルギーにはただただ驚くばかりだった。

 3年間同じクラスで過ごしてきた工藤亜実ちゃんの、とても素晴らしい魅力にも改めて気づくことができたし、人前で話すことが大の苦手な私にとって、このフィールドワークは刺激的なことばかりだった。

 貴重な経験をさせていただいたことに感謝して、この夏の思い出をこれからの自分の成長の糧にしていきたい!





高浜フィールドワークに参加して

所属 JR九州 施設部

氏名 津高 守

 

 あっという間の3日間でしたが、藤原先生をはじめ関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。

 私も天草には何度か足を運んでいましたが、このように濃く(というかしつこく)天草に浸ったのは初めてです。我々鉄道関係者(というか私の周辺の人々)の天草観光とは、三角線で三角まで行き、旅館のバスで宿に行って温泉&料理で一杯飲んで帰ってくるというものです。従って、行き先も大矢野か松島がせいぜいで本渡でさえめったに行くことはありませんでした。観光案内で崎津や大江の天主堂を知っていたとしても、実際に足を運んだ人は非常に少ないと思います。

 そういう中での高浜フィールドワークでしたが、地域にはまだまだ我々の知らない魅力が潜んでいること、地域の人たちはえてして自分たちの地域の魅力を自覚していないということを再度認識したというのが正直な感想です。上田家の建物、天草陶石という素材は全国どこに出しても通用するものだと思いますし、天然うなぎに至っては、運がよければ食べれるという触れ込みだけで人が寄って来ると思います。今回のフィールドワークを契機として活性化に取組めば高浜はもっと注目を浴びるところになると確信しています。

 今回、地元の人たちと一緒に現地を歩き、高浜の活性化について真剣に議論しましたが、我々も仕事上で沿線の人たちとこんな風に交流を図ることは全くありませんでした。弊社は地域貢献を会社の基本方針の一つとしていますが、一口に地域貢献といっても方策は様々です。特に我々のような非営業部門にとっては「鉄道を安全に走らせることが地域貢献」と言って何ら新しい取り組みをしていないというのがいままでであったと反省もしています。そういう点でも、今回のフィールドワークはまさに地域と密着してその発展のお手伝いをさせてもらう取り組みとして、我が部においても地域貢献の先駆けができたと思っています。今後とも機会があればこのような行事に参加させていただき、地域を深く知るとともに地元の人たちと交流を図って生きたいと思っています。

 

 以下は私が天草や高浜について思いついたことを書きます。

 

三角線にはこの秋から観光特急が走ります。それと時期を同じくして、熊本、宮崎、鹿児島の3件は10月からJRグループのデスティネーションキャンペーンの地域に指定され、全国からの注目も浴びると思います。特に観光特急は天草地区の知名度を上げる絶好のチャンスです。でもこれは地域の人たちが必死になって取り組まないと地域間競争に勝てません。熊本にはすでにSL人吉、あそぼーいのような観光特急が走っています。天草全体で観光特急を盛り立てて行く取り組みが不可欠と考えます。

 

観光特急に合わせて三角駅もリニューアルを計画しています。あの駅舎には宇城市の観光協会が入っているようですが、天草の入り口として天草市や上天草市のPRスペースも必要ではないかと思っています。スペースについて確約できるものではありませんが・・・。

 

地域の知名度を上げるにはその地域内の連携が重要であると考えます。特に高浜の上田家の売込みには、大江や崎津の天主堂を交えた建築物群として知ってもらうことも必要かと思います。また、五足の靴のメンバーが長崎(茂木)から船で富岡に入り、徒歩で大江まで行ったという史実を再現するようなイベント(ウォーキング等)も企画する価値があると思います。

 

以上です


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藍蟹堂

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